Wish You Were Here-3

この曲について、ピンクフロイド全盛時代に演奏する映像は見つからなかった。オリジナルメンバーのライブ、特にそれはあの特殊コンセプトで80年に出された「THE WALL」以前のもので、彼らがライブの仕掛として壁のヴェールをかけずにいて、まだロジャー・ウォーターズがいた時代のものである。

昔のピンクフロイドは実際、素顔を晒すことも少なかった。ライブの映像も少ない。謎に包まれていたバンド、というか自らそういう謎の中にいようとしたバンドというイメージはある。何故ならそれは彼らの芸術的なポリシーにあったのであり、ピンクフロイドを理解するために、別に彼らの生の姿を見る必要もない。

真の姿も知らなくていいし、音楽が、レコードがそこにあれば、ピンクフロイドを理解するための必要十分な条件となりうる。それこそが思想性として見たときのピンクフロイドには相応しい話だろう。

70年代の、まだ情報と速度が曖昧で断片的でヴェールに被っていた時代を抜けて、80年代のビデオとテレビの時代になる。オーディオの次は映像が情報として開放される時代である。しばらくしてロジャーは脱退したが、彼の脱退後も、ピンクフロイドの巨大さとは続いていた。ライブをやれば巨大会場を人で埋めることはできる。巨大なライブでは、デヴィッド・ギルモアが一人でこれを歌っている。

あのイントロが弾かれると大きな群衆がどよめく。この曲の何がいいのかといえば、まず詩がよいのだが、どんな気分でこれを書いたのだろうか。誰を、何の事を意味しうるのかも定かではないが(一説ではシド・バレットとも云われるが)その抽象的な指示性において、高度に研ぎ澄まされて記述されたメッセージであり、気分である。これは何か、抽象的な他者へと向けて、宙を仰ぐ曲ではあるのだ。

そう・・・それで、君は説明できると思ったのか?
天国から地獄。青空から苦痛について。
緑の草原と、冷たい鉄のレールの違いについて分かるか?微笑みと嘘の違いについて

君は理解できるのか?それで彼らは、君のヒーローと亡霊を取引させたのか?
熱い灰と木々を。熱い空気と涼しい風を。冷えた安らぎと変えてしまったのか?
そして君は交換したのか?戦いの中を歩むことと、檻の中の主役となることを

どんなにか、君がここにいてくれたらと望む。僕らはまさに、年々、金魚鉢の中を泳ぎ続ける、二つの失われた魂である。同じ古い地面を走り続け、一体何を見つけたというのか?
同じ古い恐怖を。あなたがここにいてくれたら