ロックが発掘する倫理上の古典化−Big Audio Dynamite

イギリス人にとって左翼的なセンスとは何なのかと考える時、パンクロックの短い歴史がそこに重なる。パンクにもある種パターンがあった。それらは幾つかのパターンである。クラッシュの形に収斂した若者たちの叛乱のイメージとはその一つである。

20世紀の後半にロックの層が下方へ拡散するにつれて、それぞれの階層を代表するような表現の形式がそこには新しいスタイルとして生まれた。アメリカでは社会の下層にも、そして黒人の層にも広がったロックの表出形態は、しかし政治的なスタイルとしては実らず、それは短命なものに終わるかマイナーなものとして隅に追いやられたものの、イギリスでは政治的なプロテストとして明瞭なムーブメントの形成にまで至った。パンクロックの成功とはその結果である。パンクロックは決してアメリカをその誕生の地に選ぶことはできなかった。

最初のアイデアはニューヨークのCBGBでライブをやっていたニューヨーク・ドールズのマネージャー、マルコム・マクラレンが同じものをロンドンで別の文脈でやってみようと思いついたのが切欠だったのだとしてもだ。パンクロックが成長する背景には、マルコム・マクラレンの小さな思惑を遥かに凌いでいる社会的な背景に要請が伴っていたのだ。その表現形態は、自らを表出するチャンスを、70年代から80年代にずっと狙っていたのだ。

生活上の倫理観が政治的なスタイルまで帯びる、あるいは向う側にある革命のヴィジョンまで引き寄せるという事が、アメリカではなかなか実らなかった。あるいはそれは抑圧されてきた。アメリカでは抑圧されてしまうある種政治的なヴィジョンへの夢が、イギリスではしっかり生きていて、生活にも根ざしている。それはイギリス社会が後進しているということなのか、あるいはアメリカの何かが決定的間違えているのか、あるいはアメリカとはやはり確実に社会の客観性として革命後の世界を生きているからなのかとか、理由は考えられよう。

アメリカでは生活上の一つの知恵の持ち方で終わってしまう倫理上の発見が、イギリスの文脈に置き換えられると政治的に増幅されうる巨大な理念的ヴィジョンへとそれが接続されることができる。アメリカに生きるのとイギリスに生きるのとでは希望の持ち方さえもが異なってくるということか。

クラッシュの音楽、そしてミック・ジョーンズが拾い上げるような倫理的な諸相とは、逃走の波に逃げ遅れた社会の痕跡として、イギリス的な田舎社会の後進性を担っているのと同時に、未来へ繋げられる希望のヴィジョンもまだ失わずにそのまま生き永らえている。忘れられてしまうようなものが社会の基本的な構成単位としてしっかりとそこでは機能していたのだ。アメリカ社会では見失われがちな価値観がそこには残った。

クラッシュの若い激しいエネルギーが通過していった後に、もう一度取り残された田舎的風景か都市的廃墟の片隅で、原点としての倫理的単位を音楽の要素として、再びミック・ジョーンズのグループは取り上げ、そして普遍化することに成功しているのだろう。これはロックが老いても尚失わないものとしての肯定的なヴィジョンの記録であり、現在進行形の革命である。