ファイン・ヤング・カーニヴァルズの『Johnny Come Home』

1.
ロックという表現形式がイギリスであらゆる階級を覆い尽くした頃、それが即ち80年代であったが、音楽のジャンルも多様を極めた。ニューウェイブと呼ばれる動きはロックという形式の単純化の運動を、レゲエ、スカといった原始的な形式化から再び接近していったわけだ。

音楽の形を単純化することによって再発見する、これが全体的な運動の原理である。これまであったあらゆる音楽形式はそこに叩きこまれうるし、電子楽器を使った新しい抽象化の波もテクノポップとしてその列に加わった。ロックというジャンルはその最終的な多産性を80年代に迎える。それは若者たちの運動として担われる。

政治的な運動としての連続性をそこで引き受ける波もあったが、多くはやはり脱政治化する流れの中で、自己をみつめ、内面をみつめ、性を見つめる、生活を見つめるという素朴なリアリティの中で引き受けられていく。


2.
管楽器を中心としたジャズを単純化し短絡的なリズムによって接続することでスカビートの古典回帰的な運動を見せたのが、マッドネスやスペシャルズといったバンドであり、スペシャルズは黒人との混成バンドだが、マッドネスの場合は白人バンドだったものの、もうその頃既にイギリスでは概念のはっきりしていたニートや無職者、ひきこもりといった問題系をリアルにイギリス社会で表現するに至っている。

70年代終盤にその第一波が訪れたロンドンニューウェイブの多様性の波は、きらめくように様々な音の筋を誘き寄せては、80年代という時代の後半戦まで引っ張っていった。

プリテンダーズのようなロカビリーへの新技術による回帰を使った白人バンドもこのニューウェイブにはあった。もっともプリテンダーズの場合は、クリッシー・ハインドという革新的な女性にロカビリー的なものを再生させたという特殊な局面もあっったものの。

他にも影響の元はアメリカの黒人音楽にあり、ディスコでありダンスでありモータウンでありといった音の種類も、イギリス人に影響を与えると、そこでアメリカの黒人に強いられていた成金的で成り上がり的な派手で金のかかった演出性は消え、労働者階級の地味な実態を素直にソウルビートに乗せて表現するようになる。

そこで生まれたのは労働者階級と被さるマイノリティーの新しい音楽であり、ゲイ、レズビアンの自己表出運動として彼らはアメリカの黒人音楽を使っていた。


3.
アメリカの国内では資本主義的な上昇志向の運動としてその本来的なマイノリティ性を削がれた形だった黒人のダンスビートは、イギリスではコミュナーズのような階級的マイノリティーの自己表現として、白人も黒人もアジア系も問わず混交した形で、それらは自己肯定的な音楽の束としてムーブメント上に現れた。

黒人青年のファルセットに白人のリズムセクションといった井出達で80年代後半のロンドンのシーンに現れたファインヤングカーニバルズの音楽もそこで衝撃的だった。アメリカの黒人音楽の表面的様相とは異なり、彼らは主体の貧しさを隠さないのだ。

彼らは労働者階級であることを隠さないし無為であることも隠さない、リアルな実存に到達しようとする。片一方でパンクムーブメントが直接的な政治性を失っていっても、その素直に実存と生活を見つめる目によって、逆の方面からまた新たな政治性が発生している。そしてこんどの政治性はリアルであるというのが、当時活躍したコミュナーズやファインヤングカーニバルズの位置づけであり、その流れはその後のアジアン・ダブ・ファウンデーションズなどのハイブリッド系ヒップホップにも素直に繋がっているというのが音楽史的な流れにあたる。