2004-01-01から1ヶ月間の記事一覧

インターネット一昔

ホームページから幾つかの原稿を削除した。「人間の壊れやすさについて」、「死者の奢り、再び」といったものを捨て原稿にする。原稿というよりもこれらは単にノートの一部とでもいったものだったのだが。いつかそのうち書き直そうと放置にしておいたのだが…

雨に唄えば♪

「時計じかけのオレンジ」の中で示唆されていた終末論的な世界像とは、それでポストモダン社会のネガティブな極北的な実現を意味していたのだが、そのような世界像とは、インターネット社会と2ちゃんねる的な領域の相伴的な同乗によって、実際にももう既に…

『時計じかけのオレンジ』

スタンリー・キューブリックの1971年の作品『時計じかけのオレンジ』の中には管理社会化の現在的な展開にあっては、予言的なものが多分に含まれていたのだろう。映画の舞台とは近未来を思わせる設定だ。具体的にはよく定かでもない舞台の設定なのだが、アメ…

名無しの共同体の功罪

ハッカー文化にも起源を見つけることは出来るとはいえ、それとはいささか違った位相で独自に発展を見せた2ちゃんねる的な文化ではある。繰り返しいうが、それ自体は巨大な規模に膨れ上がってるともいえる大量の掲示板の群であり、どちらかといえば匿名の名…

2ちゃんねる型マトリックスの発生

1. 2ちゃんねるは本来としては、匿名性を装うスタイルが主のインターネットの掲示板であるのであり、情報の交換、意見の表出の最大限の自由な享受、享楽が求められていたものだろう。しかしそれの羽目の外し方であるのか、実際に情報流通のアナーキズムに任…

インターネットの中の恐るべき閉域

インターネットは、資本主義的な情報の流通にまつわるあらゆる条件というのを、それ自身の中に巻き込みながら高速度で回転し一気に展開を遂げた。その急速な進化の過程では、表の側面としては、商業的な電子取引の遠隔的かつ利便的かつ迅速的な実現、広告的…

アーキテクチャ

近代化のための中核的機能として規律訓練型の権力とはあったのだが、今では権力とは旧来のような存在仕様だけではありえずに、権力とはもはや物理的なアーキテクチャやメディア操作的な情報化のコード的な使用によってそれが機能するに至っているという事情…

テクノロジーの抽象力

近代化とは、個人の身体性に対して一回抽象化を潜らせることによって全体的なパースペクティブを与える。上向過程を経た後にもう一度新たに根拠付けられる今の身体性というかたちで、身体の具体性に回帰してくる機械的構造をもっている。つまりモダニズムの…

悪の進化論

社会にとって近代以前には、暴力の生態とはどのように違ったのだろうか。もちろん人間のなす共同体の維持と暴力の関係はなんらかの形で常に機能していたのであり、暴力が何かの機能的な部品としての、共同体的な認証をへた明らかなものであることを根拠付け…

社会的な悪

悪の生態とは社会にとって、ある種の自然性に属する。社会にとっての悪の歴史とはいかなるものであろうか。善があれば悪が生ずる。いや、先に悪と不快が存在するから人間にとって社会的な善が求められる。そして社会的な善に対して主体化しうる人間の態度を…

コントロール

モダニズムの機能としての身体的具体化とは、同時に支配の具体性でもあった。既成の、そして理想の身体像を自覚化し具体化するプロセスとは、個体にとってディシプリンの技術を伴う。モダニズムとはディシプリンをプロセスとして媒介的に経させることによっ…

身体性

インターネットの効用的なる結果としてもたらされた新しい監視社会とは、以前のものからどのように姿形を変えつつあるのだろう。デヴィッド・ライアンは『監視社会』の中でインターネットによってもたらされた監視社会化の現象が、「身体性の消滅」といった…

マトリックス

マトリックスが君を見ている。…いつからか、気がつかない時から、誰かに僕らは見られている。個人としての行動を監視されているのだ。しかしそのような監視とはいつから始まっていたのだろう。たぶんネットに接続したときからだろうか?…あのとき掲示板に書…