イラクにどうやらメル・ギブソンが乗り込むらしい…

という噂が出ている。昨日の朝のフジテレビ系ワイドショーでそういうニュースが流れたのを見た。メル・ギブソン自らが現地に乗り込み、パッションの上映会をやるという話が出てきたのだ。何故そのような企画が思いつかれたのかという必然性は、この映画を実際に見てみればよくわかると思う。そして他のニュースで見たものとは、現在アーノルド・シュワルツェネッガーイスラエルに入っていてシャロンと面会しているというものである。

キリスト教の過激なる原点主義的な教育-プロパガンダを現地のアメリカ兵士に与えることによって、最終的なアメリカ軍の結束と精神主義的鼓舞を計ろうという事だ。これはアメリカが啓蒙的で神聖なる義務感によって野蛮なる異教徒について、やっつけにきたのだという物語を与えるものになる。しかもとても復讐的に。(911よりの一連の象徴的復讐行為がキリストの迫害への復讐行為とイメージを重ねて、アメリカ兵士には使命感を与える。)スーパーマッチョ型の身体主義的クリスチャニティというのが、どうやらこれからしばらくの間、ポストモダン型の帝国にとっての支配的基準になりそうだという予感は、現実のものになりつつあるという感じだ。

このスーパーマッチョ型の身体主義というのは、超越性の内在的体感性としては、例えそれが嘘のものであろうと(というか明らかに嘘だとは思うのだが)、感覚を絶対的に麻痺させることによって、個人のレベルでの自己否定的主体性を、傾向的に大量生産しうるという社会的メカニズムを持てるだろう。これはアメリカの帝国主義政治が、ある種末期的な局面に入っているという事情かもしれない。メル・ギブソンシュワルツェネッガーによって今まさに、こうして喚起される身体主義的なる政治手法が、この先どのような方向に導かれていくものなのだろうか、しばらくの間しかとチェックしておくべきものがあると思う。

ちなみにメル・ギブソンは実際にはオーストラリア人にあたるのだろうか?経歴を見ると彼は生まれについてはニューヨークだったが、子供の時分に一家でシドニーに移住したものらしい。オーストラリアの学校を出ている。そうえいばマッドマックスというのはまさにオーストラリアのイメージの映画だった。(製作や撮影もあれはオーストラリアなんだろうか?しかしアメリカで作っていてもオーストラリアで作っていてもどちらでも納得しうる映画ではあると思う。精神性的にはどちらかといえばオーストラリアの方に近いのかもしれないが、あのシチュエーション、あの舞台に使えそうな砂漠というのは、アメリカの中でも見つけることはできるだろう。)