E=MC2

ミック・ジョーンズは、イギリスでパンクロックの草創期を生きた群像にあってクラッシュのギタリストだった人物だが、クラッシュの音楽がその生成とサイクルを一通り終えた後に、その史的役割を終えるようにして消失していくのとともに、ジョー・ストラマーらの他メンバーから解雇され、別の音楽活動に移っていった人物である。

しかし、ミック・ジョーンズの音楽的貢献はどこへいっても深く、マイナーな映画監督だったドン・レッツとともにビッグ・オーディオ・ダイナマイトを結成すると、その音楽は演劇性と物語性を増すものとなった。ロックの枠組を広げオーケストラ的な編成を為すロックへと音楽の相が変貌していくのだが、そこには一貫した理念が続いていたというものである。

ミック・ジョーンズの汲み上げる音楽的な背景と物語性が、イギリスでは以前から続く民衆の生の社会主義的な観点から構成される世界像であることは一貫していて、見えない社会主義、あるいは来るべき社会主義へと向けて社会の底辺部からビジョンを接続させる試みに、音楽が試されている。



イギリスの伝統的な社会主義文化を継承するのが結局、ミック・ジョーンズのような人物像であることについては、イギリス社会の厚みとして存在している物語群像の数々が民衆的な地平の地べたへとヒーローの行為を呼び戻すものとして空気のように取り巻いていることへの、物語装置の厚さが、彷徨える魂を必ず隣人としての民へと回帰させる仕組みによるものである。

音楽を作るためには母国語の物語の中にその装置を探し求めなければならない。イギリスの風土において必ず民衆の中にそれを呼び戻す装置が強固に機能している。

一方ではケン・ローチの映画のように社会の内在的な厚みを再構築する営みにその芸術性は捧げられ、もう一方ではデレク・ジャーマンのように社会的な閉塞の度合いを相対化する為に更なるマイノリティーの存在を社会的底辺から招き寄せ内在的な出口を探り出す芸術の使命となり、それらは民衆であるかマイノリティーであるかの違いがあるとはいえ、呼吸をする生きた存在と他者の姿が、装置の厚みを潜り抜けた末取り戻されるようになっている。

イギリスの風土においては音楽の存在もまた同様に、原点であり地べたの存在へと再び魂を呼び戻す装置が社会的な厚みとして完成されている。かくして社会主義的な感性とは、イギリスの民衆において根強い歴史的な厚みの存在である。

パンクロックの破壊性が再びその歴史的伝統に戻ってきて違和感がないとは、ミック・ジョーンズ個人の意志によるものというよりも、彼の探し求める物語が取り巻くもっと分厚い社会的装置が必ずや彼のような表現者を同じ懐のうちへと回帰させてしまうのだ。

80年代にチェルノブイリ事故の影響を受けて作られたビッグ・オーディオ・ダイナマイトの楽曲は、当時のヨーロッパを覆った曖昧な不安の位相を鋭く現前化しているものだ。曖昧な不安が目に見えて取って触れるほどの近しさをもって瑞々しく我々の視線の懐に、そこでは晒されうる。