『アジアの純真』の起源

日本発の世界的ヒット曲『アジアの純真』の起源として明らかに見出すことのできる原アレンジとは、ELOの曲にある。

ELO(Electric Light Orchestra)のアルバム『Discovery』が出たのは1979年だった。ポップスのアンサンブルにおける集大成として、そこで示された音の多様な深みは、広く人々に衝撃を与えた。この音を作るに当たって中心的なプロデュースを担ったのが、ジェフ・リンである。

ジェフ・リンはポップスとロックの綜合として、音の歴史を新たに塗り替えた。ポップス、軽音楽の役割として、可能と思えるところの限界まで、楽器を増やし、音を多様に重ねることの実験を積んだ。ポップスの存在意義とは、その軽さに属する。

軽さをうまく流動させるためには、逆に楽器のあらゆる種類を総動員しながら、そこに注ぎ込む。気分が軽く流れていけるための、重厚なる壁に囲まれたそこだけの幻想世界を固めることに成功した。

ジェフリンというイギリス人音楽家が最も影響を受けているのは明らかにビートルズである。ビートルズによって示された可能性としての一つの側面を、極限まで突き詰めた、それはビートルズによって開示されたポップとしての幻想世界の可能性である。この幻想構築は、イングランドの歴史的背景にも正当性を持つ、文学的なイメージの系譜的綜合であることを見ることもできる。

79年のディスカヴァリーの後に、ELOはオリビア・ニュートン・ジョンの映画『ザナドゥ』の音楽も手掛けた。ジェフリンのアレンジはこの時期にポップスとして到達された個性的な境地として有名になった。ジェフリンのアレンジは、後に様々な形で多様化し、一般的なポップスやヒットチャートの運動の中で拡散され応用されていったものだが、オリビアの広めたイメージから10年以上経って、日本の楽曲家によって、このアレンジは元の形に忠実なまま見事に復元されることになったのだ。

それは奥田民生井上陽水のコンビによる楽曲で、パフィーという日本の女の子のユニットの為に作られた曲である。アジアの純真(1996年)というタイトルで、アジア風のアレンジを施されて応用されたジェフリンサウンドは、見事に成功し、単に日本で広まっただけでなく、アメリカまでも席巻し、アジアの女の子にとって顔になるイメージとして、世界的なヒットとなった。

パフィーのイメージとは、このサウンドアレンジの力を借りて、巨大なマスイメージとして定着したのだ。しかしこの音の発明された根拠とは、1979年の時期のイギリスからアメリカのポップス市場にあり、かつてザナドゥとして演じられたオリヴィアのイメージであったという経緯が歴史的にある。