2007-01-01から1年間の記事一覧

意味と『奇跡』と視線の根本的な変更

重要な本、偉大な本というのは読むという体験の質を変えるが、映画においてもそうだろうか。偉大な映画とは、見ると云う事の質を変えてくれる。視線の態度を変えてくれる。カール・ドライヤーの『奇跡』とは、世界の読み方、そして人間の読み方について、そ…

深夜に寂しき渋谷の裏側で

友人達がライブをやるというので金曜の夜、渋谷のライブハウス、青い部屋にいった。深夜から朝までやってるというので終電近い電車に乗り渋谷へ到着。青山学院の裏手で六本木通り沿いにある名前は有名なハウスである。戸川昌子がやっている店である。僕はは…

池袋文芸座にてカール・ドライヤー二本立て

火曜は池袋文芸座でカール・ドライヤー二本立てを見ていた。『怒りの日』と『奇跡』である。ビデオやDVDではなかなか見れない作品だが−置いてある所を知らない−、夕方から夜の客席はほぼ埋まる位、入っていた。若い人から上のほうまで客層は色々。前にド…

『アジアの純真』の起源

日本発の世界的ヒット曲『アジアの純真』の起源として明らかに見出すことのできる原アレンジとは、ELOの曲にある。ELO(Electric Light Orchestra)のアルバム『Discovery』が出たのは1979年だった。ポップスのアンサンブルにおける集大成として、そこで…

サイゼリヤの新メニュー

近所のサイゼリヤへいく。サイゼリヤの新メニューが大幅に変わっていた。なかなか嬉しいことだ。秋のホウレン草特集。サイゼリヤではいつもサイドメニューが趣深く、渋く、楽しいものが多いのだが、イタリアンハムのおつまみとかマカロニサラダとか、そっち…

想像的平面と象徴的平面の混乱

ラカンがセミナール『精神病』で示したように、想像的平面の再認と象徴的平面の再認を取り違えることによって、妄想の発生は起きている。(それは単に取り違えているというよりも、何らかの前提になっている経緯によって、その区別を付けることが出来ない状…

妄想の意味

今日の引用。ラカンの『精神病』より。(「精神病への問いの序論」) 了解という概念の意味するところは、一見極めて明瞭に見えます。それはヤスパースがそれを手がかりに、了解関連という名の下に、彼の精神病理学のいわゆる総論の要とした概念です。了解と…

「他者が無い」とはどういうことか?

今日の引用。 ジャック・ラカンのセミナール『精神病』より。(1956年。「穴の周囲」) 私はこの主張を、異なるグループに属する人の口から聴いたのですが、それは「その人にとって、他者というものが無いという人を分析することはできない」というものです…

パイプライン

映画『サッドヴァケイション』なのだが、エンドロールで流れるのが、最初の曲はたぶん日本のジャズ系で、渋さしらずっぽいようなファンクを日本化してる賑やかな音で、その辺のバンド名を僕は知らないので出てこないのだが、現代音楽が流れて、次にアップビ…

『サッド・ヴァケイション』

青山真治の『サッドヴァケイション』を金曜の夜に見た。金曜の夜最終回に東武練馬で見たのだが、駅前のショッピングセンターの階上にあるシネコンである。客の入りは、シネコンの夜にしてはまあまあという感じか。席で十二分にリラックスして大きな態度でス…

『SICKO』−エイゼンシュテインからマイケル・ムーアまで

マイケル・ムーアの新作『SICKO』を見る。マイケル・ムーアは、映画について、問題意識の構造から、説明的に問題の在り処を構築するものである。この論理的に映像を畳み掛けていく方法は、もはやマイケル・ムーアの御馴染のものとなり定着している。映像によ…

Wish You Were Here-3

この曲について、ピンクフロイド全盛時代に演奏する映像は見つからなかった。オリジナルメンバーのライブ、特にそれはあの特殊コンセプトで80年に出された「THE WALL」以前のもので、彼らがライブの仕掛として壁のヴェールをかけずにいて、まだロジャー・ウ…

ラカンからレヴィ=ストロース

最近ラカンとの繋がりからレヴィ=ストロースを読んでいたのだが。そういえばこの人まだ生きているのだ。1908年生まれである。ずっと20世紀の思想が生まれ死んでいく様を見ていたのだろうが、この位まで生きているとどんな気持ちがするのだろうか。来年で百…

『SIN CITY』

ロバート・ロドリゲスとフランク・ミラーの共同監督の『シン・シティ』。05年の作品である。ここに更にスペシャルゲストの監督としてタランティーノの名前が連ねられている。CGを駆使したハードボイルドの映画で、構成される映像の力をフルに引き出すこと…

タランティーノの映画愛かくも極り倒錯し至りけり

土曜の夜に、タランティーノの新作『デスプルーフ inグラインドハウス』を見たのだが、この映画は凄かった。ガツンときました。どんなすごかったのかというと、要するに、あのワイルド・アット・ハートよりもすごかった、乗り越えたほどだったのだが・・・ど…

朝青龍の病気を治すという奇妙な治療法の話

朝青龍の話をテレビで見ていたら、モンゴルの精神治療第一人者という爺さんがマスコミの会見に答えてる映像が出てきた。モンゴルから、何処かの庭のような場所にテーブルを置き会見場所を作り、濃い緑をバックにして、爽やかな陽の光を浴びながらプレスの質…

モンゴルに於けるブルジョワ革命と朝青龍の行方

朝青龍騒動に火花が飛んでいる模様だ。朝青龍というモンゴル人の力士が、行動において横綱として相応しくない、横綱の品格というのを汚しているのではないかという話が、問題に浮かんでいる。モンゴルで逞しく育った天真爛漫な青年は、日本の相撲界にある暗…

Wish You Were Here -2

この曲が収録されたのは、ピンクフロイドのアルバム『Wish You Were Here』であって1975年のことである。歌ってるのはギターのデヴィド・ギルモアの声に近いが、ベースのロジャー・ウォーターズの声も途中から被っている気配は感じられる。ギルモアとロジャ…

関東の原風景を体験する

火曜日には、南尚の実家のある茨城県龍ヶ崎市にまで車で遊びにいった。取手の駅から車で二十分(以上)飛ばして、ひたすら田圃と畑の続く延々とした平野の風景が続く。利根川沿いの道を走った。例えばそれがどんな景色かというと、田圃の中に大きな十字路が…

動物にはナルシズムがあるのだろうか?

動物にはナルシズムがあるのだろうか?それらしきものはあるはずだ。まず動物は、イメージを認識するのか。やはりイメージ認識における原初的なメカニズムはあるはずだ。それは蝿にさえある。蝿の眼と脳の連関性にもある。何か原初的な把握のメカニズムであ…

Wish You Were Here

『Wish You Were Here』のビデオを探していたら、この曲が演じられたものの中でも一番良かったものは、これではないかと思った。VELVET REVOLVERというバンドがライブで演じカヴァーしたWish You Were Hereである。もちろんこの曲が、ピンクフロイドにとって…

ラムネの瓶

深夜に近所の駅前の居酒屋和民にいった。酒は飲まなかったが代わりにラムネを頼んだ。氷を入れたグラスを添えて、ラムネの瓶が運ばれてきた。ラムネを飲むのなんて久方ぶりだ。瓶の開け方に最初戸惑った。これどうやって開けるんだっけ?それは貼ってあるシ…

同時代ゲームからは逃げられない空の色

今日はちょっと本を調べに神田まで出た。池袋から丸の内線の地下鉄で、御茶ノ水に降り、そこから、今日は曇り空の下の、蒸しきった空気の中で、大きな坂を下っていく。御茶ノ水駅に架かる古い高架橋を渡る時、この橋の架かり方が、なんかいかにも昔に設計さ…

ボギーの時代−孤独な行動者像の起源

そうえいえば友人にひとり、ラオール・ウォルシュがすきだという人がいて、僕は見たことがなかったのだが、彼の言うことに興味をもって見てみた。図書館で『ハイ・シェラ』というラオール・ウォルシュのDVDを見つけたので見たのだが、ハンフリー・ボガー…

情報とスピードと体制の変動

夕方、日が沈みかける時間になって、もう外の暑さも柔らいだかなと思い、自転車で大宮の方まで飛ばした。途中に幾つか大きな本屋があるので、そこで本を調べるという目的もあった。そういえば春に出ている早稲田文学で、スガさんが、吉本隆明とクロカンとい…

ジョニー・サンダースの『BORN TO LOSE』

青山真治の新作映画のタイトルは『サッド・ヴァケイション』というそうだが、それのトレイラーを見たら思った通り、sad vacationとは、ジョニー・サンダースの曲に因んだもののようだ。そういえば、ジョニーサンダース自身が出演もしたNYのマイナーな映画…

グリフィスの時代と『国民の創生』の屈折率

深夜にグリフィスの『国民の創生』を見ていた。近所の図書館にあったDVDである。グリフィスは、1915年に、まだ無声映画としての『国民の創生』を作り、1916年に『イントレランス』を作っている。グリフィスという人は当時、アメリカよりもヨーロッパで人…

『戦艦ポチョムキン』を深夜に

借りてきたDVDで見ていたのだが、それは淀川長治の世界名画クラシックというシリーズのもので、冒頭に必ず、あの懐かしい淀川長治の解説が入るものだ。淀川長治によると、自分の選ぶ映画史的なベスト作品とは、チャップリンの黄金狂時代と、このエイゼン…