LIVE8−さて今年の収穫とは?

今年の7月のはじめに20年振りのライブエイドとしてライブ8が開催された。前回の時はテレビで派手な宣伝が為され、フジテレビは一晩中をかけてその模様を実況放送したものだったが、今年のものは、実況についてはすべてインターネットを通してということで、テレビの表立った舞台上では最低限の宣伝しかなかった。日本のライブエイドに向かう意識とアメリカとヨーロッパの一部におけるライブエイドに対する意識とは、相当違いがあって、どうしてもこのようなヨーロッパ的イベントは日本では扱いにも限界があるのだろうが、今年のものも巨大な音楽の祭典として、それなりの実質的内容を誇れるものとして実現されただろう。僕はネットでこのイベントの模様を追った。今回の場合、ネットの機能をフルに活用され、前回はロンドンとフィラデルフィアの二都市開催だったが、今年は、その二つに加え、パリ、ベルリン、ローマ、トロント、東京と、更に規模を大きく拡大した。ネットでは(AOLのラインだが)これらの中で東京を除く六都市のコンサート実況が、リアルタイムで、同時に中継されビデオストリームでそれを見ることが出来たのだ。ネットの進化の中でもこれは画期的な事件だったろう。今年の春にホリエモンのフジ買収騒動の時に、ネットとテレビの融合という理念が盛んに叫ばれていたのは記憶に新しいが、現実にテレビが複数のチャンネルとしてネットに入ってくると、こういう感じになるのかというのが、よくわかったのだ。AOLの画面では、横に各都市のチャンネルが表示され、任意に自分の見たい場所を選択して、即時にそのコンサートをストリーミング中継させることができる。ロンドンから、フィラデルフィアへ、そしてパリへ、ベルリンへ・・・というように。ネットで複数チャンネルのテレビを使い分けるとはこういうことかといいうのが、はじめてよく体験された。

今年のライブ8で話題的に受けたのは、ピンクフロイドの再結成ステージだったみたいだ。ポールマッカートニーもよかったし、ハードロック調で演じられたスティングもよかった。スティービー・ワンダーエルトン・ジョンといった大御所もよかった。新しい若いバンドも多数出ていたが、それらはどうも僕にはピンとこないのが多かったのだが。やっぱりロックはもう完全に終わっているジャンルであり、それは終わることによってクラシックとして定着したものだからだろうか。トロントで出演したディープ・パープルは強烈だった。メンバーはもう明らかな爺さんである。イアン・ギランが顔を真っ赤にしながらハイウェイスターとか必死で歌ってるのだ。最もおぞましかった老人バンドはモトリー・クルーだろうか。単に爺であるばかりでなく、彼らはからだ中に刺青しているので、それがあまりに汚らしく映るのだ。ボーカルのヴィンス・ニールなんてもう子豚みたいな感じで、往年のヒット曲をやったのだ。実況中継中は僕は途中で疲れて寝てしまったが、それらライブ8の全容とは、AOLでアーカイブとして後から見ることが出来るようになっている。

僕も後から何度かこれを見直したが、今回のイベントで新しく知ったバンドで、これは良い!というのが一つあったのだ。ブラック・アイド・ピーズというヒップホップ・ユニットである。二年位前には全米一位になったヒットも出してるみたいなのだが、これは面白かった。四人組のラップユニットで、黒人二人に、TABOOという名前のネイティブアメリカンが一人、そして紅一点でFERGIEという女の子がめちゃカッコいい。Black Eyed Peasだが、まず彼らの何が面白いのかというと、彼らは明らかにアメリカのアナーキスト文化の中から出てきたラップグループだということである。ロスから出てきたユニットだが、アメリカにおける左翼文化の現在的な水準というのが、ブッラク・アイド・ピーズから相当伺うことができるのではないだろうか。全米一位になったシングルが『Where is Love?』という曲だが、この曲のビデオクリップが面白い。メンバーがみな黒ずくめの格好をして改造したバスに乗り込み、自由ラジオを流しながら、街中にメッセージを送っているのだ。ビデオの中で反復するイメージになってるのが、ゲバラの顔の壁に書かれた大きな落書きである。なんとこの曲が全米一位になってしまったという事実もすごいが、彼らはメッセージ的には至ってシンプルで、民衆的で最もわかりやすいヒューマニズム的なベースによって歌っている。日本では、だめ連界隈にあるような左翼文化が最もこれに近く対応してるのではないかと思うが、レゲエやレイブカルチャーと左翼が交差するところにある精神性で、世界的に左翼の水準というのが、こういうところに共通して出ているのかと、それがよいか悪いかは別にして、妙に納得される文化形態なのだ。ブッラク・アイド・ピーズを見て心打たれたのは何よりも、彼らのライブの迫力である。これはAOLで見れるのだが、このユニットの放っているエネルギーは素晴しい。特にファジーというお姉ちゃんのパワーがすごいのだ。アメリカの左翼文化の現在、特に最も民衆的なレベルでのそれというのが、こういうところにあるのかと理解できるし、そして何よりもいいライブである。最後にスペシャルゲストで、ボブ・マーリー亡き後のレゲエ界の重鎮、スティーブ・マリオットが登場する。

しかしライブ8の熱気と興奮も、この数日後に起きたロンドンのテロ事件で一気にかき消され、冷えてしまった感じだ。安易なお祭りであるが故に、巨大な熱狂を瞬時にそれは、ロックの力を借りて組織できたのだろうが、同時にそのような安易さによって、熱しやすく冷めやすいお祭りの本質というのも、露に理解されたものだった。結局何も起こらなかったのだろうか?まぁ、それはそうなのだろう。改めてイベントの本質について問われるものかもしれない。ボブ・ゲルドフに改めて問う。もっとラディカルに本質的なイベントを企画すれば、こういうシラケにも負けない熱さを我々は、世界中で共有できるようになるのではないか?と。