ロマン主義という痕跡

1
ベンヤミンの『ドイツロマン主義における芸術批評の概念』。ドイツロマン主義の分析においてベンヤミンが見出しているのは、反省的な知の持ち方が、何処かで直接的な確実性、直接的な知覚によってリンクされ、保証されていなければならないと考える、ある思い込みの持ちようである。

2
知は生命とリンクしていると考えること。それはいわゆる「生き生きとした生」の問題である。そして、生き生きとした現在=現前、の問題。しかし生き生きとした生とは、正確には何処で見出されるものなのだろうか。それは認識論的な次元には持ち込めない。そこのところを勘違いしたとき、主体は何かを間違えているのだ。重要なのはそのことに気づくことである。その取り違えに自覚することである。
3
何故なら、知の次元に、認識の次元に感情移入を果たしていることは、常にある種の錯覚であるからだ。対象次元への感情移入とは、決して対象自体ではない。それは転移された自己なのだ。その取り違えこそが、すべてのロマン主義的な誤謬を生んだ。

4
ニーチェはすでに、この知を巡る、感情移入の取り違えの問題について気がついていた。自覚的であった。感情移入の取り違えとは、力学上の錯覚である。

主体の側に生を取り戻すためには、すべて認識の側から、対象を把持している側からすべての重みをできる限り撤退させなければならない。即ちその試みによって、対象の側とは「壊死」するのだ。しかし逆に生における主体の次元の方は、それによって正確で冷静な能動性を取り戻す。−−そのようにシラフに復帰することが、主体にとっては初めての体験であったのだとしても。そしてそれは真の覚醒である。覚醒とは、ある壊死の過程を経て自らに到来する。

5
もちろんこのニーチェベンヤミン的な認識論の影響とは、後にデリダの思考に繋がっていくことになるだろう。