ニーチェと音楽

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ニーチェにとって、音楽を哲学に導入するとは、どのような意味を持った試みだったのだろうか。それはニーチェの著作の流れにとって、最初の問題系を形作っている。ニーチェの出発点とは芸術哲学であり、芸術の歴史によって抽象されて取られる切断面から見られた、人間存在の限界素描としての存在論的な論考である。

旋律は普遍的概念と同じように、いわば現実の一抽象体である。現実は−いいかえればひとつひとつの事物の世界は、概念の普遍性と旋律の普遍性との両方に対して、具体的なもの・特殊で個別的なもの・個々の場合を提供する。にもかかわらず、概念の普遍性と旋律の普遍性というこの二つの普遍性は、ある点において互いに対立しているのである。概念はただたんに、最初から抽象された形式をしか、いわば事物の剥ぎ取られた外郭をしか含んではいない。したがって、それはまったく文字通り抽象物である。これに対し音楽が与えるものは、事物の一切の形式に先立つ内奥の核心、もしくは事物の心臓部である。

この関係はスコラ哲学者の言葉をもって言えば、きわめてたくみに表現することができよう。すなわち、概念はuniversalia post rem(事物以後の普遍)であるが、音楽はuniversalia ante rem(事物以前の普遍)を、そして現実は、universalia in rem(事物の中の普遍)を与えることになる、と。

 『悲劇の誕生

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ニーチェにとって処女作となった『悲劇の誕生』では、ニーチェの最初に設定した問題系が示されている。『悲劇の誕生』は1872年に初版が出版されている。その後1886年ニーチェによる自己批判書が付せられた形で新版が出された。初版のタイトルは『音楽の精神からの悲劇の誕生』であり、新版のタイトルは『悲劇の誕生、あるいはギリシア精神とペシミズム』となっている。ニーチェの問題系の奥深さとは、この著作において既に予告されている。ここにはニーチェの出発点となった人間的認識と言語の限界的な測量による問題系が示されている。ニーチェの問題性の視界に上っていたものとは、言語外の存在の事である。それは無意識的な情動の流れであり、その流れの大まかな法則性である。

しかし、初期のニーチェのこのような記述から伺うに、この時点でニーチェは、果たして音楽というジャンルについて過大評価しているといえるのだろうか?音楽の存在について、はじめに彼は過大な期待を抱きすぎていたのか。ニーチェにとって、言語的認識によってはカバーし切れないものの次元、認識が言語として到来するその以前にある情動から世界像を表現しうるものとして、音楽の重要性が指摘されている。

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ニーチェは音楽の存在について独自の位置づけを試みていたのだ。まず、悲劇とは音楽の精神によって可能になる。悲劇とは認識の限界、すなわち言語の限界によって起きるものであり、言語の限界にある世界の境界を表し、際立たせうるものこそが、音楽の存在に他ならないのだ。音楽とは言語と世界の間に位置する、言い表せないものの律動と存在感について、我々に指し示してくれる優れた、独自で抽象力にみちた芸術ジャンルであるのだ。

ニーチェが挑戦し解明を続けるものとは人間的な認識の境界にあたるものである。それは言語の境界にあるものの実在を発掘することであり、言語以前の前意識から無意識の人間的な欲動と情動の世界を存在論的に探索することになる。手掛かりになる貴重な指標とは、そこでは音楽の存在である。