近代労働観の変遷−パウロとレーニンに共有された誤謬

土曜日の今村仁司シンポジウムで、桜井哲夫さんの纏めた近代労働論の概観が大変分かりやすかったのだが、会場で配られたレジュメより、ちょっと引用してみよう。

近代に至ると、近代資本主義的市場経済の前提と共に古代的な労働への偏見が崩壊してゆきます。そしてプロテスタンティズムの労働観、ベンジャミン・フランクリンの「タイム・イズ・マネー(時は貨幣なり)」がでてきます。むろんプロテスタンティズムは、この世を徹底して拒否し、享楽を断念して、労働は絶対的に無意味な活動だからこそ、苦役として励むのです。労働を格下げしてみる古代的な点は継承しつつ、それを極大化することで、際限のない勤勉と節約が富を生み、逆説的に労働への蔑視が覆ってしまうというのがプロテスタンティズム倫理なのです。

何かドイツ人的な神経症の姿を髣髴させるような、歴史的な描写にもなりうると思う。あの奇妙なる妄想的教科書のような手記を著してフロイトの患者だったシュレーバーもドイツ人だった。プロテスタント的労働風土の人である。そしてマルクスフロイトも、この労働を巡る神経症を隣り合わせに眺めながら、分析的な思考を為した人だったことが思い起こされる、一節である。

労働というのは、近代史の中で、一部では神聖化されて語られてきた。社会主義の問題も、一方ではこの労働への神聖化の概念と切れないところで進行したものであり、終いには世界を労働化してしまうようなヴィジョンも生んだが、世界の労働化が結果的に世界の奴隷化へと実質的には転落してしまうような、観念上の倒錯も生んだ。社会主義国家の現実として示された、結果的な世界全般の隷属的な生産体制とは、何故歴史的に生じてしまったのだろうか。近代的な労働観の歴史を紐解くことは、そのような理由を明らかにしてみせることに他ならない。労働が概念化してきたことの歴史を振り返った本として、今村仁司の『仕事』という本(1988年)があげられる。近代史以前では、労働という概念の価値も相当異なったものであった。古代ギリシアで、労働は罰であり悪であるとさえ考えられたこともあるように、近代のある時期において労働というのが社会の中心的価値として機能したというのは、特殊な現象でさえある。近代以前の状態では、労働より余暇を重んじる傾向の方が明らかに強いのだ。真の活動=プラクシスとは、何も作らないこと、非生産的労働のことだとされていたし、多忙は悪とされ、余暇=スコーレーこそが自由人の本性にふさわしいと語られたのだ。これが学校=スクールの語源になっている。

労働の問題というのは、その渦中に身を投じることによって(=主体化することによって)我を忘れる、全体奉仕の幻想に落ちるという、旧来のキリスト教から展開した共産主義のイデーによって、歴史的に全体化された。しかし、社会における労働の実在とは常に、何らかの形での奴隷状態に関与した形で続いてきたのだ。この労働と奴隷状態の歴史的考察を加えたとき、旧来の共産主義キリスト教にあったように、労働を神聖化して語ることの欺瞞的性格が明らかになる。労働とは本来もっと屈折した矛盾を孕んだ観念である。労働を身体化し主体化することによって、忘我するとは、元々、プロテスタンティズムの中で発達した宗教的な虚構であり、一種の身体儀式である。実際に出て来てしまったいわゆる共産主義というのは、労働を巡るこの倒錯的観念を継承することによって成立してしまった、基本的には誤りである。

それはヘーゲルマルクスの記述にあった労働の生産的価値を巡る両義性を、拡大解釈で取り出すことによって成立してしまった虚構である。「働かざるもの食うべからず」という、キリスト教時代のパウロの台詞を引用して共産主義運動を広げてしまったレーニンの誤謬によるものである。ここである強迫観念と他者に対する強制力というのが、共産主義の原理になってしまったのだ。労働によって世界を一体化しよう、全体化しようというイデーは、神経症的な誤謬を生んだ。あるいはそれは、共産主義者やクリスチャンを前提とする典型的なパラノイアの姿を編み出した。例えば、ある種のクリスチャンならば、余暇的時間さえも、過剰に労働化してしまうだろう。つまりミッション化してしまうのだ。思考における監視装置とは、神の視線の前提で、内面化してしまう。自分で自分の思考を監視しているのに、それが神の視線だということになる。宗教性の過剰な進行の有様である。そこでは全てが監視的視線化=掟意識の支配下にされ、内面化され、そして労働化してしまう。そこでは掟意識を守る強度だけが、自己の確認ということになり、生それ自体の実在は、逆に反発の対象になる。こういう現象を指して、ラカンパラノイアという概念を明らかに、提唱したんだけど、前提になっているのはキリスト教社会の性質と、その延長上に発生した意味での左翼に当たる。自罰的パラノイア、自動発生する内面化現象に当たる。

「労働の神聖化」に対する徹底的な批判です。そこでは社会主義者のなかに巣食っている「労働の尊厳」というイデオロギーも徹底的に批判の対象になっています。中国の天安門事件ソ連崩壊へとつながる東欧の叛乱が起こった1989年の意味を問う「二つの89年の意味を問う」(『中国で考える』収録)のなかで次のように述べています。
社会主義とは、万人を労働する人間に作り変えるばかりでなく、労働を資本主義以上に聖化し、社会と文化のすみずみまで労働の価値を徹底化させる社会であるのだから、社会主義社会とは全般的奴隷制であると定義しなくてはならない。マルクス以降、たいていのマルクス主義者や社会主義者たちは、社会主義社会は人間が自由になり、あらゆる拘束から解放される社会だと信じてきたが、それは幻想である。近代の継承者である社会主義は、労働イデオロギーによってすべての人々を奴隷にする。社会民主主義もまた人間を奴隷にしていくだろう。ソ連や中国では、世界観政党の独裁によって奴隷制が成立したが、西欧の諸社会でも、強度の違いはあっても、労働のイデオロギーが貫徹してる以上、人間の奴隷化は同様に進展していくであろう。」
極めて過酷な言葉が語られています。しかし今村さんの労働論を初期から丹念に読み進めていくなら、ある意味で必然の言葉でもあります。

今村仁司の指摘は、左派の立場から、このような決定的宣言、旧労働観への決裂を語ったからこそ意味があるのだ。自由の王国に至る過渡的社会だと称して、全面的労働社会が、ソ連で中国でカンボジアで出現した。ではそこから逃れる道筋とはあるのか?

今村さんが提示するのは、シモーヌ・ヴェイユの「労働が芸術と等しいものになる」という希望、あるいはジョルジュ・フリードマンの「余暇」に可能性を求める考え方であり、マルクスの遊戯に近い労働なのです。そこから「遊戯性と結合した労働」の可能性が問いかけられます。
「古代的意味での『仕事』(テクネー=ポイエーシス)と『自由な活動』(プラークシス)が、古代的労働観とは逆に、融合すること、これが未来に展望する仕事である。そのときになってはじめて、マルクスヴェイユの希望が実現の道につくことであろう。われわれにとって現代の課題は依然として『奴隷制からの解放』なのである。人類はかつて一度も奴隷制を解体したことはない。果たして今後人類が奴隷制から離脱しうるか否かは、ひとえに労働の実質の変革にかかっている。」

労働には、アンヴィバレントに幾つかの意味が篭っている、微妙に篭っているものであった。ヘーゲルマルクスが表現していたのは、そのような労働の両義性だったといえる。同時に、物を書く時の権力の立場から言えば、こういう両義性で書くことは、ある意味卑怯を忍ばせることでもある。当然の如く、そこから権力の論理が引き出されたとき、誤読するものがでてくるが、自分はそうは言ってない、自分の責任ではないといつまでも言い張る事ができるからである。

かといって、人間の歴史にとって、労働とは別に消滅する代物でもない。労働、そして貨幣を社会的に稼ぐ立場というのに、何らかの形で個人は戻ってくる。それが社会の必要条件でもあるのだが、労働にしても、貨幣の獲得にしても、それらが自由を開くのは、個人にとって発明的な労働と流通形態の展望によって、それが作られるときである。単純労働の姿に、賃労働として従属することは、単に止むを得ないケースの出来事であって、決してそのような単純労働自体が目的となることもないし、そんな場所に捉われるべきでもないし、他人をそこへ押し込めるべきでもない。それが自由を作るための、これからの前提になる。

今村仁司の業績とは、フランスを中心にして西洋的に展開された、左派的で自由を確保するための啓蒙的論調を、要約しながら、うまく日本の文脈に当て嵌めていたのだともいえるが、このように改めて問い返せば自明ともいえる簡単な自由の前提について、ある種の左翼の人々は、全く盲目となり、頭が麻痺してしまっていたという状況は、確かについ最近あったのだ。先に引用したプロテスタンティズム倫理の倒錯メカニズムなど、そのまま、ああ、まさにカクマルとか、こういう奴っているよなとか、膝を打ちたくなるようなものである。それに限らず、ある種のパラノイアが、確実に日本の脈絡でも左翼には病的に、悲劇的に発生した。そういう歴史的経緯はあって、今の若い人などには、そういう記憶を繋げるのは、結構難しいかもしれないのだが。

日本のドメスティックな内部からだけでは、この啓蒙は確実に出て来なかっただろう。この風穴とは、外部からこじ開けて注入してやる以外にはなかった。日本の文脈にはそういう必然性があった。同じ社会主義について考えるにしても、フランスの文脈で考えるのとは、もう厚みが違うわけだ。例えば、プロテスタント倫理に付け焼刃的にくっついた社会主義者も出てきたとき、フランスならば、ラファルグのように、そこに内在する、キリスト教と同型の馴染み深い倒錯について、簡単に見抜けるような人がいる環境もあったのだ。ラファルグは、マルクスの次女と結婚したフランスの社会主義者で、「怠惰への権利」とかいう話を、一九世紀の社会主義運動の段階から既に主張していた人である。今の左翼は、今更ながらにラファルグを発見したかのように、今頃引用して見たりするが、要するに、一九世紀の段階から、同じ古い欺瞞について、分かる人にはちゃんと透徹した眼をもって、同じ問題が見抜かれていただけのことである。労働からの自由と、怠惰への権利を主張していたラファルグ夫妻の面白さとは、この人達は長生きすることにさえ、快楽としての意味を見出さず、70歳になった時には、夫婦で揃って、予告自殺しているというところである。マルクスの次女は結構優秀だったのだと思うが、生き方においても、こんな風に面白さを貫いていたのだな。ラファルグのような左翼を歴史的に有していたところが、やはり革命の伝統をお家芸にまでする国フランスの、一味違うところ、洗練されていた感覚なのだろう。