2005-01-01から1年間の記事一覧

道徳感情論

道徳感情を具体的に可視化することによって、人々にそれに主体化させるように、社会機能を作り出すこと。近代のある時点から、またある時代まで、映画という装置がこの機能を担った。これは社会学的に見られたときの『近代文学』の機能の延長上に存在した装…

『ALWAYS 三丁目の夕日』−シネマと道徳感情の装置

『ALWAYS 三丁目の夕日』という映画が流行っているとの情報を得た。いいという人が多い。テレビの情報番組などを見ていて評判がいい。一般によく流通しうる映画の中で、いいものを発見するという楽しみが分析の面白さの中には必ず含まれるものだ。映画を知的…

アラン・バディウ『倫理−悪の意識についての試論』

しかしそれにしても「現代思想」というジャンルはどこへいったのだろうか。終わったのか。あるいは最初からそれは存在していなかったのか。あんまりチェックもしたことがないのだが、近年に日本でも翻訳されて紹介されてきたはずの何人かの新しい名前という…

三つの普遍性

ジジェクは普遍性を巡る様相について、それが三つの普遍という種類に分類して見ることができると述べている。 これまで見てきたような行き詰まり状態が教えてくれるのは、を織りなす構造が、一見したよりも遥かに複雑だということである。この普遍であること…

カテゴリー

ちょっとサイトの全体的縮減を図る。まずサブに置いていた雑記用のブログ(十字路茶屋)を削除する。はてなダイアリーの「カテゴリー」機能に目ざめる。はてなのシステムは自分でも使いながら殆ど研究してこなかったんだが、色々裏技も発達してるみたいだか…

欲望された普遍性−普遍性を欲望するための二つのケース

自己否定 → 普遍性固有名 → 普遍性 しかし、普遍性を固有名によって可能にするとは、どのようなことをいうことになるのだろうか。ここには、普遍性概念を維持してきた宗教の歴史にとって、ある異和を発生させる契機が必ずや含まれることになるものだ。柄谷行…

神と他者の意識

超越論的動機は、「旅」や「探検」への動機とは異質である。つまり、差異や多様性を体験したいという動機とは正反対である。だから、レヴィ=ストロースは「旅と探検家がきらいだ」と書きだすのである。だが、超越論的動機が、「旅」や「探検」と切りはなしえ…

モーゼのイメージ

一般に、世界宗教は、偉大な宗教的人格によって開示されたものだといわれている。しかし、そのような人格と弟子たちとの関係は、けっしてフロイトのいう「感情転移関係」をまぬかれるものではない。つまり、世界宗教も集団神経症によってのみ可能なのだ。だ…

超越論的動機=ブラックボックス

1. 世界宗教の「始祖」たちの出身は、オブスキュアである。いいかえれば、彼らは共同体が保証する根拠をもっていない。彼らは、シャーマンではなく、英雄でも天才でもない。つまり、彼らは共同体の物語や言説から逸脱している。しかも、それに明確に対立して…

権力のゲームと普遍性概念の所在

1. 権力批判として現れた世界性の観念も、いつでも再び権力の側に転じうる。どちらがより包括しうる大きな世界性を示しうるかというのは、それ自体権力の交替を巡る社会闘争の条件になる。一次的に権力の立場から誇示された世界性を、ネガティブに転じること…

世界性の起源

1. 他者と対峙するにあたって、宗教的に問題を見るやり方として、まず大前提としての、1)他者を殺してはいけない。 という一次的なる根源命法があり、2)しかし実践的には、他者を殺さなければならない。(そういう時も必ずある。)しかしそのとき行為の宗教…

世界宗教の問題

1. 柄谷の定義する他者とは幾分、特殊な他者の規定を用いている。 『探究Ⅰ』において、私は、コミュニケーションや交換を、共同体の外部、すなわち共同体と共同体の間に見ようとした。つまり、なんら規則を共有しない他者との非対称的な関係において見ようと…

柄谷行人の『探究』の成立

1. 柄谷行人にとって、過去に自分が書いた認識を撤回するとは、どのような条件によって可能になっているものなのだろうか。そこには幾ばくかの不思議が残っているのだ。我々がもう既に、よく知るとおりに、柄谷行人の軌跡とは揺れ動いてきた。言った事を変更…

『シンドラーのリスト』をはじめて見てみたのだが

スピルバーグの『シンドラーのリスト』をDVDで借りてきてはじめて見た。この映画の評判ばかりは以前から聞いていたものだ。評判では、この映画こそがスピルバーグの最も重要な作品であるといったような調子であったと思うのだが。スピルバーグについて特に意…

LIVE8−さて今年の収穫とは?

今年の7月のはじめに20年振りのライブエイドとしてライブ8が開催された。前回の時はテレビで派手な宣伝が為され、フジテレビは一晩中をかけてその模様を実況放送したものだったが、今年のものは、実況についてはすべてインターネットを通してということで、…

20年後に『それ』がまた開催される

85年にライブエイドという大きなイベントがあったのを記憶してる人も多いのではないだろうか。イギリスのバンド、ブームタウンラッツのボブ・ゲルドフが発起人となって、ウッドストック(69年)以来という大規模ロックコンサートがチャリティを目的として行…

ストラトキャスターがかつてはギターの王様だった時代があるのだな。70年代に。

ストラトキャスターを弾きこなすための独自のテクニックを調べていて気がついたことを書いておこう。前述のようにフェンダー社の今まで誇ってきたオリジナルストラトキャスターのスタイルとは、21フレットのネックを基本として維持していた。しかしフェンダ…

Musical Batons

id:lovelovedog さんより回ってきました。こういうのが流行ってるんですか。少なくとも不幸の手紙の流行でなくってよかったです。不幸の手紙はネットではやめときましょう。こういう回覧板みたいなのとは、あんまり縁がなく今まで勝手にやってきましたが、今…

ジミ・ヘンドリックスと新しい啓蒙主義

サイケデリックと呼ばれるカルチャーにとって、ジミ・ヘンドリックスの音とは代表的なものとしてよく挙げられている。サイケデリックの定義とは、もともとLSDの大量投与を人格解放療法として考案されたものが、大学の研究機関から追放され、メキシコにサイケ…

エレクトリックギターの登場

1. 黒人コミュニティで発達させられたブルースは60年代の後半になるともはや、ラジオ電波の波と拡販されたビニールレコードの出荷によって、至る場所へと浸透をしていた。知らず知らずと口ずさんでいるメロディがブルースのものになっている。三つのコードで…

Dire Straits=ダイアストレイツの『悲しきサルタン』−ロンドンタウンの、祭りの後で

1978年、ロンドンから出てきたバンドはレトロスペクティブなブルースを、控え目で地味な音で奏でながら一躍脚光を浴びた。1968年には既に明確な形式が確立されて認知されていたといえるロックというジャンルの形式は、そこの10年間でもう爛熟を迎え、一回突…

グッバイ、鶴巻町−精子ちり紙で拭く

左翼的思弁性の形而上世界に対して、そこに本当に唯物的なリアリティが入ってきてしまうことは必ずしも幸福な事態とはいえない。形而上的思弁性の維持のためには、現在のリアリティをある意味、見ないですましてしまえる思弁性のシステム、常に未来の革命、…

奴の悪循環

鎌田哲哉は『構想と批判』におけるスガ秀実論において、「奴の悪循環」というポイントからスガ的批評の特徴を論じている。スガ的なロジックの性質とは、まず批判すべき問題となっている対象の論理構造内において、そこでは何が「内−外」の分割として組み立て…