「こころ」の二重性

倫理という位相が問題となるとき、そこでは必ず現実の把捉において何かの二重性が機能しているのがわかる。ルールを巡る二重性、法意識を巡る二重性、あるいは法と掟の分裂、善悪と良悪を巡る二重性、境界を巡る二重性、そして主体化を巡る二重性である。それはアクチャルなものとヴァーチャルなものの二重性であるのだし、意識の必然的な分裂性を何かの潜在性として、目に見えない次元で繋ぎ止めるとき、それが倫理と呼ばれるのである。

そして柄谷行人が示しているように、倫理と道徳の二重性を巡る定義の仕方とは、各哲学者によって、そして各時代によって異なっている。大方においてはアクチャルな部分を道徳と呼び、潜在的な部分を倫理と呼ぶことになるのだろう。

それでは柄谷行人は、カントが「道徳」と呼んだものについて、何故あえてそれを現代において「倫理」と言い換える必要があったのだろうか。それはあえて彼が自らのロジック、自らの語彙によって廃棄しようとしたはずの次元、一昔以前の仕来りでいえば精神的な位相における「内面的」なものが、倫理という位相として精神史的に存在してきたものといえるのだ。倫理とはこのとき、切り捨てられたはずの「内面性」のことである。あるいはそれは内面性の補完物のことであるともいえる。そして、精神的な位相における内面的なものとは、明治の知識人、夏目漱石にとっては「こころ」の位相の事である。漱石においては、倫理とはそのまま内面性の事を指していたものだ。

漱石にとって、そして漱石の時代にとって内面性(こころ)と倫理の区別はまだなかった。なぜならその時代にはまだ、道徳の価値が自明なものとして流通し、権力が強かったからである。漱石は道徳という名の権力によって抑圧され、日陰に追いやられた心的な位相の構造を見ようとした。夏目漱石が「こころ」について問題を構築したとき、やはりそこでは、必然的に分裂する認識の潜在的な次元による統合ということが問題になっている。それは日本人の精神史にとって、明治の時代に、近代化によるシステマティックで機械的な人間統合が最初に現れた時に社会的な症候として明らかになったものだろう。漱石は「心」と書かずに、それをあえて「こころ」と平仮名で表記したのだ。

スピノザにとってエチカとは、まず生活法に根ざす態度の事であった。宗教的な掟の強制力と道徳的な克己の想像的な幻影に対して、それは生活における現実性に根ざすための条件を法則的に明らかにしようとしたのだ。それは宗教的=道徳的な扇動の力にあらゆる意味で対抗する、具体的な条件である。カントはそれに対して、もっと社会的で公的な場面において、生産的な交流が起きるような場面において、モラルという位相を考えている。

柄谷行人はカントにおける公共性を引き継ぎ、自由とは義務である、そして義務とは自由であるというテーゼを考案したのだ。しかし義務であるからには、そこには必ず従属すべし対象性が伴う。結局それはどのような従属になるのかというと、他人の言ったことに従うということの連鎖の中に、実践的自由の根拠を見ようする営みになるだろう。他人に従うことの連鎖する方向性のうちに、実践的に個人が自由を切り開ける道を開こうとする。しかしそれが単に共同体的な規範およびその内面化という所には帰着せずに、従うルールを捉えられる位相が、常に共同体の境界条件としての社会性および歴史性に沿って開かれうるようにしておくこと、というのが、義務=従うの観念にとっては見出されるはずだった。

それに対して、自由とは欲望する能力にあるというドゥルーズスピノザ的なテーゼが生じる。しかし、実践的自由の条件、すなわち道徳法則の力によって自由の空間を形作るというカント的な構想とは、やはり相当に現実性に根ざしたプラクティカルな物の考えであってそう簡単には、ここにある「従う」の価値が飛び越えられない。そして自由を欲望能力として見出すことは容易いが それだけでは実践的な社会構成の条件としては不十分であるという壁に突き当たることだろう。

しかし提示される「従う」価値の中には、やはり依然として妙な詐欺的な要素も残ることだろう。その疑惑は常に生じうる。人間と人間の関係性において。従う価値によって形成される組織性、集団形成には常に怪しさが付きまとうことだろう。それは啓蒙を自称する洗脳的な構造になるのかもしれない。しかし現在の民主主義社会の段階にあっては、そこに危うい従う価値の共有集団が出来上がったとしても、まずそれは社会全体的な影響力としてファシズムを形成してしまうということもなく、島宇宙性として分散して、しかしミクロには持続しているというのにすぎないという限界的な装置も物理的に所有するのだが。

従うではなく、欲望する事に社会行動の根拠を転位させようとしたのが、ドゥルーズガタリの理論的構築であったのだ。しかし、ただ欲望してるだけで何かが出来るかというと、やはりそんなこともありえない。問題なのは、欲望しながら待っていても、そこには何も降って来ないということだ。

実践的な行動条件は、何かの覚悟性(ハイデガー)であり、振り切りであるという要素が必ずやつきまとう。それは大抵の場合において何かの「反自然」的な振り切りである。 しかしその振り切りもまた、社会的な構成の前では、再び社会的自然の中に取り込まれる。覚悟−行動であっても、それが再び社会的な生成として手を放しても解放しうるように機能するよう、予期して計算しなければなるまい。