ニルヴァーナと『移民の歌』

ニルヴァーナツェッペリンの「immigrant song」を演奏してる映像がある。デビュー前の初期のニルヴァーナみたいだ。自宅で録音してるし、ドラムもあのフーファイターズで有名になる兄ちゃんではない人が叩いている。

ニルヴァーナがデビューできるようになる前まで、彼らがコピーして練習してた曲とは、ツェッペリンだけでなくキッスやAC/DCエアロスミスだったというところが面白いのだと思う。誰でも知ってるような普通のロックだが、その一般的な流通形態を、ニルヴァーナが弄くってしまうと、途端にマイナーな音として生成したというところが重要なのだ。

ニルヴァーナとは変な人達だと思われるのかもしれないが、ベースになっているものとは、普通に一般形であり、マスイメージの中にあり、普通に風に吹かれているものたちの次元にある。だからこそ結果的に、このバンドは広くジャンルを超えて共有されうる重要な評価を勝ち得たということか。

自宅のような場所にドラムやアンプを置き、カート・コバーンが、一人だけ壁に向かって怒鳴るように歌っている。これは歌詞を書いた紙を壁に貼って、それを見ながら一人だけバンドに背を向けて歌っているという姿である。このイメージが面白いのだが、これは禅において、座禅をするときに、壁に相対し向かい合うようにして眼を瞑り、精神集中する、瞑想するといったスタイルを思い出させる図である。カートコバーンにおいて、その精神集中とは、レッドツェッペリンの曲で、移民の歌に込められている。

壁に向かって絶叫しているカートコバーン。しかし、これだと思う。まさにこのイメージにこそ、ニルヴァーナのやっていた哲学的内省の素晴らしさ、ロックというマテリアルを加工し、分解し単純化していく過程で彼らが勝ち得た崇高さの構図が、込められているのではないかと見えるものだ。