『戦艦ポチョムキン』を深夜に

借りてきたDVDで見ていたのだが、それは淀川長治の世界名画クラシックというシリーズのもので、冒頭に必ず、あの懐かしい淀川長治の解説が入るものだ。淀川長治によると、自分の選ぶ映画史的なベスト作品とは、チャップリンの黄金狂時代と、このエイゼンシュテインポチョムキンだというのだが、何故そんなに、エイゼンシュテインを推す人というのが、ある種の世代の人々には多かったのかということについては、ちょっと躊躇して考えてみざる得ない、事情はあるのだろうとは思われる。僕も、エイゼンシュテインを見ながら、必ず、ある種の分かりきった強烈な抵抗感は常に感じるのだが、しかし、その考えていることの分かりやすさ故に、ついつい納得しながら、その全体体系を追ってしまう、構造の明瞭さを読み込んでしまう、ということはあるのだ。もちろんエイゼンシュテインの作ってしまった映像から世界像とは、結果的には明らかに問題を孕んだものではあるのだが。そしてそのエイゼンシュテイン的問題性とは、今でもずっと続いている、人間性と集団性の関わる不可避的な問題の在り処を、彼の意識的に示したレベルではなくて、彼の無意識によって露呈されてしまっている部分として、それらは明らかに両義的な記憶を含み、普遍的に湛えているだろう。

確かに、エイゼンシュテインの映像は力強いし、出来事のそれぞれを畳み掛けるように統一感を与えていくダイナミズムは、大したものだと思われる。エイゼンシュテインのような芸術家のスタイルを可能にしたのは、ひとえに時代の特殊性が為せる業だったのだといえる。しかし、映像と全体性、物語的な人物像の全体化される体系とは、エイゼンシュテインのような、特殊な前提に則った実験がなかったら、そこまでとても究められる可能性もなかったのだろう、20世紀という時代に特有の、他では有り得ないような実験が、映画に施されているのだろう。世界像の求心的でパラノイアックな全体性、全体化とは、特殊な時代的前提がなかったら、まずそれが試されるような事もないし、もうそれは過去の歴史的な事件の一つというところまで、歴史は退いている。それは今ではとても有り得ないような、芸術的な実験の数々だったのだから、今となってみれば、そこにあった特殊な実験のひとつひとつを、しかし人類の歴史が何処かでは必然的にそこに突入するしかなった不可避性の形態として、我々の記憶の前提になっている痕跡を、丁寧に掘り起こしてみる作業は、記憶の正確な道筋を発見しなおすためにも、我々にとって、不可避な作業にあたるのだろうということも、明白である。

戦艦ポチョムキンは1925年に完成されている。ロシア革命は1917年だが、最初に成功した共産主義革命の波に拍車を受けて、エイゼンシュテインは情熱的にこの映画を作っているのがわかる。最初に、レーニンの言葉の引用からはじまるのだが、それは「革命とは、戦争である」というレーニン的なテーゼの引用である。もちろんポチョムキンは、共産主義のためのプロパガンダ映画として機能したし、エイゼンシュテインも当初そのような目的で作っている。1917年に、ロシアで革命を起こした当事者たちにとって、革命とは戦争を起こすことに等しかったのだ。あるいは戦争や内乱から、それを革命に逆転する。そのような逆転の形式は、彼らにとって弁証法として定式化された。今、革命とは戦争である、と往来で叫んでも、誰も振り向くものはいないだろうが、もともと革命という概念とは、そういうものとして、機能していた。共産主義の開始の時点でも、それは明瞭に闘争であった。

そういえば、エイゼンシュテインの文庫本を、僕も昔に買った覚えがあったよなと思って、本棚を探す。角川文庫から、昔、「映画の弁証法」という文庫が出ていて、それの復刊が出たときに買ったものだった。エイゼンシュテインが映画という対象に込めた情熱もさることながら、映画という形式を芸術表現の、最も重要な媒体として理論付けようとした、そして恐らくそれは未完に終わったというか失敗に終わった、破綻に終わったものだが、その試みの在り方自体が、何かとても理論的意識の立場からは、常に有り得る微妙な落とし穴を巡るシンパシーを引き付けるものであると思う。エイゼンシュテインは、その理論の為の欲動とセットになっているが故に、レーニンとの連絡を親密に取りながら映像の理論的実現を試みていたが故に、何かとても面白い、それ自体充実した世界を残しているのだ。エイゼンシュテインの映画については、レンタルではあんまり扱ってる店がないのだが、図書館を調べると結構置いてあったりする。僕も調べてみて、それでかなりを予約できたので、これから何本か、エイゼンシュテインの重要作品を見てみる積もりである。