惑星ソラリスの憂鬱

ベルグソニズムについて最もよく説明しうるイメージとは、タルコフスキーの映画「惑星ソラリス」にあると考えられるだろうか。記憶の中に潜む、過去に自殺した妻の亡霊と戦い続けなければならない奇妙な世界の中に、否応なく、宇宙船の中で閉じ込められてしまう男の話をモチーフに進行するこのSF映画にとって、水のイメージというのが全編にわたって繰り返されている。

それは川の水の流れに始まり、森の中にあたる自宅を覆うように降る初夏の雨のイメージ、そして惑星ソラリスの表面にあたるソラリスの海がやはりこの水色の世界にあたるのであり、ソラリスから跳ね返って反射する光の中に回旋する宇宙ステーションの内部の光のイメージもまた水色である。

水とは流れのメタファーであり、揺ったりと進行する川の流れのスローモーションな動きとは、目に見えないが客観的な進行としての時間の流れの確実な実在を確認する営みにあたるのであり、雨として降り注がれる水とは、人間にとってのあくまでも受動的に空から与えられるものにあたる運命の甘受にあたり、運命に対してはどうしても受動的にそれを受けざるをえないという人間の宿命的な性質をも描き出している。空から降り注ぐ雨を運命として甘受し諦めの意識とともに雨の中を歩く、映画の中の登場人物なのではあるが、彼らは家の中に逃げ込むことによって、かろうじてそれら雨の存在について、客観的になって、外部の出来事として、落ち着いてそれを眺めなおすことができるのだ。

そして水とは、人間が自らの姿をそこに反映させて確認することのできる鏡のイメージの役割をも担っている。水の底にある深みとは、清浄な水の中にあっても微妙に不透明でもあり、自分の姿を映し出す表面の底には、表面的なる意識の立場からは計り知れないはずの古層としての、記憶の倉庫も眠っている。水とは人間にとって、起源としての最もシンプルな流動性の世界にあたる。

水のイメージと水色の映像を、独特なスローな時間の進行の中で、次から次へと担い続けることにおいて、全体的にこの映画は、ある根源的な持続のイメージの発見へと到達しようとしている。そして絶えざる緩慢とした川の水の流れとは、人間の意識と記憶にとって、その起源を遡行してみるための絶対的な媒介にあたる、根源的な持続を担うものだ。川の水の流れは根源的な持続を、人知れずして、つまり人間にとって意識の立場からは知らず知らずのレベルにして、無意識的な自然の絶対的なメカニズムの遠い連鎖としても、担い続けている大きな自然の姿なのだ。起源としての水の流れ、そして根源としての自然、主人公の男、心理学者のクリスの家を取り囲む大きな森の存在。

有機的生命体の存在が確認される海をもつ惑星ソラリスには調査隊が宇宙ステーションに乗って送り込まれている。しかしどうやらソラリスの調査にいった人間たちには宇宙船の中で異常が生じていることが明らかになった。調査者たちは一様に精神異常を来たしている模様だ。そしてソラリスからの帰還者の報告を聞いても、地球の人間は殆どその意味が理解しかねている。

クリスはソラリス調査隊の具合を確認するために、宇宙ステーションへ派遣される。クリスの訪れた宇宙ステーションの内部は既に荒廃していた。三人科学者がそこに残って、ソラリスの研究を続けているはずだったのだが、一人は既に拳銃自殺していた。乱雑に散らかったステーションの内部をクリスはさまよう。二人の科学者が、疲労した面持ちで、異様に精神的に荒廃している感を漂わせつつも、まだそこでソラリスの研究を続けていた。しかしクリスはすぐにも、宇宙ステーションの内部には本当はいるはずのない人物たちが、ここの中には亡霊のようにさまよっているのも発見した。下着姿で歩き回る若い女の存在。学者の研究室に閉じ込められている小人の存在。

自殺した科学者が新しくここに来る予定のクリスの為に録画していたビデオがあった。クリスはそれを眺めながら、疲労の為に深い眠りに陥る。クリスが目覚めたときに彼の横に発見したのは、過去に自殺したはずのクリスの妻ハリーだった。これは一体どういうことなのか?生き残って研究を続けている科学者はクリスに説明を与えてくれた。どうやらソラリスの海の特性というのは、人間の記憶を物質化させる作用を持っているようだということを。どのような記憶がソラリスの海に反映されてフィードバックして帰ってくるというのか。人間の夢の中の情報をどうやらソラリスの海は読み取るらしい。

最初クリスは、この過去の妻の亡霊ともいえる存在をなんとかして消し去ろうとした。外部脱出用の宇宙船に彼女を入れて宇宙の外へと放りだした。しかししばらくして気がつくと、また睡眠からさめたクリスの横には同じようにハリーが存在していたのだ。この亡霊としての過去の妻の存在と、クリスは生活をともにしはじめる。彼女と生活を一緒にすることは、同時にクリスにとって自分の過去の記憶にも向き合い、そこに否がおうにも対峙せざるえない精神的な展開の過程となる。何故自分がハリーを自殺させることになったのか、という経緯をはじめとして、記憶と向き合うという過程そのものが、クリスにとって自分の人生を後悔の念とともにもう一度遡行して辿り直す過程になっていく。

それはクリスにとって過酷な精神的な試練にあたった。しかし記憶と対峙して格闘を続けるクリスにあって、それはハリーと再び愛しあう関係としても進行した。ところがハリーは再びそのクリスとの新しい関係の中で、以前のときと同じように、自分の存在意義を疑い始めることに陥ってしまう。私は本当は愛されていないのではないか、本当は必要とされていないのだという無限遡行の問いの中へとハリーは再び閉じられていく。その結果ハリーは再び自殺を決行する。しかしソラリスでの体験が以前とは異なっているのは、自殺によって無惨に滅びたはずのハリーの肉体は、時間とともにまた蘇生するようにプログラムを受けているのだ。

大きなダメージを受けた女性の肉体が、それでも無慈悲にも再び復活していくその過程とは、肉体の有様としてはあまりにも痛ましい蘇生の過程だった。クリスはこのシミュラークルとしてのハリーの存在について思いを悩ませ続ける。苦悩するクリスの隣で同時にハリーも自分の存在について更に深く苦悩をつのらせていく。

ある日、クリスが目覚めたとき、ハリーは突然いなくなっていた。科学者がクリスのベッドの隣に訪れた。科学者は告げた。ハリーは科学者に置手紙を残して、そして消えた模様だ。苦悩の淵に沈むクリスの姿に耐えきれずに、彼女は自分からその存在を消したのだと、彼はいうのだ。

クリスと科学者は宇宙ステーションの窓からソラリスの海を覗き込む。ソラリスの海とは、砂糖が煮沸をするようにして、絶え間のない大きな捻りを無限に繰り返しながら、生成と流動をおこしている。何のためにそれが流動を続けるのかもわからないのだが、人間の根源、記憶の根源の最も抽象的なカオスの捻りのように、それは流動と生成を巨大な規模で繰り返し続ける。マグマのような状態の地表の運動する姿なのだ。何人かの研究者たちが、この海の中に幻覚を見て足を取られたのだ。しかしそれはどうやら厳密には幻覚ではなくて、そこに対峙する人間の記憶の中に起源があって物質化された存在であるらしい。それは時には、そのマグマの流動の最中に全く場違いな地球上の公園の姿が現れたり、巨大な赤ん坊の姿が、雲の中から出現したり。ソラリスの海の流動の捻りは、その中に次第に島のようなものも形成しはじめる。

最後にクリスがそこに見たものは、自分の祖国にあたる自分の叔父の家だった。森の中の一軒家だ。クリスが近づいていくと、中では叔父が書物の整理をしていた。しかし叔父の背中には上から水の流れが降ってきてあたっているのが、クリスにはわかる。その家の中には雨が降っているのだ。