2004-08-01から1ヶ月間の記事一覧

自由と義務Ⅲ

ベルグソニズムでいえば、精神とは収縮であり、物質とは弛緩のことである。それは同一のものにおける収縮と弛緩の状態にあたる。それではそのように捉えなおすとき、義務とはなんだろうか、義務の意識とは自己の拘束であり、収縮にあたる。そこに収縮するた…

自由と義務Ⅱ

1. 柄谷行人は自由と義務の意識について次のような統合をプログラムすることを意図しているものなのだ。 カントは、自由は義務(命令)に対する服従にあるといった。これは人を躓かせるポイントである。なぜなら、命令に従うことは自由に反するようにみえる…

自由と義務

1. 義務、そして道徳的債務の意識を習慣的なものから引き離し、純粋債務において見る、真に個人が為さなければならない債務−義務化の意識を、人間的−身体的に純粋抽象させようとするのが、まだベルグソンの提示した純粋身体性の享受の意識であったといえるも…