相撲とは何なのか?

朝青龍問題をずっとテレビ報道が追いかけていたかと思ったら、すぐさまそれは17歳力士の稽古中死亡問題の話に移り変わった。日本の国家イメージと相撲という競技の内容、特に日本の国技と云う事で伝統的IDの尊重として守られてきたその領域とは、どうしても近代化できなかった領域として維持されてきたものが、遂に実体を明らかにさせるものとして情報の一般公開が求められている。実体がどうしてもヴェールに包まれている領域としての相撲界ということは、秘密裏に事を運ばなくてはならないという形式的な伝統作法の存在があることを社会的に、暗黙の強制力として示し、維持させるもののシンボルとして、その世界が続いてこなければなかったことを意味する。相撲とは単なるスポーツである以前に、精神的な領域をそこで統御するものとして、日本の社会で続いてきたのだ。

一般のプロスポーツでも会社の運営でも、金銭的な収支について、普通情報公開し、そこで金の出入りがどうなっているのかは、明らかにされるものだが、相撲界だけは、そこの点が不明瞭であり続ける。力士にとっても給与体系、横綱から下の力士まで、そして親方の給料まで、それは公務員的な給与の支給として提示されてはいるものの、相撲界の報酬とは、支援者=谷町による贈与によるものが大きな位置を占めることが、実質としては当たり前であり、いわばそういった贈与経済が世界を動かすことの証左であるものの存在として、公認に、相撲界の慣しというのは、日本の社会の中でイメージを持ってきた。

いわば、経済とは、その根底では応援(ナルシズム的な転移)によって成り立つものであり、人情から金持ちの懐までの転移が、秘密裏に動くことによって、社会的な権威の構成、名誉の構成、そして権力関係が決定していく経済と権力関係の在り方を、裏で、黒幕的なヴェールに包まれながら、美学的に意味づけるシンボルとして、相撲界という位置は、日本の経済界の中で機能していた。このシンボルの機能失調が何処かで起きることとは、明瞭に必然的な事態であった。相撲界の機能失調とは、もうずっと以前から囁かれていたことであって、何も目新しきものなどあるはずもなく、その本当の死亡宣告こそがいつ相撲界にやって来るのかという興味の方が、メディアを通じて相撲の行末を見つめている日本の人々にとっては、本質的なものである。相撲は国技であるから、文化的かつ精神的な象徴性として、国と日本の経済界によって保護されてきた。しかしそれはどのような意味での象徴であったのか。それは明らかに、経済システムの合理性の方ではなく、前近代性と非合理性を擁護するもののシンボルとして、重宝され機能してきたのだ。

相撲を近代化することは果たして可能なのだろうか。相撲をスポーツであると規定することは、既にそこに相撲を近代的な枠組で語らなければならない必然性が含まれている。しかし相撲はスポーツではないという言い方は、もはや通用しない言い方である。相撲はスポーツという枠組によって、社会的に場所を持つことができ、それ以外には、近代以降の社会では居場所が持てない。システムの前近代的な作法を保護する領域として機能していたとはいえ、それは近代的カテゴリーの一部としてしか、生存の場所は与えられないのだ。この矛盾は明らかであり絶対的なものなので、既に久しい以前から、相撲とはもうとっくの昔に死んでいたものといえる。相撲の死亡宣言など、今更出すまでのものではなく、最初から明らかであったものである。どこで実質的に相撲が死んだのかといえば、日本社会がシステムを自己維持するために、非合理性を必要としなくなった段階から、1945年の敗戦からGHQの統治によって、日本の社会とは合理主義によって生きるしか道がなくなった。戦後の経済主義的な日本社会の進展とは、そのまま相撲的非合理主義の力学が、経済上としても権力関係としても、死に絶えていく為のプロセスだったといえる。

しかしそれでも、戦後の或る段階において、相撲とは日本の社会を沸かせて活気づける重要なファクターと成り得た時期もあったのだ。戦後社会の最も重要なファクターの一つに、テレビの進展とテレビの支配構造というのがあるとすれば、日本のテレビにとって相撲中継とは、重要な核であった段階はあったのだ。日本の人々は、テレビで相撲中継を眺めながら、一体どのような想像を開花させていたのだろうか。テレビを眺める戦後の人々とは、もう既に経済的な機械的要因として、完全に合理主義的な生活に根ざしてあるものである。合理主義的にすべて物事を経済的にこなし流していく人々が、テレビの中の相撲中継を見ながら、どのような力学を確認していたのだろうか。相撲とは、テレビの中で、精神主義的な統合性のシンボルであり、相撲という儀式的な競技の在り方自体が、日本人にとっての倫理的な手引きとして参照された。相撲的な秩序のあり方、先輩後輩の上下関係から、土俵の上でのフェアネスとは、秩序の中の競争という、日本社会がその生産体系で根拠とすべき、礼儀作法から精神性までを、教育するヴィジョンとして流れ続けた。

相撲とは、礼の世界であり、礼に根拠を持ったものとしての、土俵という競争の体系であったのだ。この土俵を見えないところから支えるものとは、経済システムを、不可視の部分から維持するものの存在論に繋がるが、そのまま贈与的な経済システムの維持する存在であり、応援と転移によって、土俵という可視的な表面と、その裏という秘密裏で暗黙の力学構成の、道徳=感情的で倫理的なイメージ(これもまたある種の文学的イメージとして)による統合が行われていた。「かわいがり」という隠語で呼ばれ続けた私刑性−リンチの存在も、このような統治−統合システムにとっては不可欠な次元にあったことは、明らかである。転落するもの、裏切るものは、破門にするか再統合するしかないわけである。それを再統合するための暴力とは、何よりも愛が前提にならなければありえないものだ。愛と暴力が一体となった統合とは、疎外論的な再回収の統治システムでもあり、日本の社会自体も、やはり経済システム上の運営論の必然性から、この疎外論的再回収の方法を、暗黙に必要とし続けていたという背景は、確実にあるはずである。相撲界から、これら「かわいがり」が消滅するとき、日本的資本主義の運営体制も、疎外論的な再回収を前提にした暴力行使からは別の位相で、再統合の方法を編み出したことの、まさに証左ではないのか。