政治と謝罪

ボクシングの亀田親子の話は、もう収まったという感じだろうか?あの親子のストーリーは、ある種仕掛けられた、マスコミ特にテレビ局による演出作用として、パブリックイメージとしての一家の像が雪だるま的に肥大していったという感じだったけど、見てれば、そのうちどっかでボロが出るだろうという展開は、普通予想はされていたわけで、その落ちというのが、思った通りに転がり込んできたということか。あの派手なツッパリ演出が長く続くはず無いというのは、考えれば簡単に予測できたことで、その落ちはこういう感じで来たのかと。なんであんな奴等をあんなに目立たせて祭り上げたんだという反省作用が、メディア的な反作用として当然の如く来るけれども、その彼らを利用することによって、稼げるところまで稼ぐという仕掛を作っていたのも、テレビ局の責任であることは間違いないわけで、ある種予測された茶番劇であり、予想通りの反作用が嵐として、ここ最近のメディアを賑わせたというだけのことである。これもメディアの自己浄化作用か。最近だと同様の例とは、去年の大晦日で、DJオズマの紅白歌合戦の過剰演出の事件があった。オズマ君、要するに綾小路なんとか君の芸名で別のバンドで目立っていた芸能人だったが、生放送の現場で、リハーサルの裏をかき、過激に裸体を模写したような演出で大勢のダンサーを躍らせたので、NHKに相応しくない、紅白の伝統に背くという形で、結果、打ち上げ花火的に目立った後にはパージされた。本人はNHKサイドにも恨みがましい気持ちも吐露していたが、あれだって、局のスタッフと最初から共犯的に仕組んでいなかったら有り得なかった事件で、結局、尻拭いをさせられたのが、アーティスト本人だったと云う事で、よく考えれば、すべて最初からお見通しにすることもできた演出であり、責任の結果的な配分だったわけだ。

メディアは、自己演出作用として、必ず何か事件を仕掛けるが、それが突出しすぎた時は、当然の如く反作用も大きい。この作用から反作用のプロセスまで含めて、メディアの法則がそこにあるのだといえる。そのままいい気になって突っ走れると信じていたのは、亀田の親子やオズマなど当事者だけで、一番幻想に酔っていた分だけ、落とされたときの衝撃を身に受けるのも彼ら本人に他ならなかった。オズマにしろ、亀田の親子にしろ、メディアの特殊な作用を視線として意識しながら、人工的に形成された、当事者自身にとっても、それは虚構のイメージである。亀田の子供の方は、演じてるのがまだ素直だけど、親父のほうは、あれは病気だなというのもわかる。亀田の親父さん、よっぽど感受性の強い人間だったのかもしれないが、最初からあんなに突っ張って、世の中渡れる人間は有り得ないわけで、有名になってから、明らかに彼の態度は大きくなったのだろうし、ある種理想自我としていた虚構の仮面を、いい年になってから身につけて自己宣伝したというところである。

しかし、あの親父さんは、何故謝らないのだろうか?謝ることができない、しかし、まさか亀田史郎が最初からそうだったはずもなく、子供の頃や、中卒で働き始めた過程とか、普通に、貧乏ながらに子供をジムに連れて行っていた頃などは、明らかに普通の社交性を持ち、そして普通以上に、礼儀作法には気をつけ、人の気配の機敏な空気、力関係を読み取り、贈与の精神にも怠らなかった人であるのは確実である。しかし、どこからか、彼は別の自我を身につけた、子供を勝負の世界で勝たせて有名になり、金も入り、他人の視線の中で優越感を感じるようになって、彼の中にあった別の自我が、一定の年齢になってから、また生まれ直したのだといえる。元々、礼を知らぬはずはないし、礼を尽くし、権力者には贈与しながら、自分のポジションを、過剰に臆病になりながらも小まめに確保し、そして他人を競争で出し抜く術も、なんとなく身につけた。それまでは、絶対に謝る事にこそ長けていた彼のパーソナリティは、何処かの時点から、俺様は絶対謝らないぞという人間に変貌したのだ。全く同じ変質は、彼の子供達にも生じた。特に、長男と次男のほうは、親父と苦労した時代をよく覚えている。謝らなければ、頭を下げなければ、ボクシング界でも、テレビの興行界でもまず仲間に入れてくれるはず無いからだ。彼の世渡りの術とは、子供をボクサーとして成功させる過程で、生まれてはじめて花を開いたのだ。

そして彼は、謝らない人間になった。謝らない人間として、新たに人工的に、サイボーグのようになって、亀田史郎とは生まれ変わったのである。人工的であるが故に、自然に反した、それは無理なキャラクターである。相変わらず、彼のツッパリの手法とは、二本の手口を使い分けるもので、一方では傍若無人な風情として、テレビカメラの前で怒鳴り散らしながら、試合の時は、小池百合子のような政治家から猪木のような業界の権威者、歌手やスターに愛想を打ち、取引をし、身の回りを固めていた。これが史郎にとっての政治のすべてである。TBSとタッグを組み、相当な高みまで上り詰めたが、破局は、予想通りに、結構簡単に到来したものだった。最後に謝罪を、彼らはメディアから要求された。メディアを敵に回すことは、社会を敵に回すも同然である。最初の会見で、史郎は、試合をやった次男大毅と二人で会見に臨み、17歳の亀田大毅は言葉を発することができずにそのまま引っ込んでしまった。次に長男亀田興毅が一人で謝罪に臨み、それは長時間のものとなり、やっと謝罪らしい謝罪となったわけだ。しかし史郎は、その場には出てこなかった。何故、この親父さんは謝まらないのだろうか。謝罪できない。不思議な心的メカニズムで、やっぱりプライドというよりある種の病気なのだろうが。謝罪をしないという事の意味が、亀田のパブリックなイメージにとって重くのしかかるのだ。何か思いつめた、特殊な情念によって生きているのだろうが、その情念はたぶんそんなに複雑なものではなく、相変わらず不器用な生を背負っているというのには変わりない。

謝罪というのは、政治にとっても、一つの大きな位置を占めているファクターだが、儀式的なものであり、儀式には違いないが、それはその都度に、形式的な物事の順序を埋めるものとして、必ず機能している。謝罪の形式とは、政治の要素である。不可欠で儀式的な、確認の作業である。亀田史郎が謝罪をしないのならば、それは男らしいとさえ見えないが、超人的な生き方である。史郎の抱いている幻想とは、きっと超人になることだったのだろう。史郎の作ったボクシングの練習メニューも、内容というよりも、その奇抜な見せ掛けが、何よりも奇妙であり、テレビに宣伝しながら、誰よりも史郎がその奇抜な芸に酔っていたのだろうし。史郎は、自己の幻想を強固に押し通すことで、ツッパリを終えた。残りの尻拭いから、家族の行く先は、子供の手に委ねられた。史郎にとって、生まれ変わった自我とは人工的な自我だったが、その人工自我と、彼は心中さえする位のものだった。強固で固着した、自然な賜物というよりは人工的なプライドの塊である。しかし、この人工プライドが意味するものとは実は死そのものであり、もう一つメタレベルにある高貴さのプライドとしての、謝罪の身振りにまで、彼の硬直は抜け出ることはできなかった。謝罪をしない、ということの意味とは何なのだろうか。史郎は世間と闘っていたのだろう。子供達のボクシング界出世とは、史郎にとっての、わが闘争である。たぶん、出来るものならば、人はなるべく謝罪をすべきものでもある。それが出来ないのは、彼の個人的な心の病である。テレビを見ている人は、みんなそれを分かっている。病気だと分かりながら、亀田家を持て囃している。テレビのイメージで、史郎の興奮する姿とは、ただの馬鹿な人にも見えるのだろうが、しかし彼のプライドに対する思いつめ方というのが、何か奇妙に面白いのだとも思える。素人でも精神分析的な見方を、テレビのこちら側で楽しむことができる。今回謝罪できなかったことで、彼は社会人としての地位を失ったのかもしれない。本当に死ねるほどの勇気はなかったにしても、彼はある種の緩慢な社会的自殺、自己破壊的な過程を遂げたのだ。

社会の回転がうまく維持されるためには、謝罪とは形式である。それ自体に深い意味はないのかもしれない。実際は形式に奥や深みが有り得るとも見えない。しかし人はその都度その形式をクリアしていかなければ、社会的に生きていけない。亀田家を人々が見るとき、謝罪をしないで突き進むもののイメージというのを、テレビの拡がりの何処かで、人々は遭遇することを欲望したのだろうか。まるでスペインの闘牛場みたいに真ん中で最も単純な猛進をする動物を。亀田家には一定のファンがつき、大きな視聴率を取った。男性性と女性性、そしてサディズムマゾヒズムを、その都度ミクロに分岐していき、複雑化する競争社会、限りなくミクロに拡散する勝負の無数な別れ道で、そこに病的に愚直に硬直したプライドの塊が、頑固な怪物のように、日本のメディアで出現した。亀田一家の幻想体系である。テレビを見る人々は、その仕掛の面白さに、若干喜んだ。亀田史郎とは、一つの型である。似たような誤り方は、何処でも有り得る。しかしそれにしても、謝罪の精神、そして礼というのに、人が回帰してくる時、そこにはどんな転機があるのだろうか。これからの亀田家が、まだ先にドラマを書き得るとしたら、見所とはそこにしかない。謝らない人、これは現代社会においても一種の幽霊なのだ。この幽霊を作り上げたのが、まさにマスメディアの人工的な機械仕掛けだったのだ。プライドの亡霊が、現実的に着地しなおすためには、メディアの仕掛もまた、別のプログラムを書き直さなければならない。それはまさに、人間を媒介するものとしての、メディア的なプログラムになる。男が男として硬直することとは違う方面から、身体と精神を社会的自然へと繋ぐ、別の通路を作り直すことだろう。