パイプライン

映画『サッドヴァケイション』なのだが、エンドロールで流れるのが、最初の曲はたぶん日本のジャズ系で、渋さしらずっぽいようなファンクを日本化してる賑やかな音で、その辺のバンド名を僕は知らないので出てこないのだが、現代音楽が流れて、次にアップビートのパンクをラフに崩したような曲と、二曲でてくる。一曲目の楽天的なジャズの曲はいいとして、二曲目のほうがどうも中途半端な曲だなと思ったのだ。というのは、あのパンクっぽいアレンジは、たぶんジョニーサンダースのパイプラインを意識して使いたかったのだろうが、何故かそれがパイプラインではなく、パイプラインを真似して拵えたようなそれっぽい別の曲に差し替えられているような気がしたからだ。

ジョニーサンダースはパイプラインをカバーしていて、パンクにされたパイプラインとは独特の味が出ていて大変気持ちよいのだが、もちろん原曲はヴェンチャーズのあのパイプラインである。どこのバンドが演奏した曲かわからないが、そのそれっぽい曲を使うくらいなら、オープニングでやったようにちゃんとジョニーサンダース版を使えばよいと思ったのだが、それをしなかったのは何故だろうか。アーティストの曲とは映画で引用するごと別に費用がかかるからだろうか?例えば、パイプラインならば、サンダースとヴェンチャーズと著作権が二つに跨っているので使いにくいとか高くつくとかいうことがあるのだろうか。

最後に流れた風の曲だが、映画のロールであの感じのアンサンブルが流れるのは、そういえば、『レポマン』の曲がそうだっただろう。アレックス・コックス監督のレポマンでは、イギーポップの作ったレポマンのテーマが流れるタイトルロールの場面がとても印象的だったが、件のパイプラインをパンクアレンジするような曲というのは、雰囲気がまさにあのレポマンのテーマと同じものである。『サッドヴァケイション』のエンディングロールを見て、またあのレポマンが懐かしくなってしまった。あれは80年代に見た映画の中でも相当印象に残っている。僕は当時吉祥寺のバウスシアターで見たが、なんだかまたレポマンが見たくなった。DVDを借りてきてみよう。

というわけで、肝心のジョニーサンダース版のパイプラインというのをここで紹介したい。本州と北九州を繋ぐ巨大橋のイメージもまた一つのパイプラインである。本当は、映画の最後を締め括るイメージとして、監督はこの曲の味が出したかったのではないかと思うのだが。これっぽい感じの別の演奏の曲になっていた。あの演奏はちょっと、まじのジョニーサンダースではなかったと思う。そして映画におけるこの味付けとは、記憶を辿ればレポマンである。80年代にレポマンを見たとき、あの意味のわからなさに感動したものだった。あの煙に包まれたような後味の楽天性が、これこそパンクのエッセンスであるという気がしたのだ。