2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

近代労働観の変遷−パウロとレーニンに共有された誤謬

土曜日の今村仁司シンポジウムで、桜井哲夫さんの纏めた近代労働論の概観が大変分かりやすかったのだが、会場で配られたレジュメより、ちょっと引用してみよう。 近代に至ると、近代資本主義的市場経済の前提と共に古代的な労働への偏見が崩壊してゆきます。…

今村仁司シンポジウム

土曜は台風がいきなりやってきて面倒な雨だったけれど、ナベサクさんに誘われ、東経大で今村仁司記念シンポジウムにいってきた。国分寺で降りて雨と風の中を歩き、坂道を上り丘の上の東経大へ、昼過ぎに到着。思想系では著明な学者達を集めて大学が企画した…

今週のBSをチェック

BSでドライヤーをやるみたいですね。NHKBS2 衛星映画劇場 怒りの日 1943年・デンマーク VREDENS DAG 10月30日(火) 午後1:10〜午後2:45 ガートルード 1964年・デンマーク GERTRUD 10月31日(水) 午後1:10〜午後3:02 これで月曜の昼に「奇跡」もやる…

All Apologies

カート・コバーンは94年、27歳の時に、拳銃自殺するのだが、死体から薬物反応も検出されたという。彼にとって、死にたいと思わせていた想念が何だったのかは、わからない。自殺しうる人というのは、おそらく実際に行為に移す前までに、相当数のその考えに繰…

ニルヴァーナと『移民の歌』

ニルヴァーナがツェッペリンの「immigrant song」を演奏してる映像がある。デビュー前の初期のニルヴァーナみたいだ。自宅で録音してるし、ドラムもあのフーファイターズで有名になる兄ちゃんではない人が叩いている。ニルヴァーナがデビューできるようにな…

消しゴムの頭と心における野生

脳と身体との間で引き裂かれた存在を表出する映画として、デヴィッド・リンチを挙げることができる。その自らの、消しゴム頭のイメージ=『イレイザーヘッド』によって70年代に映画を作り始めたデヴィッドリンチにとって、持て余し決して処理しきる事の出来…

『デスプルーフ』で、身体は脳に勝利したのか?

映画『デスプルーフ』は、存在に対して過剰な身体化を働きかける映画である。この作品において、何故登場人物がかくも身体化に、形象化として彫を入れ刻みを入れる身体のエロスに取り憑かれているのだろう。一つには、登場人物、それは女性の登場人物それぞ…

映画を巡る脳と身体の闘い

『グラインドハウス』というタイトルで、本来二本立て用の上映として設定されていた『デスプルーフ』と『プラネットテラー』の二本の映画には、結局どのようなテーマが共有されていたのだろうか。一つ明らかなのは、グラインドハウスという場所の性質として…

ファリックマザーからファリックガールまで

映画『プラネットテラー』において、一個のダンサーだったチェリー・ダーリンが、失った片足の部分にマシンガンを埋め込まれることによって、ファルスを持った女性として生まれ変わるというストーリーのことを考えて、そういえば斎藤環の『戦闘美少女の精神…

相撲とは何なのか?

朝青龍問題をずっとテレビ報道が追いかけていたかと思ったら、すぐさまそれは17歳力士の稽古中死亡問題の話に移り変わった。日本の国家イメージと相撲という競技の内容、特に日本の国技と云う事で伝統的IDの尊重として守られてきたその領域とは、どうして…

女がファルスを獲得する過程としての『プラネットテラー』

ホラー映画、特にスプラッター物を制作する者達の現場にとって、想像的平面と象徴的平面の区別とは絶対的なものである。映画で表現しようとしている世界と現実の世界が混同されてしまうことは、単純に狂気を意味する。同時に、ここで映画制作者は常に強烈な…

意味と『奇跡』と視線の根本的な変更

重要な本、偉大な本というのは読むという体験の質を変えるが、映画においてもそうだろうか。偉大な映画とは、見ると云う事の質を変えてくれる。視線の態度を変えてくれる。カール・ドライヤーの『奇跡』とは、世界の読み方、そして人間の読み方について、そ…

深夜に寂しき渋谷の裏側で

友人達がライブをやるというので金曜の夜、渋谷のライブハウス、青い部屋にいった。深夜から朝までやってるというので終電近い電車に乗り渋谷へ到着。青山学院の裏手で六本木通り沿いにある名前は有名なハウスである。戸川昌子がやっている店である。僕はは…

池袋文芸座にてカール・ドライヤー二本立て

火曜は池袋文芸座でカール・ドライヤー二本立てを見ていた。『怒りの日』と『奇跡』である。ビデオやDVDではなかなか見れない作品だが−置いてある所を知らない−、夕方から夜の客席はほぼ埋まる位、入っていた。若い人から上のほうまで客層は色々。前にド…

『アジアの純真』の起源

日本発の世界的ヒット曲『アジアの純真』の起源として明らかに見出すことのできる原アレンジとは、ELOの曲にある。ELO(Electric Light Orchestra)のアルバム『Discovery』が出たのは1979年だった。ポップスのアンサンブルにおける集大成として、そこで…

サイゼリヤの新メニュー

近所のサイゼリヤへいく。サイゼリヤの新メニューが大幅に変わっていた。なかなか嬉しいことだ。秋のホウレン草特集。サイゼリヤではいつもサイドメニューが趣深く、渋く、楽しいものが多いのだが、イタリアンハムのおつまみとかマカロニサラダとか、そっち…