今村昌平の『ええじゃないか』

時は幕末である。横浜の海にはアメリカの黒い船が開国を要求に来ている。アメリカからやって来た船の中から一人の日本人が出てきた。彼は船で難破して漂流してるところをアメリカ船に救い上げられた農民である。彼はアメリカまで連れて行かれた後に、もう一度日本に帰されたのだ。この幕末の一庶民を演じているのが泉谷しげるである。彼は自分の村に帰り、自分の嫁であったはずの女を探した。しかし嫁はもう売られたのだという。男の故郷は貧しい村だった。江戸の見世物小屋に売られたのだ。江戸の町では見世物が流行り、庶民は娯楽を求めて繁盛していた。男は嫁を探しにいく。嫁は見世物で働いていた。今でいうストリップ劇場である。この嫁を演じるのが桃井かおりである。男と女は再び抱き合った。男は自分の見てきたアメリカの事を語った。同じ農民でも向こうには日本と比べ物にならない大きさがある。夢があると語った。男が日本に持ち帰ってきたのは自由のイメージである。男は嫁を連れてもう一度アメリカに渡りたがった。しかし嫁は直前で怖じ気づいて逃げ出してしまう。

幕府と薩長連合の人間達が争っている。江戸の町は飽和した状態で、常に何処かで争いごとから暴動が起こっている。何かが引っくり返っていようと日常茶飯事の世の中になっている。アメリカに行けなかった男は江戸に舞い戻ってくるが、しかし特にやることもない。時々彼は通訳の仕事に駆りだされる。だらだらやっていても、そこにいれば何となく食っていける。男は幕府を転覆する一揆の群れに加わる。女は女でこんどは小屋の親分とできている。男も花魁に齧り付いたり女には不自由もないが、お互いが何処かで顔を合わせる度に、嫉妬をしあってまたお互いを確かめている。町の中は争いだらけだ。一方ではアメリカの連中が立ち塞がり強引に要求を突きつけ、もう一方では幕府が取り締まりに躍起になり、そして薩長の連中が謀反を起こしに暗躍している。方向性の混乱した町の中では庶民達が集まり楽しみを求めている。特に武器も持たない庶民達ができる運動とは何なのか?それは集まって踊ることぐらいのものである。やがて庶民による踊りの一団は通りを横切るたびに数を増やし、それ自体が大きな勢力になっていく。彼らが唱える踊りの文句とは「ええじゃないか」である。ええじゃないかの運動体は、結局幕府の軍の鉄砲隊に行く手を塞がれて、解散させられることになる。鉄砲隊が揃って空砲を空に放つと、踊りの一団は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。ええじゃないかの音頭とは、どんな文句でも末尾にええじゃないかをつけることによって、超楽天的なる、超呆気的な酔狂の運動体となってのし歩いた。それは単なる無礼講であるのではなく、それ自体が発生的に調和した秩序を持ちながら。男も女も、中には裸で踊るものたちも多く、何々しても、ええじゃないか!その合唱が響き渡った。しかしアメリカ帰りの男、泉谷しげるは事件の最中に鉄砲で撃たれて逝ってしまった。男が最後に言った言葉は、撃たれたって、ええじゃないか・・・。肯定の大きな運動体は一過性のものとして幕を閉じる。幕末の世の中にあって、この大文字の肯定とはどのようにして立ち上がってきたものだったのだろうか。そして大きすぎる肯定とは、必ず何処かで頭を打たれて終わる。

今村昌平がこの映画で示したかったイメージとは何だろう。「ええじゃないか」は、幕末の人間達にとって一つの事件だった。問題は、このええじゃないかの一件の後に、人々が何を思い、どのような社会イメージを新たに抱いたのかということである。そして肯定のイメージを新たに主体化したのか?夫を失った桃井かおりは、夫の倒れた場所に再びいって、夫の流した血の沁み込んだ土の上にからだを押し付けながら大泣きする。一揆で知り合った琉球の仲間を演じたのは草刈正雄である。彼は琉球の村を焼き討ちにされ逃げ出して江戸まで出てきた。彼は琉球の事件の復讐として、幕府の役人を斬ったときの血で絵の具を作り、自分の舟のための帆を赤く塗り、それに乗って桃井かおりと別れて一人、海に出て琉球へと帰っていく。小さな船で再び琉球へ向けて海に出て行く彼が、果たして江戸から琉球まで無事に辿りつけたものなのかどうかは、誰も知らない。それは気の遠くなるような旅路であり帰路であるはずだ。ただ、ええじゃないかの事件の後に、人々の胸に宿したのは、新しい、それぞれの旅路のイメージである。1981年に今村昌平はこの映画を発表している。