関東の原風景を体験する

火曜日には、南尚の実家のある茨城県龍ヶ崎市にまで車で遊びにいった。取手の駅から車で二十分(以上)飛ばして、ひたすら田圃と畑の続く延々とした平野の風景が続く。利根川沿いの道を走った。例えばそれがどんな景色かというと、田圃の中に大きな十字路がある。角にはコンビニが一軒立っている。駐車場ばかりがやたら広いコンビニエンスストアがある。その奥には高校がある。コンビニの向かいには、中華料理の古めかしい看板が立っていて店がある。この店も本体の大きさに比べてやたら駐車場のスペースが広い。大変見晴らしの良い十字路である。景色を遮る物がなにもない。文字通り、純粋な十字路である。四方八方が緑の田畑に囲まれている。真ん中には信号機が純粋に立っている。広大な田園風景をそこから一望できる。十字路から田圃の奥に向けて更に暫く車で突っ走る。道路だけ伸びていて、その脇には民家が散在する。古めかしいガソリンスタンド。自動販売機が何台か立つ。小さな橋があって小さな川がある。新利根川という名前の川らしいが、長閑な水路のような川である。そこで曲がると川に沿って集落が少し開けている。その中の一軒が南尚の実家だった。家が田舎だとは聞いていたが、これだけ田舎だと、なかなか感動的である。今まで同じ常識で語っていたのが振り返ると躊躇われるほど、彼の背負っていた環境が都市とは異なっているのに気付く。しかし必ずしも都心からそんな遠いわけではない。頑張れば通勤や通学も可能なのだろう。取手から利根川沿いの道を来るとき、途中に東京芸大の取手校舎というのがあったぐらいだ。

関東地方の原風景、それは平野である。ただひたすらな、平らな土地が続いている、延々とした開けた風景。国道6号線沿いの環境なのだが6号は柏を越えた辺りから景色は一気に田園風景と化し、その原光景を顕わにすることだろう。国道6号といえば水戸街道のことであり、都からずっと北上している道である。日本の古い風景が残っている。霞ヶ浦の少し手前ぐらいが龍ヶ崎市の位置にあたる。6号を走っていると、田園の中に突如、空中に浮かぶ巨大なカップヌードルを発見する。カップヌードルからはモクモクと湯気が立ち上っている。日清の工場があるのだ。他にも、南尚は取手でキャノンの工場で働いていたこともあるらしく、取手近辺とは、大きな工業地帯になっており産業もあるし労働人口もそこそこ集まっている。田舎には見えるがそれなりに経済的に豊かな地域ではあるのだろう。牛久の沼にいって畔のうなぎ屋で飯を食い、柏の駅前まで足を伸ばしたりした。柏まで行くとちょっとした大都会である。南尚がディスクユニオンで用を足し、ビックカメラで電池を買っていた。牛久の沼は、うらぶれた雰囲気がすごい。時代遅れの商業施設。寂れた感じ。70年代から時間が止まってる感じ?古いホテルとレストランがくっついた建物は、幽霊屋敷にも見えるような感じだ。沼の脇に、ボートとサーフボードが埃を被り放置されてる。小さな沼だし水も汚いが鰻くらいは捕れるのだろう。何もない。日差しだけが無言で照り返している。レストランの店内。古い建物の、コンクリートの臭いがする。沼の手前の6号沿い、南尚が指差した建物で、火事で全焼したアパートがあった。コンクリート造りのアパートなのでそのまま建っているが、よく見ると黒く焦げている。廃墟化したアパートだ。こういう建物は、壊すだけでも金がかかるのだ。だからそのまま放置してあるのだろう。かといって、よく見ると全くの廃墟という感じでもなく、上の方の部屋で幾つか、洗濯物が干してある。まだ人が住んでいるのだろうか?あるいは勝手に住んでいるのだろうか?車を飛ばし、田園の中を通り抜け、ラジオからはヴェルヴェット・アンダーグラウンドがかかっている。JWAVEの電波でもここまでよく聞こえている。日が沈みかけている風景の中を車で走りぬける。南尚の家は、昔の農家で、懐かしい木造の家屋である。入るとすぐ木の匂いに包まれる。冬瓜を食わしてもらった。冬瓜の煮込みと粕漬けである。農家の食い物、もちろん自家製だろう。冬瓜なんか食うのは久しぶりだった。酒を飲む。この家にはリキュールがたくさん置いてあったので炭酸水と氷で割って飲んだ。エレキギターを持ち出してきて、エフェクターのコレクションを色々音を出して試してみる。そして昼寝をした。

夜になって、雨が降ってきたようだ。どうも大雨で強く叩く音が聞こえる。目が覚めた。泊まっていってもよかったのだが翌日の調子を考えて頑張って帰ろうかと思った。車の持ち主のY原さんもグタッとしていて横でずっと寝ていたようだ。雨は相当強い。嵐のような気配、というかこんな大粒で強い雨というのは、滅多にお目にかかったことがないという感じ。環境が都市と異なると、雨までもこんなに素直に強く降るのだろうかと思う。もともと関東は最近まで、こんな激しい雨が平気で降る自然を有している地域だったのだ。都市化というのは、環境を決定的に変えている。ここでは隣は大きな利根川がうねり、その横はひたすら田園だけで、低い平野がずっと連なる。霞ヶ浦まで続き、その向うには筑波の山麓が控える。取手からここまで来る途中に、実は柳田国男の家というのがある。柳田国男は中学生の頃に利根町に住んでいたらしい。柳田の生家とは兵庫で、彼が大きくなってから住んだのは渋谷や成城らしいが、柳田の兄が利根で医者を開業していたので、一時期ここに住んだこともあるらしい。田圃に囲まれた道路は、ジャングルの熱帯に降るような雨で水浸しである。警戒しながら夜道にヘッドライトを頼りに運転する。こういう時は他の車が走っている動きだけが有効な頼りになる。他の車の動き方に調子を合わせながら恐る恐る進む。それでも道を間違えてしまった。曲がるところを間違えたようで川沿いの道を延々と走ってしまった。しかし雨も引けてきたようだ。利根川の支流なのだろう訳のわからない川の傍を走り、標識によるとどうやら我孫子の辺りを走っていたみたいだが、その辺りから市街地へ抜け、後は標識を頼りに走った。6号に戻れた。夜の風景が続く中を勘で車を飛ばしながらAMラジオをずっと聴いていた。車は埼玉まで直進した。