2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

人間性と自然性=自然と反自然の循環式

1. 柄谷行人の『倫理21』において最終的にはこのようなメッセージが論理的に導かれることになる。 一つだけ念を押しておきたいのは、資本制段階からコミュニズムへの発展はけっして歴史的必然ではないということです。それはただ、「自由であれ」、「他者を…

「こころ」の二重性

倫理という位相が問題となるとき、そこでは必ず現実の把捉において何かの二重性が機能しているのがわかる。ルールを巡る二重性、法意識を巡る二重性、あるいは法と掟の分裂、善悪と良悪を巡る二重性、境界を巡る二重性、そして主体化を巡る二重性である。そ…

倫理における抽象性と具体性

1. しかし、ここにドゥルーズの引き出した倫理の解釈とは全く逆の結論を出した人がいる。それは日本の柄谷行人である。柄谷行人は、『倫理21』という本において次のようにいう。 私は、この本において、道徳と倫理という言葉を区別しようとしました。カント…

道徳と倫理の違い

1. ドゥルーズは、スピノザに即して、モラルとエチカの違いについて説明している。道徳的な善悪とは価値の対立に基づくものであり、超越的な基準を持って審判の体制を作るものであるのに対して、エチカとは、この審判の体制自体を引っくり返すものであり、生…

『個人的な体験』を巡る

大江健三郎が二十代の終りに書いた小説、『個人的な体験』において、自己欺瞞の意味について問われている。自己欺瞞を否定するがあまりに出口がなくなる自意識の持つパラドキシカルな構造が、この作品には露わなる痕跡として残されている。それは出口のない…

起きてしまった物事とはすべて必然的である

多くの人々は次のように論じるのが常である。もし万物が神の最完全な本性の必然性から起こったとするなら自然におけるあれほど多くの不完全性は一体どこから生じたのか。例えば悪臭を発するにいたるまでの物の腐敗、混乱、罪過などなどはどうかと。しかし、…

スピノチストの現在

最近はスピノザをよく読んでる。スピノザは今までも何度かトライしてみたことはあったが、どうも本格的な読みのモードに入れたということはなかったのだ。だから断片的にしか、スピノザの知識はなかった。スピノザといえばエチカということなのだが、この本…