アレゴリーによる闘争

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ニーチェの時代背景にとって、悲劇の発見とは何を意味したのだろうか。

ベンヤミンは、近世から近代のキリスト教世界にとって、悲劇を上演することの意味とは、シンボルVSアレゴリーの闘争という様相を取ったのだと分析している。

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アレゴリー的な見方の根源は、キリスト教の定めた、罪を負った自然(Physis-肉体)が、万神殿-パンテオンに体現された、より純粋な、神々の自然(natura deorum-神々の本性)と対決する、その対決のうちにある。ルネサンスとともに異教的なものが、そして反宗教改革とともにキリスト教的なものが、新たに生気を得ることによって、アレゴリーもまた両者の対決の形式として復活せずにはいなかった。
ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』第二部アレゴリーバロック悲劇

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批評とは作品を壊死させることを謂う。他のどの作品にもまして、バロック悲劇の作品の本質は、批評によるこの壊死に応ずるものである。作品の壊死。したがってそれは−ロマン派が考えたような−生命をもった作品のうちに意識を呼び覚ますことではなく、作品のなかに、すなわち死せる作品のなかに知見を移住させることを謂っている。存える美は知見の一対象である。そして、存える美が、存えていてもなお美と呼ばれていいものかどうかは疑わしいとしても−確かなのは、内部に知に値するものをもたずしてはいかなる美も存在しない、ということである。
ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』第二部アレゴリーバロック悲劇

4
ソクラテス的なものが象徴しているのは、人間的な対話についての安易な信仰であった。それは弁証法の賞賛という姿をもって示されている。ニーチェは、彼の時代的な状況としてドイツ及びヨーロッパで起きていた、この弁証法への礼賛傾向を全く信じていない。対話主義について過剰な信頼を寄せることは、結果的に悲劇的な契機を見逃してしまうだろうと予測しているのだ。

人間的な対話性の外部にあるもの、即ち弁証法の外部あるもの、弁証法が必ず見落としてしまうにも拘らず、それは密かに弁証法の有り方を舞台として暗黙に決めているものの存在、それを発見し分析してみることによって始めて、時代的演劇状況としての弁証法という舞台の総体は理解されるのだとニーチェは考えていた。それは弁証法を表面的な舞台上で根拠付けているものの事実的な審級の在り処であり、時代的な無意識の存立する構造である。

5
弁証法によって問題は解決しうるという立場、それは立派な科学的信仰の立場である。弁証法とはそれを永久的、無限に連ねていけば、人間の解放が実現されるのだとする、ある種の神学的なスタンスである。別に唯物論無神論の立場になろうとその楽天的な構図と信仰のスタイルとは変わらない。トロツキーの永続革命論にまでそれは続いていくだろう。このような永く連ねていくという形式で示された無限性と信仰の立場を、ある悪質な楽天性であり、悪循環的なパースペクティブの虚構主義であり、肝要な他者性の欠如として、ニーチェは敢えて切断のメスを入れたのだ。それは悲劇的認識の導入という形をとった。

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言葉には生命が宿るという考え方(ロゴスとしての)、さらには作品そして言葉には生命が宿らなければならないという信憑性に支配された時代とは、ロマン主義のものである。ドイツロマン主義の立場とは、言葉と作品における物質性と客観的な条件によって世界を分析するというより、このように盲目的な信憑性によって強迫的に駆られていた自己投企であったと見ることができる。それは言葉に対するある盲動的な強制力の反映であり、時代的に強固なシステムであった。

7
キリスト教社会が示したシンボル的世界像に対して、アレゴリー的な世界像とはどのようなものになっただろうか。アレゴリー−別の物によってそれを言い換えて示すこと−とは、キリスト教社会が表面的に示すイメージ、建築、構造に対して、廃墟的な世界を対置するという方法によって示されたのだ。

8
何らかのデモニッシュな形象として、キリスト教的シンボルに対抗して自然が回帰してくること。