2004-01-01から1年間の記事一覧

重力の幻想

1. 「ドイツイデオロギー」の冒頭においてマルクスはこのように宣言しているものだ 人間は自分たちが何であるのかとか何であろうとしているのかとかについて、自分たち自身にかんして間違った観念をこれまでいつも自分たちの頭の中にこしらえてきた。神とか…

過去自体の存在論Ⅲ

1. ドゥルーズは過去自体を巡る態度のとり方において、ベルグソンとプルーストの差異を提示している。まずドゥルーズは意志的な記憶によって構成される現在と関連付けられた過去の想起に対して「無意志的な記憶」の働きというのを対置している。過去自体の存…

過去自体の存在論Ⅱ

現在とは空隅を含む時間の存在である。現在とは時間的な前提の上にある、ある浮遊性として想定される。そして現在とは流れていると同時に漏れ続ける存在の進行である。それは空隅を含むが故に、流れていると想像されるイメージで語られるだろう。しかし時間…

過去自体の存在論

過去が記憶の損傷として固着しているとき、そこでは悪い重力を発しつづけている。過去とは記憶についての解釈によって主体にとって成立している。過去とは錯綜する解釈の体系によって身体的な内在を構成している。そのような解釈とはまず第一義的にはイメー…

命令の地位Ⅱ

命法連関=命令−服従の二項形式の中にあくまでもその機械連関の延長上に、自由を実現すべきであると考える。その逆にあたるのは自由とはこの命令ー従属連関の外部にこそ、それは目に見えないものとして存在しつつも確実にあるものとして認めるべきであると捉…

命令の地位

命令−−つまり命法の形式とは、社会の中で偏在している。我々は命令の存在について、それと知らぬ場所でもそれと知らぬ瞬間に、無意識的にも出遭い続ける。また無意識的にも再生産し続けているものだ。我々のひとりひとり個人の存在とは、そこでは命令される…

自由と義務Ⅲ

ベルグソニズムでいえば、精神とは収縮であり、物質とは弛緩のことである。それは同一のものにおける収縮と弛緩の状態にあたる。それではそのように捉えなおすとき、義務とはなんだろうか、義務の意識とは自己の拘束であり、収縮にあたる。そこに収縮するた…

自由と義務Ⅱ

1. 柄谷行人は自由と義務の意識について次のような統合をプログラムすることを意図しているものなのだ。 カントは、自由は義務(命令)に対する服従にあるといった。これは人を躓かせるポイントである。なぜなら、命令に従うことは自由に反するようにみえる…

自由と義務

1. 義務、そして道徳的債務の意識を習慣的なものから引き離し、純粋債務において見る、真に個人が為さなければならない債務−義務化の意識を、人間的−身体的に純粋抽象させようとするのが、まだベルグソンの提示した純粋身体性の享受の意識であったといえるも…

ガス・ヴァン・サントの『Good Will Hunting』

ツタヤでガス・ヴァン・サント監督の少し前のヒット作であるらしい「グッド・ウィル・ハンティング」のDVDを借りて見る。ヴァン・サントは「ドラッグストア・カウボーイ」の成功で最初に出てきた人だった。「ドラッグストア・カウボーイ」は僕も好きな作品だ…

構造主義と時間の空間化

1. 空間化とは、自然発生するのと同時に、社会体の維持にとっては必然的かつ絶対的に強いられている次元にあたる。空間化を共同的に、客観的に提示しうることは、社会の立場から生活体系を確定化する営為にもあたっている。空間が発生的な生成の柔軟なる基底…

ベルグソニズム

1. ソラリスの海の様に不定形のマグマ状の流動の中に還元して世界を見れるとしても、それはあくまでも断片的で極端な視点に止まる。すべては煎じ詰めれば結果的に一であるからといって、我々はいつもそこから始めることは出来ない。それは無意味な還元主義に…

惑星ソラリスの憂鬱

ベルグソニズムについて最もよく説明しうるイメージとは、タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」にあると考えられるだろうか。記憶の中に潜む、過去に自殺した妻の亡霊と戦い続けなければならない奇妙な世界の中に、否応なく、宇宙船の中で閉じ込められてし…

DEEP PURPLE at Royal Albert HALL

DEEP PURPLE at Royal Albert HALLというDVDを借りてきて見た。最近のディープパープルがクラシックの楽団と競演して曲を演奏しているというもの。ギターを弾いてるのは、スティーブ・モースである。ディープパープルのギタリストとは、初代のリッチー・ブラ…

デビッド・リンチの『マルホランド・ドライブ』

マルホランドドライブの映像がどうにも頭から離れない。妙にあの中のイメージがこびり付いている。頭の中で反復しているのだ。デビッドリンチは映像屋の技術者としては完成されている。ヒッチコックの後継者にあたるのだろう。もともとマルホランドドライブ…

イラクにどうやらメル・ギブソンが乗り込むらしい…

という噂が出ている。昨日の朝のフジテレビ系ワイドショーでそういうニュースが流れたのを見た。メル・ギブソン自らが現地に乗り込み、パッションの上映会をやるという話が出てきたのだ。何故そのような企画が思いつかれたのかという必然性は、この映画を実…

Passion of Christ−「ヤバイ」映画について

パッション・Passion of Christのロードショーが日本でもはじまった。さっそく見てきたのだが、やっぱり普通のひとはあんまりこの映画は見るべきものではないだろうというのは、よくわかった。(いや、逆に普通の人なら観ても無害だが、精神的に何か陰翳や難…

ジョンレノンの『GIMME SOME TRUTH』

ジョンレノンの映画「GIMME SOME TRUTH」のDVDを借りてきて見ていた。これはアルバム「IMAGIN」の制作過程を、ジョンレノンのイギリスの別荘でずっと取材したものをまとめたものである。実はこのドキュメンタリー映画はけっこう面白いと思う。ジョンレノンと…

獲得的世界?

僕らはNY旅行の中で、友人から左翼系の一件本屋を紹介された。友人は過去にNYCUニューヨーク市立大学に留学していた経験ももつ。チェルシーの一角に大きなスペースを構えているセクトの本屋だった。「革命書店」という文字が入り口に出ている。これは日本…

ドストエフスキーからシュワルツネガーへ

1. 重い障害物を担わされて引き摺り、民衆の見つめる道の中で歩かされるキリストのイメージとは、それによって世界のあらゆる受難を背負い込んでは前進するという、象徴的なイメージとなっている。キリストの背負い込んだ重みとは、それがそのまま世界の重み…

キリスト教的身体の系譜

1. キリスト教的な身体の構造的な組織性から来る特徴こそが、器官として与えられた身体の組織に、痛覚、そして労働としてのネガティブな負荷をかけることによって、その器官的なる組織的な膨張を刺激して与え、負荷(不快、痛覚の存在)を媒介させて、器官的…

世界の獲得という問題

マルクスによって、鎖以外に失うものは何もないと定義されたプロレタリアートとは、共産主義革命によって「世界の獲得」を可能にするという事になっていた。このときマルクスの思考にとって世界とは獲得の対象でありえたのだ。プロレタリアとは世界を喪失し…

内包と排除

1. 社会体の進化のプロセスとして、内包社会から排除社会へのプロセスというのが、社会学的に考えられている。それは共同体、あるいは都市社会とその他者性との関係性の変化として捉えられている仮説である。共同体にとっての他者、すなわち狂人や犯罪者のレ…

偽の問題

ドゥルーズは『ベルグソニズム』(66年に出版)の中で、問題の所在を正確に構成するための方法について、真の問題と偽の問題を峻別できる基準を、どのようにして持つことができるのか、という方法論の立て方を巡り、ベルグソン哲学についての再構成を図ろう…

キリスト教的身体の問題

キリスト教の文化−システムとは労働を実践行為として、世界の全体像を個人の身体性の中に取り込むビジョンを与えようとする。理想的な労働において、世界は主体にとって、労働を通して与えられる。獲得される。そのような世界の獲得と主体の全体化に関与でき…

絶対的に内包不可能なものの実在を巡って

それではニューヨークシティは、なんとかしてまた以前のようにトイレを地下鉄でも使えるように、なんとかしてその中に出入りする人間達のレベルで、「矯正」されて「更正」されるべきなのだろうか。一回都市の内的構成というのがこういう段階まで来てしまっ…

禁煙と文化、あるいは禁煙の文化とは?

ニューヨークは911の時のジュリアーニ市長--あの愛くるしい顔や身振りでも特徴的な人だったが--から、新しい市長のブルームバーグ市長へ変わった。そしてブルームバーグの取った政策とは、NY市の全面禁煙の実現だったのだ。今、ニューヨークシティへいっても…

the City of the Empire State

先週からニューヨークにいっていて月曜日の夕方に東京に帰ってきた。NYという街をはじめて見てきた。NYに五泊の旅だったのだ。まだその興奮も冷め遣らぬのだが。面白い物事も数多あれど、それらはすべて同時に論理的に何故そうなってるのかという事情につい…