意識と自然

ソクラテスの本質をとく一つの鍵は、「ソクラテスのダイモニオン」と呼ばれるあのふしぎな現象である。彼の法外な悟性が動揺するような特別の状況下で、しっかりとした足場を彼が得たのは、そういう時に聞こえてくる神の声によってであった。この声は、それがきこえてくる時には、かならず「手を引くように警告する」のであった。

このまったく異常な人物にあっては、意識的認識をときどき阻止する場合にしか、本能的知恵は姿をあらわさないのである。すべての生産的な人たちの場合には、本能はきまって創造的・肯定的な力であり、意識こそ批判的・警告的役割をもつものなのに、ソクラテスにおいては、本能が批判者となり、意識が創造者となっているのだ。−−これこそまったく欠陥から生まれた真の怪物ではないか!
 『悲劇の誕生

意識と本能(直観)との転倒が起きてしまうこと。人間の論理的能力の発展階梯にとって、これはある種の必然性をもって生じてしまう、病的性質の症候である。哲学の歴史が何か人間の意識における病的な疚しさを示すときがあるとすれば、既にその兆候はソクラテスから明らかに出ている。


最初にこの論理と意識の病の症候について、象徴的に語りうる対象となる人物とは、まさにソクラテスであるとニーチェは示している。いわばソクラテスは最初に、自らの論理的能力の豊かさゆえに、意識と自然の転倒を身をもって示してしまった、人間の段階にとって論理的意識が病的な性質として現れた、初期の象徴的な人物であるというようにニーチェによって表現されているものだ。

古代ギリシアから、その後の人類史の発展にとって、最初の意識的な病の兆候が、既にソクラテスの性質を分析することによって見ることができる。論理的意識と本能的直観の関係が逆転することの中に、最初に人間的な悲劇が起きる条件とは含まれている。


しかしニーチェ古代ギリシアに託して語っているものの実体とは、ニーチェの時代、19世紀の後半にあたるドイツの言論的、精神的状況のことであると考えてなんら差し支えはないものである。ソクラテス主義とニーチェが命名して指しているものとは、19世紀のドイツの病であり、その時代のヨーロッパによる意識的な兆候のことなのだ。

ソクラテスの象徴する世界像とは論理的世界像のことであり、それを支えている信条とは弁証法的世界像である。この弁証法的世界像に対置させる形でニーチェが示しているのが、悲劇的認識であるのだ。


そして悲劇的認識を可能にするものとは、音楽の象徴している世界表出である、というように、初期のニーチェは捉えようとしていた。しかしニーチェは自分自身のこの把握に対して、後に自己批判を加えているものだと考えられる。音楽というジャンルに期待していた漠然とした甘さについて、ニーチェは自分自身で反省している。

ニーチェは、初期に持っていた、論理主義的世界像に対する美学的判断の優位という批評の構図から次第に抜け出して進化し転回していくものだといえよう。ニーチェにとって文学的批判の極みにある著作として『ツァラトゥストラ』のことを挙げることができる。しかし後期のニーチェにおいて、逆に彼はもっと徹底的に、戦闘的に論理主義を研ぎ澄ましていくことになるだろう。後期ニーチェの『道徳の系譜』から『アンチクライスト』、そして未完に終わった『権力への意志』といった一連の著作にかけて、ニーチェは論理的かつ内在的な批判を徹底化していく。それは根底的な社会システムの批判、すなわち「あらゆる価値の価値転換」という根源的哲学の様相を見せていくことになる。