享楽の意味

図書館で借りてきた斎藤環の『生き延びるためのラカン』を読んでいるのだが。しかし、これってすっげ〜え面白いじゃん。もう今まで斎藤環を殆ど読んで来なかった自分を恥じる位だ。単なる啓蒙書を越えている。というか、本来の啓蒙書とは、こうあるべき姿なのか。というわけで、この本から今日の引用。

まず「享楽」の説明からしないといけない。でも、これがまたむずかしいんだな。これは端的にいえば、快感とか快楽を越えた、強烈な体験のことを指している。だから単純に快い体験とは言えない。そこには「激しい苦痛」なんかも含まれているからだ。たとえば「快感原則」という言葉、知ってるよね。これは人間が、不安や緊張を解放して楽な方に向かおうという傾向、言い換えるなら、不快を避けて快を求める傾向を指している。ところがラカンによれば、快感原則は享楽を抑制するための規則ということになる。つまり、快感を越えた強烈な体験に向かおうとする傾向を、快感のレベルでストップさせてしまうというわけだ。言ってみれば、麻薬を禁ずるかわりに、お酒で我慢させるようなものかな。もちろん快感原則も、大きく見れば象徴界の掟のひとつだ。ということは、ひとは、象徴界の入り口にある「去勢」の段階を通り抜けたときに、「享楽」を禁じられているわけだね。