ガス・ヴァン・サントの『Good Will Hunting』

ツタヤでガス・ヴァン・サント監督の少し前のヒット作であるらしい「グッド・ウィル・ハンティング」のDVDを借りて見る。

ヴァン・サントは「ドラッグストア・カウボーイ」の成功で最初に出てきた人だった。「ドラッグストア・カウボーイ」は僕も好きな作品だった。その次の「マイ・プライベート・アイダホ」もよかったと思う。しかしその後のはどうも、あんまりいい感じがしなかったし、売れはじめると同時に作品の調子も凡庸になってきて商業的な生産体制にすぐに同一化してしまったような感じがしたので、あんまり追っていなかった。カウガール・ブルースなどを撮っていた。村上龍が昔、この監督を絶賛していたのを読んだことがある。しかしそれは最初の「ドラッグストア・カウボーイ」の公開の頃のことであったのだが。村上龍とヴァン・サントは同じ歳であるらしいのだ。しかもヒッピー的な経験やドッラグを巡る悪夢の経験がベースになっているということで村上龍は当時シンパシーを得たらしかった。最初のこの作品にはウィリアム・バロウズが友情出演している。グッドウィル・ハンティングのラストには for the memory of Alen Ginsberg and William Buroughs というロゴが入っていた。97年だからちょうどギンズバーグが死んだのがその頃だったろうか。一般的で凡庸なるアメリカ社会のスタイルの根底に微妙に潜んでいる不協和音、狂気のようなものに焦点をあてた映画だった。

ボストンで数学の天才的な才能をもつ少年は実は普段は掃除夫の仕事をしながらMITの授業に覗きに来ているものだった。彼はスラムに育ち、今でもそこに住み、アイルランド系移民の息子で少年期に虐待された深いトラウマを持っている。しかし彼の秘められた才能を発見した数学の教授は自分の友人によるカウンセリングを紹介して受けさせることによって彼の才能を発掘させ、彼に前向きな希望を与えようとする、といったストーリーだ。ベースになっている情緒性とは単純なヒューマニティで向上心といったものであるのかもしれない。しかしヴァンサントのようなキャリアの監督というのが結局、何故このような単純であるが故に強固なるヒューマニティのストーリー構造に行き着いているといえるのだろうか。単純であるが故に強固なる啓蒙性を巡る物語であるとでもいおうか。

マイプライベート・アイダホにも見られた、社会の退廃性に直面しつつも、そこに出口としての友情や愛のスタイルを模索しようとする若者の姿を描写していたにあたっても、やはりある種の素朴メンタリティにセンチメンタルに単純回帰させることによって、社会的な出口と仄かなる希望の光の在りかを示すというのがヴァンサントの傾向的な特徴だったようにも見受けられはする。そういう意味ではこの監督のメンタリティや世界観というのは根本的に一貫している。このアメリカ的なる媒介された静かな啓蒙主義の微かな光明性の美学というのが、起源を本当はどの当たりに持っていて、そして何故システムとしても根強くよく機能しているのか、というのは、また別の問題系を物語の系譜的に開くのかもしれない。キリスト教システムに特有のメンタリティとはいえ、あくまでも退廃を景色として描写してきたプロセスを経た後に媒介されたものとしての、静かなるネガティブな啓蒙性のイメージなのだ。それは啓蒙の残り滓であり回帰された啓蒙とでもいおうか。enlightmentと文字通り受け取ることが出来るのだが、しかしそれはあまりに静かでネガティブな光の在りかとして示されるし、そしてその光はtake it easyな楽観性にも寛容に広く開かれている。見た後に心を和ませることのできる光景であり、光明性の押し付けがましさが見事に切り取られた後の純粋な静けさとして遭遇されるよく抑制された光の存在である。それは楽観的で生活的で文字通り安心を伝える。

しかしこのグッドウィルハンティングの後にヴァンサントは最近日本でも公開になった「エレファント」を撮ることになる。エレファントはコロンバイン高校の高校生銃乱射事件のドラマ化による再現である。また再びヴァンサントはアメリカの悲劇的な部分にあえて直接的なドラマ化で潜り込もうというのだ。エレファントにおいては、映像の進行とともに少しずつ積み重なっていく静かな狂気の堆積が、本当は大きな惨劇として爆発していたはずなのに、その中核としての爆裂の有様にはあえて遠まわしに示唆するように留め、それは小出しにしながら、淡々とした映像的進行によって、冷静にアメリカの田舎町に内在する狂気の次元に、一つ一つ丁寧な描写をしていったものだ。ギンズバーグ的なものとバロウズ的なものが祭りの季節を遠く通り越した後に、精神性の記憶痕跡として、魂の軌跡としてどのようにそれが、現在の社会の生活世界にあたるシステマティックな完成された閉域の中で、自らを肯定的な魂として生き永らえさせることができるのか。その頃の魂の軌跡とはヴァンサント監督によって今でも静かに実験が繰り返されて、ブレンドされ、新しい合成によって生き延びていくことが持続しているのだ。