2007-01-01から1年間の記事一覧

クリスマスの夜に『バスキア』を観ていたのだが

クリスマスの夜にツタヤにいき、見たいビデオを探していたがこれといったものが見つからず借りてきたのが『バスキア』だった。なんとなくクリスマスの夜というのは、バスキアっぽい感じがしたのだ。NY的な画家の生涯である。96年の映画。バスキアという人…

年末の夜と豹柄の女

そういえば先日、阿佐ヶ谷に出来たという新しいロフトをはじめて見に行った。年末。そして夕刻の時間。外はうるさい。憂鬱な時間帯かもしれない。深まる暗がり。冷え込みがきつくなる。寒さは急坂を降りていき冬らしさを初めに自覚させる時期かと思うが、町…

浦和の駅前

浦和レッズが快進撃を続けているようだ。クラブチームの世界杯を争う枠で、イランのチームに勝ったという。そういえば何週間か前に浦和の駅前まで出た時に、前日は地元のスタジアムでレッズが勝ったというので、駅前の商店街には、まだ前日の勝利の余韻が漲…

『ツォツィ』−アフリカ人によるアフリカ人の為の映画とは、いつから可能か?

『ツォツィ』という映画を見ていた。今年の春頃、日本でかかっていた映画で、DVDになっていた。南アフリカとイギリスの資本で撮った映画である。アフリカの事柄についてアフリカ人の立場から撮られる映画というのは、まだ余りないのだと思う。「ダーウィ…

ポケットの中の中上健次

日曜日の名古屋行きドライブだが、ジャンパーのポケットの中に一冊、僕は中上健次の短編小説集を文庫本で入れていった。ドライブの方はずっと忙しく暇になる時間がなかったので、旅の途中ではそれを読まなかったのだが、家に帰ってきてみて、その旅では読み…

名古屋と東京の間にある、黄泉の闇について

今年の12月で最初の日曜日は、相当暖かかったような気がするのだが、名古屋までドライブしていた。土曜の夜に出て国道1号線を下り、朝方名古屋に入った。国道1号が特に使いたいと思う道だとは思わない。ただ金額を節約するために1号を使う。東京から西へ…

廃棄物のリサイクル技術と横浜市的進化の先見性

夕方のニュースで見たのだが、巷では今、食料品における賞味期限とか、それのオーヴァーが何だとかいう話が、よく突っつかれているが、コンビニやスーパーの食材の場合、まず賞味期限というのがあるとして、それとは別に販売期限というのが、大手の販売店で…

『殺人の追憶』

「グエムル−漢江の怪物」を作ったポン・ジュノ監督の前作に当たる映画である。80年代の韓国の田舎における連続殺人事件を巡って、韓国社会の位置について浮かび上がらせている映画である。しかしこの映画『殺人の追憶』が人々に見られるとき、それはどのよう…

『ゾディアック』

デヴィッド・フィンチャーの一番新しい作品『ゾディアック』をDVDで見る。これはダーティハリーの第一作でモデルになった、サンフランシスコで実際にあった連続殺人鬼の事件について、イーストウッドのダーティハリーでは、最後に犯人を突き止めることに…

ジョン・トラボルタの『ミッドナイト・クロス』

ブライアン・デ・パルマ監督の映画で1981年の作品である。ブライアン・デ・パルマといえば、かつてはキャリーやフューリーといったオカルト物、サスペンス物、ホラー物を撮っている。最近では「ブラックダリア」というのを撮ったみたいだが、これはまだ見て…

『松ヶ根乱射事件』

山下敦弘の映画で06年の作品。あの『リンダリンダリンダ』の監督である。完成度の高い映画を作る人だと思う。『松ヶ根乱射事件』も、ブラックユーモアによって彩られた山間部の田舎町に生きる人々の模様を上手く描き出している。この監督の持つユーモアのセ…

インターネットの原点について、ちょっと気付く

ここのブログ記事を見てちょっと思ったことがある。 粉川哲夫先生と再会。最後にお会いしたのは、たぶん『消費の見えざる手』でのインタビューだったので、はや15年以上も前だ。なんだか先生は、少し背が高くなったような気がした(というか、自分が縮んだ?…

享楽の意味

図書館で借りてきた斎藤環の『生き延びるためのラカン』を読んでいるのだが。しかし、これってすっげ〜え面白いじゃん。もう今まで斎藤環を殆ど読んで来なかった自分を恥じる位だ。単なる啓蒙書を越えている。というか、本来の啓蒙書とは、こうあるべき姿な…

繋がりのネットワークが孕む不気味で大きな意思

インターネットによって、人が繋がろうとすることの欲望が実現化されてきたことには、目を見張るものがある。今夜、いわゆるネットラジオと呼ばれるサイトを、色々徘徊していて思ったのだが。暇人たちがそこに溢れているように見える。しかしネットが出現す…

All Apologies -2

カート・コバーンが書いていた詩だが、シンプルな言葉が並んでいる。若く死んだとはいえ最後に近い時期に、この歌は発表された。最後のアルバムで最後の曲の位置を占めた。これが出て二年後に自殺している。読んでみても、幸せなのか悲しいのか分からないよ…

ブコウスキーの哲学的潜勢力

最近、ブコウスキーのことをよく考えているのだが、現代小説のスタイルが、ブコウスキー的なミニマリズムに収斂していくことは、小説という構造の運命を考えた時に、必然的に、ある種の極として生じた事態であったはずだ。そもそも小説という形式が、現代人…

政治と謝罪

ボクシングの亀田親子の話は、もう収まったという感じだろうか?あの親子のストーリーは、ある種仕掛けられた、マスコミ特にテレビ局による演出作用として、パブリックイメージとしての一家の像が雪だるま的に肥大していったという感じだったけど、見てれば…

今日は『グッドシェパード』を見たんだが−

今日は映画の日だったので何を見ようか迷った。まず森田芳光監督のサウスバウンド。内容は、元過激派だった親父が、子供と女房を連れて沖縄の田舎に引っ越すという話。東京で暮らしていた時は親父を馬鹿にしていた子供は、沖縄暮らしで親父を見直すとかいう…

近代労働観の変遷−パウロとレーニンに共有された誤謬

土曜日の今村仁司シンポジウムで、桜井哲夫さんの纏めた近代労働論の概観が大変分かりやすかったのだが、会場で配られたレジュメより、ちょっと引用してみよう。 近代に至ると、近代資本主義的市場経済の前提と共に古代的な労働への偏見が崩壊してゆきます。…

今村仁司シンポジウム

土曜は台風がいきなりやってきて面倒な雨だったけれど、ナベサクさんに誘われ、東経大で今村仁司記念シンポジウムにいってきた。国分寺で降りて雨と風の中を歩き、坂道を上り丘の上の東経大へ、昼過ぎに到着。思想系では著明な学者達を集めて大学が企画した…

今週のBSをチェック

BSでドライヤーをやるみたいですね。NHKBS2 衛星映画劇場 怒りの日 1943年・デンマーク VREDENS DAG 10月30日(火) 午後1:10〜午後2:45 ガートルード 1964年・デンマーク GERTRUD 10月31日(水) 午後1:10〜午後3:02 これで月曜の昼に「奇跡」もやる…

All Apologies

カート・コバーンは94年、27歳の時に、拳銃自殺するのだが、死体から薬物反応も検出されたという。彼にとって、死にたいと思わせていた想念が何だったのかは、わからない。自殺しうる人というのは、おそらく実際に行為に移す前までに、相当数のその考えに繰…

ニルヴァーナと『移民の歌』

ニルヴァーナがツェッペリンの「immigrant song」を演奏してる映像がある。デビュー前の初期のニルヴァーナみたいだ。自宅で録音してるし、ドラムもあのフーファイターズで有名になる兄ちゃんではない人が叩いている。ニルヴァーナがデビューできるようにな…

消しゴムの頭と心における野生

脳と身体との間で引き裂かれた存在を表出する映画として、デヴィッド・リンチを挙げることができる。その自らの、消しゴム頭のイメージ=『イレイザーヘッド』によって70年代に映画を作り始めたデヴィッドリンチにとって、持て余し決して処理しきる事の出来…

『デスプルーフ』で、身体は脳に勝利したのか?

映画『デスプルーフ』は、存在に対して過剰な身体化を働きかける映画である。この作品において、何故登場人物がかくも身体化に、形象化として彫を入れ刻みを入れる身体のエロスに取り憑かれているのだろう。一つには、登場人物、それは女性の登場人物それぞ…

映画を巡る脳と身体の闘い

『グラインドハウス』というタイトルで、本来二本立て用の上映として設定されていた『デスプルーフ』と『プラネットテラー』の二本の映画には、結局どのようなテーマが共有されていたのだろうか。一つ明らかなのは、グラインドハウスという場所の性質として…

ファリックマザーからファリックガールまで

映画『プラネットテラー』において、一個のダンサーだったチェリー・ダーリンが、失った片足の部分にマシンガンを埋め込まれることによって、ファルスを持った女性として生まれ変わるというストーリーのことを考えて、そういえば斎藤環の『戦闘美少女の精神…

相撲とは何なのか?

朝青龍問題をずっとテレビ報道が追いかけていたかと思ったら、すぐさまそれは17歳力士の稽古中死亡問題の話に移り変わった。日本の国家イメージと相撲という競技の内容、特に日本の国技と云う事で伝統的IDの尊重として守られてきたその領域とは、どうして…

女がファルスを獲得する過程としての『プラネットテラー』

ホラー映画、特にスプラッター物を制作する者達の現場にとって、想像的平面と象徴的平面の区別とは絶対的なものである。映画で表現しようとしている世界と現実の世界が混同されてしまうことは、単純に狂気を意味する。同時に、ここで映画制作者は常に強烈な…