超越論的動機=ブラックボックス

1.

世界宗教の「始祖」たちの出身は、オブスキュアである。いいかえれば、彼らは共同体が保証する根拠をもっていない。彼らは、シャーマンではなく、英雄でも天才でもない。つまり、彼らは共同体の物語や言説から逸脱している。しかも、それに明確に対立しているわけではない。彼らは積極的な”目的”を代置しない。彼らがやるのは、共同体の”根拠”や”目的”を揺さぶることだけである。彼らが殺されたとしたら、対立によってではなく、この正体不明のいかがわしさよってである。物語は、彼らを始源と目的(終り)のなかに変形してしまう。にもかかわらず、テクストは、そのなかに、物語(構造)を脱構築する要素をとどめざるえないのである。われわれがそこに読みとるべきなのは、テクストの単なる多義性ではなく、物語(構造)へと回収されることを拒む両義性なのである。
『探究Ⅱ』246P

モーゼとは、外へ出ろ、と共同体に向けて命令する者のことである。しかし何故、その命令は生じたのだろうか。そして現在でも時に、原理的な命令として、生じつづけているのだろうか。外へ出ろという命令は如何なる動機で生じるものなのか。そこのメカニズムを巡っては『探究?』の中で「超越論的動機をめぐって」ということで説明が割かれている。

現実的に考えれば、外へ出る、あるいはメタレベルに立とうとする人間的な動機とは、利益への意志ということで説明がつく。しかし宗教的な原理、倫理的な意志というのは、このような利益、利潤の関係性から超越したところで、行為が為されなければならないという、別の超越的命令性を孕んでいる。

2.
社会関係の、権力的な利潤から享楽、そして資本主義のメカニズムと連動した金銭的な利益の構造を何か超越しうる関係の可能性が模索されるとき、精神的価値のシステム、それは歴史的には主に宗教的な価値であったのだし、また革命運動から左翼に関わる精神的価値のシステムというのが、人間を束縛する主だった活動としての経済活動の傍らには産み落とされ、そしてそれ自体の成長を遂げてきたのだ。

金銭的な利益としての現世的な価値の運動が、人間の生存にとって不可避なものとして成長を遂げる。それはやがて資本主義の明確な構造として歴史の中で現れた。それでは宗教的なシステムにおいて人を駆り立てる動機とは何だろう。それもまた共同体の権力関係の中で導かれる、金銭では直接的にはないにしろ、やはりなんらかの権力的なゲームの利益関係の中で、価値の配分を受けるシステムなのだと考えることは可能だ。

そこには利益を度外視させる行為のように見せかけて、しかし人間の労働にとって報酬のない労働とはありえないという事実を常に孕んでいる。本当はそこには暗黙の利益関係、共同体の承認と権力の配分という関係があるにかかわらず、それが純粋に善行であるかのように、純粋に神への働きかけであり、神学的な享受であるかのように、見せかける、そしてすり替えてしまう、精神的な交換行為の体系として、宗教と倫理の思考は、経済的で資本主義的なる一般社会の傍らとして、補完するものとして存在を必然化してきた。

3.
人間の行動というのは常に何らかの利益関係からその動機を割り出すことは可能である。しかし時に人間の行動には、利益の関数から逸脱するような行動を強いる条件が出てくる。それは社会システムにとって部分的に必ず存在する行動の種類であり、それは主に宗教的価値のシステムとして存在してきたものだが、人間の共同体にとって、これら反自己的な行為というのが、通常、自己的利益の関係に基づく共同体のシステムの維持を必ずどこかで補完するようにして存在している。

それではモーゼ的命令に対して、柄谷行人が前提して考えているものとは何だろうか。それは超越論的動機の存在を取り巻き、モーゼ的なもの以来、キリストにもあったのだろうし(モーゼやイエスが実在の人物であったのかどうかは明瞭でないが)、そしてスピノザマルクスの動機の解明にまで繋がりうるものである。宗教が近代的な批判を経たあとに、左翼から革命運動のシステムとして、それら動機付けの位置は問題を継承することになる。柄谷行人の考察の前提になっているものとは、もちろん左翼運動の動機としてのそれら超越論性というのが問題になっていたのだ。この超越論的動機、そして超越論的な命法の存在とは、60年代の左翼運動にとっては、自己否定主義として現れたものである。

4.
左翼における自己否定主義の台頭とは、それ自体矛盾を孕んでおり、その後に運動の結末としては、当然の成り行きとして無惨な結果を導くものに至ったものだ。運動内の主体どうしにおいて、お互いに自己否定を強いるもの、やがてそれは自己否定的な相互監視のシステムへと、左翼的な小集団の中で発達した。結果したものとは、連合赤軍的な総括的リンチであり、自己否定どころか、それは単に集団の内部でお互いを嫉妬しあう言説の構造に過ぎないものになった。

それらが60年代から70年代にかけての左翼運動の壊滅期には明らかになったものだったのだ。それら左翼的な祭りの後の状態を経て、80年代には反省的過程が訪れた。そして80年代後半に、柄谷行人は『探究』を書いている。柄谷行人はもう一度、左翼革命運動の発生にとって、ブラックボックスであったところの、超越論的動機を巡るメカニズムについて、再び考え直そうとしていたのだ。

フロイト的に考えれば、宗教集団の中で、そして左翼集団の中で、それら自己否定の観念にもとづく儀式的な振る舞いの仕方から運動までが起きているのは、基本的に集団の構造からもたらされるエディプス的な競争関係の、いささか倒錯した形態だと考えることができる。もともと宗教的価値の集団の中で、エディプス的な位置の競合が起きなければ、そういう自己否定を強制しあう関係というのも起きようがない。やはりそこにも転倒した形での、権力の運動というのが内面化されたままなのだ。

特に集団内部において、お互いに自己犠牲を強いる関係というのは、欲動断念の関係を神学的に(あるいは革命的に)、崇高な価値への関係と置き換える関係となり、自己の外部に出るという根源命法に従うことが、自己否定の価値であるということになっている。ここに出来上がるのは宗教的な利他主義の体系であるのだが、そのような利他主義的な振る舞い自体が、やはり何処かでエディプス的な社会承認の奪い合いとして、集団心理学的には根差しているものだ。それは逆説的な自己主張と共同体的配分の関係性であり、共同体が自己維持するためのシステムである。

フロイトは、宗教を集団神経症として捉えました。というより、彼にとって人間は根本的に神経症的なのですが。フロイトは、集団神経症にかかると、個人神経症が治るということを指摘しています。たとえば宗教に入ると、放縦な堕落した生活や、まさにアヘンのようなものに耽溺するような生活が、改められるということがありますね。宗教がないから若者はだめになった、という人もいます。それは軍隊がなくなったからだめになった、というのと同じようなものです。事実それはその通りかもしれない。アメリカでもドラッグや犯罪から人を立ち直らせるのは、やはり宗教です。しかし、それはフロイトの考えでは、集団神経症になることによって個人神経症から解放されるだけである、ということになる。それは本当の治療ではない。
講演「世界宗教について」より

60年代に自己否定主義として現れた共産主義の亡霊とは、言説の構造として一定の感染力をもち、運動を導入するフレーズとしてはある程度の流行もしたが、それ自体、自己欺瞞による集団神経症的な発露を見せた。しかし「自己」の外へ出ろという命法が一定の支配力を持ちうる社会構造の段階とは、どのようなものなのだろうか。少なくとも以前のほうが、日本社会であってもその言説の構造とはよく機能したのだ。

現在とはその構造的な在り方は明らかに異なる。それは社会の発展上の一時期には必ず影響力を持ちうる言説の構造であり、同時にそれは社会構造から来る強制力の何らかの反映にあたっている。日本に限らずどのような社会でも、近代的な進化の過程では必ずこの時期を通過するものだろうともいえる。

5.
自己否定主義が集団神経症的な現象として、元から神経症的であったところの、一定の知識的な個人としての若者層を巻き込みながら、ある集団的な陶酔へ向かう運動として社会的に形を見せる。この時期の日本社会で強いられていた構造とは、高度成長期と呼ばれるものである。

最初に上からの国家的政策によって、資本主義の求心的な組織化として与えられた構造が、時代の若者達の中に反映されたとき、最初は個人に平等に加える規律訓練の方法論として与えられた精神主義的なメカニズムは、社会の共同性をより根源的な角度から捉えなおし、道徳的で文学的なイメージに媒介された左翼共産主義運動に向かう、否定的に克己する共同主義への欲望へと転じて、若者達の中で広まった。

しかし柄谷行人にとって、これら60年代に火がつき70年代にその内的な矛盾から瓦解していった、共産主義における自己否定主義の欲望とは、集団的な高揚に紛れた欺瞞であり、集団神経症に巻き込まれるものであり、批判的に捉えるべきものでしかなかった。

自己の外へ出ろ、という歴史的宗教に起源を持つ思想性が、そのままストレートに反映されれば発展の階梯として、ユダヤ教で供犠にはじまり、キリスト教においてそれはイエスの犠牲によって媒介された自己犠牲の観念を共同化する志向となり、それが共産主義運動においては自己意識としての主体性の確認として、弁証法的な全体的共同性(党派的なもの)に媒介された自己否定的主体性になって再生産されていく。通常、外部の強迫という観念とは、それが意識上に反映されるときは、なんらかの自己否定主義として表現される。歴史的にいって、現象として見る限りは常にそのようなものでしかなかった。

しかし柄谷行人の観点にとって、外部の強迫観念とは、決してそれが自己を否定することにはなってはならないというポイントから、もう一度再構成がなされようとしたのだ。故に柄谷行人によって解釈されなおされ、反転させられたモーゼ的原理の姿とは、自己に第一義的にこだわれ、という原理を書き加えられているのだ。自己にとって最大の義務とはこのとき、自己を失ってはならないという命令となる。柄谷行人がここに書き加えようとした原理的条項とは、何よりも個人主義であること、そして個人主義を貫くことが共同体を脱構築する力にまで高めるということである。

戦後、連続的に発生した左翼の時代が高揚から退潮を見せていく姿は、観察するものたちの間に幾つかの教訓を生んだ。共産主義運動が、その原理的な命法から来る自己否定性によって消去したもの。それが固有名の存在である。固有名を決して失ってはならない、という新たな原理的命法が柄谷行人の中で芽生えるのだ。固有名を失わないでキープすること、更には固有名を新たに発見するために行動すること、制作することという探究の在り方は、単独性という主体性の在り方として定義されることになる。