グリフィスの時代と『国民の創生』の屈折率

深夜にグリフィスの『国民の創生』を見ていた。近所の図書館にあったDVDである。グリフィスは、1915年に、まだ無声映画としての『国民の創生』を作り、1916年に『イントレランス』を作っている。グリフィスという人は当時、アメリカよりもヨーロッパで人気があり、特にグリフィスの映画を気に入ったのがレーニンで、22年にはソヴィエトに招待されており、ソ連映画界とは、このグリフィスの強い影響下に始まっている。

レーニンの気に入ったのは「イントレランス」らしいが、「国民の創生」の場合は、KKKのグループが、リンカーンを暗殺した黒人派のグループをやっつけてしまうという、今の世間常識となっている差別的基準とは全く逆の展開で出来ているストーリーのため、アメリカでは上映禁止になったことも多かったらしい。KKKは白い覆面と白衣を纏い馬に乗った、白人優位主義の騎士団的な秘密結社であって、黒人をリンチにかけてきた事実をもった集団で、1915年当時では、まだアメリカ社会の通念では、KKKを肯定するような白人的通念が公にも通っていたと云う事である。だから今見ると相当に奇妙な映画なのであるが、しかもこの映画で、黒人派の代表の男の名前がリンチという名で、ヒロインを演じているリリアン・ギッシュに強引な求愛をして追い掛け回す中、KKKの馬に跨った騎士団が助けに来て、黒人派の兵隊達をやっつけて、めでたしめでたしという終わり方をするので、これが国民の創生という意味なのかと思うと、相当に奇妙な世界である。要するに、当時はまだ根強く続いていた黒人差別の通念を、白人社会の保守的な形で引き摺っており、それを反復強化して肯定しなおすようなイデーの映画である。

国民の創生」は、19世紀における南北戦争のその後を扱った話であるが、黒人は白人と同等の権利を勝ち取ったかに見せて、しかし結局、黒人はやっぱり悪者の地位にあてがわれているという、歴史の辛い側面を刻みつけている映画である。それはアメリカにとって、国民の創生とは、KKKの勝利という図式で、締め括られている映画なのであるから。1915年時点での、イデオロギーの限界性を示している。黒人派の代表にリンチという名前を与えているのは、また奇妙さに拍車をかけており、もともと私刑という意味で使われているリンチという言い方の起源とは、人の名前である。『リンチとは、正規の法的手続きをとらず、民衆や団体内において行われる暴力的な私的制裁。私刑。リンチの語源・由来=リンチは、1770年代に、アメリバージニア州で私的法廷を主宰していた「Captain Wiliam Lynch(キャプテン・ウイリアム・リンチ)」の名前が語源である。リンチは私設法廷で正規の手続きによらず、残酷な刑罰を加えたことから、そのような刑罰を「lynch law」と呼ぶようになった。この「lynch law」は、日本で名詞として使われている「リンチ」と同じ意味で、英語で「lynch(リンチ)」は、「リンチにかけて殺す」という意味の動詞になる。』というように、18世紀の白人アメリカ人の名前が、リンチの起源にあたっている。(ちなみに何の因果かわからないが、デヴィッド・リンチという名前も、このリンチ氏と同姓である。)

映画「国民の創生」の中で、黒人派の代表で、リリアンギッシュに強引な求愛をしてKKKにやっつけられる男の名前に、このリンチをあてがうというグリフィスの行為は、恣意的なものだろう。グリフィスによる、反動性の動きがもだえる所を、上から敢えて反復的な強化のローラーを轢くように、「国民の創生」の設定が作られているわけである。心理的な否認、抑圧、反転の図式としては、余りに見え透いているグリフィスの手付きであるが、リンチという名前を黒人に押し付けてまで、KKK的な理念の正当性を示そうとしたという、今の常識レベルから考えればとんでもない話なのであるが、ある種ヒューマンという観念の正当性が、強引な遣り方で、内側に明らかにヒステリーを孕みつつも、押し付けられようとするとき、このような事態が起きるのだという、精神分析の教科書みたいな事件性を含んでいる映画である。「国民の創生」の後には「イントレランス」のような愛をテーマにした映画を作り、グリフィスという人は、今から見ればすごい偽善者に見えるかもしれないが、しかし当時の基準、通念としては、彼は別に偽善者ではなかったのである。彼なりの一貫した理念があったはずで、その論理において彼はレーニンと共感している。

グリフィスの影響を受け、グリフィスの基準から、映画の形式を発展させたのが、エイゼンシュテインカール・ドライヤーである。グリフィスは、映画の父と呼ばれ、その後に本格起動する映画制作の基本形式を示したものとして、歴史的な位置づけが為されているが、その当時における、ヒューマンの正当性というのが、こんなにも屈折したものだったのかという歴史的事実性も、作品の中に残している。このグリフィスが、何故レーニンと共感しあうのかというのも妙というか、しかしやっぱり当時のソヴィエト的な意識、レーニンの持っていた観念にしても、人間と正義という次元において、何かグリフィスの意識のこの転倒的な構造と共有するものがあったのではないかとは、窺われるものだろう。正義や人間性の観念が、何か屈折を帯びたものとして、逆に強固に、ヒステリックに突出したものして主張され、通っている。そんな状況である。

イデアの側面では、グリフィスとは歴史的な屈折の点にあり、時代的通念の人であり、それは横にレーニン的なものの屈折などとも結局繋がっていくのだろうが、映画形式の最初期にあたる技術的な側面としては、基礎的で単純でわかりやすいことを試している。この映画が、最初期の映画的実験として、何が画期的で進歩的だったのかといえば、要するに、それまであった演劇の形式から、それが映画というフレームをベースにした対象の中に取り込まれ、再現されていきながら、演劇の持っている人物の交差する運動を、いかにフィルムの次元に移行させるか、そして単に室内劇的な単純な展開の形だけでなく、屋外で、大量の人間達の集会する様、戦う様、祭りをする様というのを、カメラの位置から、全体をどう収めればよいのかとか、そういう動的な展開形式を、とても基礎的に、映像の次元に移行させて実現させているといったものが見受けられることである。