Stairway to Heaven−『天国への階段』における悲劇の精神
レッド・ツェッペリンのアルバムには完成度が充ちている。レッドツェッペリンは結成から解散までの10年程度の期間に9枚のスタジオアルバムを残している。ドラマーのジョン・ボーナムの死によってバンドは解散することになった。各アルバムにはそれぞれの完成度が充ちている。そこにはそれぞれの異なった世界観がある。一枚のアルバムの中に芸術的な世界像を収めることに成功している。レッドツェッペリンは、ロックという音楽のジャンルによって統覚的な世界像を構築することにずっと拘り続けたバンドだったのだ。そしてその試みは見事に完成している。これ程完全主義を貫き通したバンドも珍しい。キープレイヤーのジミー・ペイジがバンドを解散させたのは、その完全主義を貫き通すためである。
子供の頃にダーウィンを読み、生物学者になることを夢想していたバイオリン弾きの少年が成長したとき、彼は時代の最先端にあった機械としてのエレキギターを手に取った。イギリス人のジミー・ペイジである。彼は、ギターでエレクトリックに増幅された音をマーシャルのアンプで歪ませて野蛮化することによって、音楽のジャンルにおける新しい世界像の構築に挑戦することになる。それは死滅した恐竜を、イマジネーションと電子楽器、それとワイルドなドラムワークによって現代的に復活させるという世界像の試みとなった。新しい激しい音楽的世界像のためのバンドは、レッド・ツェッペリンと命名された。それはドイツで休日中の人間たちの頭上に、空中爆発の大事故を起こし破裂した、水素で浮かぶ巨大飛行船の名前からとったものだ。
レッド・ツェッペリンによって、新しい音楽のジャンル、新しい音楽の精神による世界像の構築が試みられた。それは根源的な力への意志に充ちた生命的な世界像である。彼らの武器とはエレクトリックによって極限まで歪ませられた大音響である。激しいドラムの音である。彼らには時代的な要請も相俟って、ロックによる正当な芸術表現を可能にして産出することが求められたのだ。ロックによって全体的な世界像を収め込むこと。オペラのように。ツェッペリンによって表現された音楽的世界像とは力学的崇高である。レッドツェッペリンの芸術的完成度はアルバムを追うごとに高められた。ついに彼らが到達した境地とは4枚目のアルバム、『Led Zeppelin Ⅳ』にまず結実している。『Ⅳ』においてついに彼らが到達したものとは、ロックによる悲劇的精神の成立である。それは彼らの名曲『天国への階段』によって示されている。
Stairway To Heaven−天国への階段
(Page/Plant)ある女性がいた 彼女は光り輝くものなら、すべてが金だと信じていた/彼女は天国への階段を買い続けた/
彼女が行きたかった場所に辿り着いた時 もし店はすべて閉まっていたとしたら/その一言のために彼女はやってきたのに /そしてまた彼女は天国への階段を買う
壁にはサインが印してあった でも彼女は確信していた/ だって言葉にはいつも二つの意味があるじゃない?/小川の傍の木に 鳥が歌っている /時に我々の思考とは 誤って与えられるものだ/それは僕をとても不思議な思いにさせる/それは僕をとても不思議な思いにさせる
僕は西のほうを仰いだ時 ある感覚を得た/僕の精神は立ち去ることを辛がった /僕の記憶では、木々の間から煙のリングが立ち昇り、続いていた/目撃している者たちの声が聞こえた
僕は不思議な思いに駆られた /僕は本当に不思議な思いがした
僕らが調べを口ずさんでいると、囁きが聞こえた/理由は笛吹きだとわかった/立ち尽くしている者達の上に新しい日が訪れた /森は笑い声で木魂したのだ
君の所の垣根が騒がしく感じても、決して驚くことなかれ/五月の女王が春の掃除をしてるのだ/そう、二つの道筋を君は行くことができるが、それはしかし長くかかる /まだ君の道を変える時間はある
ああ、なんて不思議なことだ
君の頭はクラクラしてきて、もうこれ以上は無理だ でも君はまだ気づかない /笛吹きが君の仲間に加えてくれと呼んでいる/親愛なる女性よ 風が吹いてるのが聞こえるか 君はそれを知っていたか /君の階段とは 歌う風の中にあるのだ
そして僕らは 風のように道路を転がった/僕らの影が僕らの心よりも巨大なのだ/僕らの知ってる女性が歩いている/白い光に輝きながら自分を見せたがっている
どうやったら総ての物が金に変わるのだろうか?/注意深く聞いてみろ/その調べがついに君に訪れたのだ /総てが一になり、一が総てになった時/それは石になるために でも決して動き回ることはできない/それはロックンロールじゃない
そして彼女は 天国への階段を買い続けている
『天国への階段』の解釈として、これはドラッグ中毒の女性のことを歌ったものだとして、たいていは通っている。その解釈は大体正しいだろう。笛吹きという語はpiperである。smokeという比喩が歌の中には見られる。しかし表面的なドラッグの題材だけではなく、それ以上のものを読み取ることも可能な詩である。
ロックによって悲劇精神に到達すること。これは難しい試みである。ツェッペリンの表現しているのは、崇高な力の次元をロックによって呼び寄せるということが主であって、それが悲劇的な境地にまでいきうるというのは、ほんの僅かに垣間見られるに過ぎない。ビートルズにもストーンズの中にも悲劇性とは見当たらないのだ。それではロック表現によって、単なる崇高さを超え出て悲劇の精神の境地にまで到達したものとは、どんなものがあるのだろうか?ニルヴァーナの場合は、悲劇的世界像を描き出すことに見事に成功しているといえる。パティ・スミスの楽曲にも悲劇性は含まれている。ピンクフロイドの『アニマルズ』、『炎(Wish you were here)』、キングクリムゾンのファースト、デヴィッド・シルヴィアン&坂本龍一の『Secrets of Beehive』、ナイン・インチ・ネイルズの『FRAGILE』、パティ・スミスの『Pissing in the River』、デッドボーイズの『Ain't it Fun』、ドアーズの『the End』、イギー・ポップの『I've got nothing I've got shit』、ボブ・ディランの『One more cup of coffe』、ジョニー・サンダースの『Hurt me』、ニック・ケイブの『the first born is dead』、ミニストリーの『the land of rape and honey』、ジョイ・ディヴィジョンの『Closer』、メタリカ、オジー・オズボーン、・・・。
ロックとは大抵の場合、楽観的な音楽である。それは音楽による楽天主義と呼んで大部分のものは収まってしまうだろう。