倫理における抽象性と具体性

1.
しかし、ここにドゥルーズの引き出した倫理の解釈とは全く逆の結論を出した人がいる。それは日本の柄谷行人である。柄谷行人は、『倫理21』という本において次のようにいう。

私は、この本において、道徳と倫理という言葉を区別しようとしました。カントは一貫して道徳的=実践的という言葉を使っていますが、彼が道徳的とか実践的という言葉で意味しているものは、通常の意味とはかなり違っているので、私はむしろ、それを倫理と呼び、道徳という言葉は通常の意味で使いたいと思うのです。すなわち、道徳という言葉を共同体規範の意味で使い、倫理という言葉を「自由」という義務にかかわる意味で使います。断っておきますが、これは一般的に承認された定義ではありません。たとえばヘーゲルは道徳を主観的なものとし、倫理を習俗規範(家族・共同体。国家)として上位においています。だから私の区別とはまったく逆です。しかし、これもヘーゲル独特の区別であって、一般に通用しているわけではありません。ふつうは、道徳と倫理はほとんど区別されていません。また私自身も、道徳と倫理という言葉を区別なしに使っている場合があります。要するに、大切なのは、言葉遣いにこだわることではなくて、それによって何がいわれているかを区別することです。

柄谷行人によって示されたスピノザ決定論は、スピノザが自由意志を否定したこと、しかし人は自然(情念)の原因を知ろうとすることができるのであり、認識のみが自由をもたらす、認識しようとする意志のみが自由であるというという点において、スピノザのロジックを踏まえている。スピノザにおいては、いわば認識することこそが「エチカ」だということになる。柄谷行人スピノザのこの立場が、マルクスにおける資本論の序文の立場、すなわちマルクスの示した、人間を強いている関係構造の認識としての「自然史的立場」のマニフェストに等しいということも示している。

しかし柄谷は、スピノザのこの立場が現代思想でいえば、構造主義の立場にあたっているという。そして構造主義の抱えた問題は、同時にスピノザの持っていた盲点にもあたるという。それは、主体や倫理や自由が、そこでは消えてしまうこと。構造主義的な思考を保持しながら主体性をどのように取り戻すのか、それがいわゆるポスト構造主義の課題だったとしたら、それを実際に示したのは歴史的な文脈で言えばカントであるというのである。

2.

自由という言葉は、ふつうにいわれてるものとは違います。自由とは、他に原因がなく純粋に自発的・自律的であるということです。もし人が共同体の規範に従うとすると、それは他律的であって、自由ではない。また、従うという意識さえなく、それは当たり前のように思ってそうしているとしても、同様です。自由は、純粋に自発的な行為ではなければならない。一方、功利主義的な考え方では、行為は身体的な欲求や他者の欲望に規定されているのだから、自由ではありません。 では、われわれは純粋に自発的という意味で自由であることができるか、というと、本当はできないのです。というのは、私が自由に選択したと思っていることでも、実際には、意識しないような諸原因にもとづいているからです。 ・・・では、自由あるいは主体は存在しないのだろうか。カントは、それは実践的(道徳的)な次元でのみ存在すると考えました。そして、それは義務あるいは至上命令に従うことにおいてあるというのです。これはおかしい、命令に従うことがどうして自由なのか。このことに躓いてカントを批判した人たちがいます。しかし、カントがいう至上命令とは、「自由であれ」という命令だと考えればよいわけです。そのような命令あるいは義務によって、はじめて「自由」という次元が出てきます。それは、原因に規定される世界からは出てこない。あるいは、認識のレベルからは出てこない。「自由であれ」という命令によって、はじめて、「自由」であること−実際はそうでないとしても−がもたらされるのです。

ここで柄谷行人の言っていることは実は不明である。これは何かを言ってるように見えて、実は何も言っていないからである。 自由とは命令に従うことにおいて、ある。それは自由であれ、という命令である。カントのロジックの欠陥とはこのように解釈すれば解消されると柄谷は言うのだ。

ここで柄谷行人のロジックが何処から出てきたものなのかを知るには『倫理21』の記述を辿っていくと手掛りも見れる。「至上命令」の出てくる起源について、柄谷いわく、カントはそれについては語らないといっている。しかしもともと近代哲学の起源において、その根拠は「神」であったということも示唆している。つまりそれは神の系譜的な痕跡であるとも見れるのだが、しかし柄谷によるとカントの考えでは神は斥けられているということになっている。そして柄谷行人の場合、近代哲学の初期に見られた超越論的な位相が、神という存在概念ではなく、自由という概念によって置き換えられている。

柄谷行人は言う。スピノザ構造主義に対して、カントは「自由」を取り戻そうとした。つまり、カントはいかに人間が原因に規定されているかを熟知した上で、自由を確保しようとした。そこから出てきたのが、自由は決して「自然」からは出てこない、という結論になっているのだ。 カントの論理とは、自由が自然からは来ず、当為(義務)から来ることによって可能であるということ。これがカントによって示された実践的な自由の行為の次元である。そして実践的であることは(現実に、社会的であることは)、道徳的に行為することによって可能になるということである。

意識の義務的な習慣として振り返られ、主体に突きつけられるところの、自由であれ、自由であるという存在の条件が、別にそれは何ら楽観的なイメージではなく、むしろそういうときの自由とは、過酷で残酷な条件も含んでいるのだということを、自由の条件について柄谷はサルトルの示した自由の条件を参照しながら語っている。すなわちサルトルにとって、人間とは自由の刑に処せられているといったときの、自由の客観的であるのと同時に過酷な条件である。自由とは必ずしも積極的なものではありえず、むしろそれは大抵においては消極的な実在性であり、自由という名の空虚な入れ物のようなものであるということ。

3.
しかしここで我々はもう一度スピノザに即して考えてみよう。 スピノザが主張したのは、自由とは決して超越的な要因からは出てこないものであること。超越的なものを自由の原因と考えてしまうのが、人間の意識が錯覚するもとなのである。それとは違って、自由とは内在的な要因によってのみ、働きをなすものである。内在的な要因とは、必然性を認識する働きである。 つまり、スピノザにとって、自由もまた明らかに自然の一部なのだ。

それでは、自由を行動としてもつ動機となっている自然の部分とは何処に求められるのだろう。スピノザにとって、それは感情の根源的な基本要素に属するところの「欲望」によってであるということになっている。それは要するに、命令によって(命法の存在によって)人間の意識とは自由に気づくことはできないということなのだ。スピノザにとって、自然を意識の中に反照させて抱え持つ肯定的な感情とは欲望である。そしてそれが混乱し、よくないコントロールの取れない動きとして人間の中で認識されているときは、それはまだ衝動である。

スピノザにとって「従う」ことの位置づけとはもともと自明な事実であった。そもそもスピノザがいったのは自由意志は存在しないという事なのだから、スピノザにとって従う事の価値とは当然の前提であったのだ。ただカントと異なっているのは、カントにとって従うべきと考えられたものとは「義務」であったのに対し、スピノザの場合はもっと内的な次元にあったということだ。スピノザは、従うべきものとは、理性の命令だとしている。そこで理性の命令とは、人間の本性に従うことである。

スピノザにとって、従うこと(サブジェクトする)ことの価値とは元から自明なことであった。自由は存在しない、我々は自然および社会的な自然として見出される機構的なメカニズムに対して従うしかない、そしてそこにある必然性を認識することによって、逆に出来うる限りの実質的な自由を、人間は手にすることができる、享受することができる。必然性を認識することによって、我々は自らの運命を良い方向にずらすということだけができる。

それが個人にとって、できるかできないかという能力の有無も、やはり必然的な連鎖の中で見出される。確かにスピノザのこの決定論のうちからは、ニヒリズムも導かれうるだろう。カントはスピノザだとニヒリズムになると考えた。スピノザ哲学の乗り越えとは、近代ヨーロッパの哲学者にとってみな課題とされたものである。ヘーゲルは、スピノザには主体がないと考えた。シェリングは、スピノザには自由がないと考えた。フィヒテスピノザの唯物的で対象依存的な性質を批判した。

4.
あえて言えばこういうことになるだろう。 スピノザのエチカにおいて問われているのは、個人と神の絶対的関係としての、自然の連関の分析であって、そこに相対的な他者の次元、社会的に共同性が形成される場面の考察が抜けているということになる。スピノザもやはり、神学の伝統的な条件を継承しており、人間は基本的に「従う」べきだと考えていた。それは神の摂理に従うことだが、それはつまり理性の命令に従うことであり、理性の命令とは人間の本性に従うことに他ならず、個人は自己の本分を内省し認識することによって、それに到達することができる。

しかしこの考えでは、結局、自己と神=自然との関係の中でしか内省されえないのであるから、どのような自然の認識と結論を自己が勝ち取っても、それが社会的な場面で言われるときは、自己の意見でしかないということになる。自己と神=自然の絶対的関係の中では、結果的には自己しか見出されないのだ。カントが気がついていたのは、哲学におけるこのような傾向であったといえる。