インターネットの原点について、ちょっと気付く

ここのブログ記事を見てちょっと思ったことがある。

粉川哲夫先生と再会。最後にお会いしたのは、たぶん『消費の見えざる手』でのインタビューだったので、はや15年以上も前だ。なんだか先生は、少し背が高くなったような気がした(というか、自分が縮んだ?)。

以前から先生の「シネマノート」を愛読してきて、一度ぜひぼくの関わっているメディアに寄稿してもらえないかなと思っていた。「シネマノート」は、1日平均7000アクセスというから『談』のブログなど足下にも及ばない人気サイト。そこで、10年以上にわたって、先生は、観ては書くという作業を続けてこられた。
http://dan21.livedoor.biz/archives/51086576.html

粉川哲夫のサイトというのが昔からあった。僕は殆ど覗いてなかったのだが、それが今どうなっているのか改めて知った。10年以上続いているサイトである。確かに10年前に見たはずだ。記憶を思い出した。粉川さんというのも、実は要所で機能していた人である。和光や東経大のスタッフだったが、色んな大学でよく出前のレクチャーをしていた。大昔に僕も聞いた覚えがある。左翼として独自の行動様式を守り抜いてきた人で、こまめな活動家で、そんなに有名ではなかったのかもしれないが、ある種左翼としての正統派を貫いてきた人である。今ある文化的な継続−遺産にも近いのだが、それは見えないところで、通年続いてきた粉川さんの活動に、意味としても人脈としても依存してるところは大きいはずだ。シネマノートというサイトは10年以上続いている。10年前のログを見ると、1997年のもの、最初は見た映画についての、殴り書きや数行程度の覚書が続いてる。そこから時間を追って、段々とコメントの分量が増えていって、いつのまにやら批評的文章の纏まりを明瞭に帯びるようになっている、時間の通時的なプロセスが理解できる。そして今に続いている。

粉川哲夫のシネマノート http://cinema.translocal.jp/

知ってる人もいるかもしれないが、僕も、97年から99年位にかけて「Project Hegel」というサイトで文章を作っていた。飽きっぽいので途中から続かなくなったサイトだったが、当時の文章について、僕は今でも変な部分に自己否定的習癖が残っているので、もう大方廃棄してしまった。その当時も、粉川さんのシネマノートはあったわけで、粉川さんは、htmlの形式でもって今でもずっと持続している。そして蓄積したログの量も文章の厚みも、アーカイブとしての重みを湛えている。見た映画についてこまめに記録をつけていくというだけでも、続ければ通時的にこれだけの厚みと、書く事の経験的な技術度が増すのだということは、見て感心する。継続は力なりという凡庸な言葉に落としてしまうのは心許ないが、なんだろう、継続は労働なのだろうか、しかし労働というイメージとも最も遠い正統派としての粉川さんのイメージである、継続は生きること、そして生きた事というものがしっくりくるだろうか。記録を継続的に保存すること−したことの意味が、シネマノートから読み取ることができたのだ。別に専門的な知識の依存へと陥ることなどなく、映画について、適所を得た批評を、自分がその都度生きていて立っていた観点から、正確に全体化し、それを記録し続ける。すると自ずから、映画と主体の間に立ち上がる社会的空間の位相が、何重にも渡って分析的に、メタフォリカルに表現されて出てくる体験を、ずっとその都度の事件として生きてきたということだろう。それだって通時的な記録としてみれば、相当な厚みを帯びた、批評の重層的な価値となる。

見た映画について記録する。そしてただそれだけ。気付いた事を、どんな観点からでもいいから、書き残し、ネットに上げておくこと。そしてそれが10年以上、継続的に持続する。ただそれだけのことが、改めて凄いのだ。見習うべきなのは、粉川さんのような後腐れないフットワークであり、悔恨の重さも残さないような、その軽さであり、淡々とした記録の癖であり、飄々とした素振りである。こういう人が、元気に、着実に持続して活動し、生きてきて、そしてこまめにメッセージを送って、批評の為の技量も正確に培って伝えてきているのだという事実に、今更ながら、驚きと敬意も感じる。粉川さん、たしか今でも東経大のスタッフだったと思うんだけど、違うのかな?先日の今村仁司シンポの時に見なかったような。あるいは僕が当人に気付かなかっただけか、この日記にも頻繁に出ているように、NYとか外国で何かやっていたのか、あの時間。どうかわかんないけど、しかし凄いよね。このシネマノートのスタイルが。批評というのは、別に小難しいことではなく、こんなに単純に、フットワークであり、生きた記録なのだということを、発見し直す。そして、インターネットの原点とは、この書くことを巡る、表現することを巡る軽いタッチの解放感と、続けることによって生じる、無意識的な厚みを維持すること、文字通り愛することなんではないだろうか。そういったインターネット活動の原点が、粉川哲夫サイトからは、窺い知れる。