2006-01-01から1年間の記事一覧

『サウンド・オブ・ミュージック』−三角形を巡る謎の超越

ロバート・ワイズ監督による1964年の有名なミュージカル映画である。ミュージカル映画の中では古典といえる。舞台は、第二次大戦前夜のオーストリアである。ナチスはドイツ帝国によるオーストリアの合併を進めていた。オーストリア海軍の将校の邸宅に新しい…

ケン・ローチの『麦の穂をゆらす風』

ケン・ローチは主にこれまで、労働者階級的な生の側面からリアリズムを抽出してきた作家である。イギリス人映画作家としてのケン・ローチが維持してきたのは、社会主義的視点とリアリズム的視点である。彼の新しい作品、『麦の穂をゆらす風』において彼が切…

三軒茶屋

日曜日に三軒茶屋へ行った。目的は見逃していた映画を名画座で見るため。黒沢清のLOFTをまだやってる劇場がそこしかなかったのだ。三軒茶屋中央という名画座。はじめて行く劇場だ。午後の4時からの上映だった。埼玉から向かったのだが、休日のターミナル駅…

今村昌平の『ええじゃないか』

時は幕末である。横浜の海にはアメリカの黒い船が開国を要求に来ている。アメリカからやって来た船の中から一人の日本人が出てきた。彼は船で難破して漂流してるところをアメリカ船に救い上げられた農民である。彼はアメリカまで連れて行かれた後に、もう一…

『楳図かずお恐怖劇場 蟲たちの家』

黒沢清が楳図かずおの漫画を原作にして映画を撮っている。『蟲たちの家』である。猜疑心、支配欲、独占欲の強い夫のドメスティックバイオレンスに耐えかねた妻が、家の一室で閉じ篭りになってしまった。彼女は自分が虫になったのだと思い込んでいる。夫は妻…

黒沢清の『降霊』

霊媒師の仕事を片手間に手がける主婦が、大学の心理学研究者に興味を惹かれ研究の対象になっていた。主婦は定期的に大学の研究室にゲストとして呼ばれインタビューを受ける。彼女は遺品などの物質的なデータから、その背景にある人物像を当てる技術があった…

数学教育の基礎

ちょっと、テレビのCMでも最近こういうのがあるみたいで別にそれで同調してるわけでもないのだが。・・・日本の算数教育とフランスのそれの違いとして、こういう点が指摘されている。日本の場合 5 + 6 = □ □の数を答えよ、という設問の形式が一般的に多い…

いじめ問題の周期性

最近また、政府とメディアを含めた大々的なイジメ防止のキャンペーンが為されている。文部科学省の立場からは、高校の必修科目飛ばしの問題とイジメ防止の為のキャンペーンが同時に出てきている。この二つの項目に何かの同期性があるというわけでも別にない…

嫌われ松子に、人は何をか投影するのか?

6. 映画『嫌われ松子の一生』では、それが単にジャンルとしての悲劇として提示されているのではなく、悲劇の構造を笑うことによって汲み上げようとするものになっている。この映画の中で一貫して力を吹き込んでいるものとは、中島哲也監督によって示されてい…

『嫌われ松子の一生』とキルケゴール症候群

1. 不完全な譬えにすぎないが、愛の関係に置き換えて考えてみよう。愛の根底には自己愛がひそんでいる。だが逆説を求めるその情熱が燃え上がって絶頂に達するとき、自己愛はほかならぬおのれ自身の破滅を欲するのだ。愛そのもののほうも、またこの自己愛の破…

京都について

1. 11月の1日から3日まで車で京都にいっていた。最初は、南尚から京都に行きたいと、せがまれてこうなった運びだ。京大の吉田寮に泊まり、ヒッピー的な交流を愉しんできた。車で京都に入った。高速道で東京から京都までは料金が高いので、道筋では部分的に高…

マーティー・フリードマンによるトランスクリティーク

1 テレ東系の『ROCK FUJIYAMA』が絶好調である。この深夜番組が面白いのだ。ヘヴィメタバラエティとも言われる番組である。大人のロック推進化計画とも呼ばれている。深夜に奇妙な面白さを発散している番組である。いつ終わるのかもわからない。ネタ切れにな…

岸信介の孫といえば・・・

安倍さんが結局首相になった。安部さんに順番が回ってくることは殆ど決まっていた事態でもあったのだろう。小泉さんのパフォーマンス能力で演出し切った象徴主義的な政権が終わって、次の内閣には岸信介の孫にあたるという安部さんが立つことになった。テレ…

シンボルを解体することの意味

1 ベンヤミンが『ドイツ悲劇の根源』で示した問題設定とは、こんどは『複製技術時代の芸術作品』において更に別の角度から究明されている。 いったいアウラとは何か?時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんな近くにあってもはる…

意識と自然

1 ソクラテスの本質をとく一つの鍵は、「ソクラテスのダイモニオン」と呼ばれるあのふしぎな現象である。彼の法外な悟性が動揺するような特別の状況下で、しっかりとした足場を彼が得たのは、そういう時に聞こえてくる神の声によってであった。この声は、そ…

ニーチェと音楽

1 ニーチェにとって、音楽を哲学に導入するとは、どのような意味を持った試みだったのだろうか。それはニーチェの著作の流れにとって、最初の問題系を形作っている。ニーチェの出発点とは芸術哲学であり、芸術の歴史によって抽象されて取られる切断面から見…

ロマン主義という痕跡

1 ベンヤミンの『ドイツロマン主義における芸術批評の概念』。ドイツロマン主義の分析においてベンヤミンが見出しているのは、反省的な知の持ち方が、何処かで直接的な確実性、直接的な知覚によってリンクされ、保証されていなければならないと考える、ある…

アレゴリーによる闘争

1 ニーチェの時代背景にとって、悲劇の発見とは何を意味したのだろうか。ベンヤミンは、近世から近代のキリスト教世界にとって、悲劇を上演することの意味とは、シンボルVSアレゴリーの闘争という様相を取ったのだと分析している。2 アレゴリー的な見方の根…

パロディ化される名曲の精神

『悲劇』の精神といえば次に来るのは『パロディ』の精神ということだろうが・・・。パロディの精神とは笑いのことである。『Stairway to Heaven』とはかくも広く知られた名曲であるのだが、この曲をパロディ化して演じたビデオで面白いものがあった。まずはフラ…

Stairway to Heaven−『天国への階段』における悲劇の精神

レッド・ツェッペリンのアルバムには完成度が充ちている。レッドツェッペリンは結成から解散までの10年程度の期間に9枚のスタジオアルバムを残している。ドラマーのジョン・ボーナムの死によってバンドは解散することになった。各アルバムにはそれぞれの完成…

悲劇とヒステリー

フロイトは、ヒステリーという現象に見られる客観的な構造を分析している。ヒステリーとは精神の均衡体系における恐慌状態である。この恐慌は何処から起こったものなのか。何を前兆にやってきたのか。我々は前もってその前兆を知ることはできなかったのか。…

デレク・ジャーマンの『BLUE』

1. 90年代、イギリス人映画監督のデレク・ジャーマンは身体をエイズに冒されていた。余命幾ばくもないということを自ら悟りながら、最後に数本の映画を撮っていた。93年に二本の作品を完成させる。それは『ウィトゲンシュタイン』と『BLUE』である。プロデュ…

ウィトゲンシュタインの解明

1. しかしこのような宗教的的な儀式性の意識に起源をもつ、ちゃんと読むという強迫観念、そして、ちゃんと読めという強迫的命法の意識(意識過剰)が、実際には少しもテキストを正確に読むという営為には寄与しなかったということは明らかである。ここでウィ…

タリバンの子供たち

1. 『カンダハール』という映画の中に、アフガニスタンの神学校の中で学ぶ子供たちを描写しているシーンがある。子供たちはコーランを朗読している。頭にターバンを巻きつけたたくさんの子供たちが、おのおののコーランに向かい合い、唱えながらしきりに頭を…

オカルト的

1. オカルト的である、とはどういうことか? オカルト的であるとは、自己を啓示的だと感じていることである。 2. だから、オカルト的な意識とは、他ならぬ、オカルト的な自己意識の事である。 人類の歴史は、このオカルト的な物の意識から、いまだ自由になっ…