モンゴルに於けるブルジョワ革命と朝青龍の行方

朝青龍騒動に火花が飛んでいる模様だ。朝青龍というモンゴル人の力士が、行動において横綱として相応しくない、横綱の品格というのを汚しているのではないかという話が、問題に浮かんでいる。モンゴルで逞しく育った天真爛漫な青年は、日本の相撲界にある暗黙の機微をうまく読み取ることが出来ない、あるいはそういった奇妙な不文律の存在にもう飽き飽きしている、嫌気が差しているのではないかという点から、日本のマスコミに追い掛けられ、疑惑にかけられている。モンゴル的で大雑把な物事の把握の仕方と、日本の細かい空気を強要される神経症的な几帳面さが、慣習の違いとしてギャップに現れるということもあるのだろうが、朝青龍の抱えている問題とはそれだけではなく、彼は日本で単に横綱として雇われているだけでなく、祖国のモンゴルでは、ビジネスマンとして商売に積極的に手を伸ばしているという点がある。彼は単にスポーツマンとして名を馳せただけでなく、思考においても相当合理的に物を進めたがるタイプなのだ。彼のやって来たモンゴルという国のことを考えてみよう。今までモンゴルの国内情勢や政治の話など、日本では滅多に話題に上ることもなかったが、朝青龍問題を期に、モンゴルという国の内部事情についても相当、日本で報道されるようになっている。モンゴルとは、その歴史見れば奇妙な背景を持つ国家ともいえ、現代史的な位置としては世界でソヴィエトに次ぎ二番目の社会主義革命を為した国である。モンゴルの革命は1924年である。もっともモンゴルにおける社会主義体制は1992年で終焉したと云う事になっている。以降は宗教的自由の公然の復活をはじめ、アメリカ主導型の国家運営が導入されているのだが、政権与党とはいまだに人民革命党にあるようなので、新体制と旧体制の入り混じる何か中途半端な国家体制にある国である。朝青龍のポジションとは、明らかにモンゴルにおけるリベラル派の最前線にあるといえる、いわばモンゴルのブルジョワ的改革を担う急先鋒にあたっている。彼はモンゴルにあって新しいブルジョワ的改革者のシンボル的な位置にあるのだ。

朝青龍の担っている活動性とは、明らかにモンゴルにおけるブルジョワ革命の位相である。モンゴルが隣の大国主義による属国体質の後進国家として甘んじたが故に置き去りにされてきた、ブルジョワ革命の段階を呼び戻すものとして、朝青龍の全体的な活動は機能している。朝青龍は事業の起業に積極的である。次から次へと複数新しいビジネスに手を出している。日本で横綱の地位まで獲得した彼の野心は大きいようだ。単にビジネスを増やしていくだけでなく、彼のプランでは、モンゴルに大きな総合体育大学を作る積もりだという。モンゴルにはオリンピックで金メダルを取ったものがまだ一人もいない。しかし元々騎馬民族として伝統的に鍛え上げられているモンゴル人の運動能力とは潜在的には凄いものがあるのは確実である。朝青龍が、相撲の地方巡業をさぼって中田と興じたというサッカーの試合の絶妙な動きの良さや見事なヘディングプレーを見ても目を見張ったが、あんな感じの天然に運動能力の優れた人材は、遊牧民族の中に幾らでも眠っていそうである。朝青龍は自分の命運にモンゴル国家の未来を賭けているのだ。もちろん単純な志向性としても、朝青龍の目指す理想の自我とは、チンギス・ハーンのイメージであるそうだから、余りにも分かり易い話ではある。今でこそ、田舎の弱小国家の扱いのモンゴルだが、そういえばモンゴルとはかつて巨大帝国であったのだ。モンゴル人の担うかつての栄光のイメージとは、今ではとかく忘れられがちだが、確かにモンゴル人の記憶の古層には、かつてのこの巨大帝国の痕跡が刻まれているものなのだ。モンゴル帝国が没落し解体していった理由とは、戦争における戦術の変化、騎馬戦術から武器の使用による戦争の方法的変化があげられるのだろう。以降、モンゴルは元や清、そしてロシアからの干渉を受け続ける属国の地位に止まるものとなった。清の勢力が衰えた頃に、ロシアの革命によって干渉を受け、モンゴルはロシアに引き続く共産主義体制が引かれることになったのだ。

そういえばエイゼンシュテインの『十月』や『全線』という映画には、モンゴル人のようなアジア系の人種が、後から革命の波に参戦するものとして登場している。『イワン雷帝』では、内陸のアジア系遊牧民とロシア軍の戦闘シーンが描き出されている。ソヴィエトとモンゴルの仲は必ずしも良いものであったというわけではなく、ソヴィエトのロシア人はモンゴル人の田舎者性を馬鹿にしていた傾向はあったようだ。モンゴルの政権与党として続いているのはずっと人民革命党だが、これの共産党への改名を、ついにソヴィエトは認めなかったようである。公用語モンゴル語だが、報道で見るとおりに、モンゴル語の表記はキリル文字でありロシア語風である。ロシア語と見間違えるような看板が続く風景である。92年より、モンゴルは自由化政策が進行している。モンゴル人が力士として雇われて日本にやってくるようになったのもそれ以降であるのだろう。報道の映像で見るとおり、モンゴルはまだ何もない地域であり、広大な田舎である。日本での成功を手にした朝青龍は、その出世頭ということだし、本国でも自国の命運を担う重要なヒーローとして扱われている。モンゴルにうまく資本主義を根付かせる為に、朝青龍自身も使命感を持って活動しているのだ。今、その朝青龍にとって問題となっているのは、全面的に明るい合理主義的精神としての資本主義と、もう一方で、奇妙で神経症的な目に見えない壁に囲まれた仕来たりとの折衷的な日本的資本主義の狭間で、彼自身のスタンスが問われている。相撲界を引退し横綱は返上するのか、あるいは日本的仕来たり=表論理と裏論理の明らかに分裂した、暗黙のシガラミの相撲界に対して、新たに何らかの論理でもって再主体化するべきなのか、あるいはやはり日本で多額の金銭を稼ぎ続けることはやめないにしても、合理的なショービジネスとして興行体制の完成している格闘技界へと転向するのか、という点である。

ちなみに、日本の報道班がモンゴルに取材にいったところ、モンゴルの病院には精神科という枠がないそうである。精神病という概念が、まだモンゴル人には浸透してないのだ。調べると、モンゴルの国内にて、精神病院とは一軒だけ存在するそうである。どんな国にも、村にも、狂人という概念は必ず生じるはずなのだから、国単位で見れば幾ら人口の少ないモンゴル国といえども、そういう枠を収容しうる施設を持つのは、近代国家の必然性であり義務にもあたるのだろうが。しかしモンゴルの一般社会にとって、まだ精神病という概念は殆ど知られておらず、その存在も認められていないという状態なのだろう。そんな国に、古来からの遊牧民的な慣習と伝統から、超近代的なハイテク情報機器が入り混じる、人民達の奇妙な生活環境の中で、テレビジョンの中のイメージとして、新しい英雄の像、チンギスハーン的な祖国のヒーロー像を担う媒体として、朝青龍のイメージが現れているのだ。朝青龍の目指すものとは、本来徹底した合理主義思考のはずで、それは元来のチンギスハーン的思考の発想とも合致している。しかし朝青龍は、システム論的な複雑さの位相として、盲点にあった、目に見えない実在の対象性について、新たに学習することを迫られている。彼にとって、この新たなお勉強の過程が終わった後に、彼の身に付けた資本主義のスタイルというのが、どのようなものとして出てくるのか、その時もまだ彼が相撲で見せていたようなダイナミズムが、肯定的な意味合いで機能しうるものなのかどうかについて、新しい世界システムの在り方を予測しうるものとして、我々には観察すべき着眼点があるだろう。