『ツォツィ』−アフリカ人によるアフリカ人の為の映画とは、いつから可能か?

ツォツィ』という映画を見ていた。今年の春頃、日本でかかっていた映画で、DVDになっていた。南アフリカとイギリスの資本で撮った映画である。アフリカの事柄についてアフリカ人の立場から撮られる映画というのは、まだ余りないのだと思う。「ダーウィンの悪夢」(フーベルト・サウザー監督)のように、それは西洋の立場から西洋的視点をアフリカに持ち込むことによって成立している映画はあるにしても*1いまだ、アフリカ人の立場から自らを語るという映画は少ない。「ツォツィ」の場合、ギャビン・フッドという南ア人監督の手による映画だが、資本はイギリスで撮られているようだ。つまり西洋的に伝統的な枠組、近代的映画の構造というのを、南アフリカ的な現実の上に重ね合わせることによって、一つの現実が映画というフィルターを通じることによって、他の国の人々にまで伝わることになる。

あくまでも近代映画、近代ドラマ、そして近代文学的な枠組に切り取られた南アフリカ社会の模様であり、ツォツィに見られるドラマの構造自体は、既に我々にとって馴染のあるものであり、涙腺のコードに触れることを目的として作られていることはわかる。一定レベルのヒットを世界でうんだ映画である模様だ。舞台は、南アで旧アパルトヘイト地区のスラム街で、そこに生きる若いギャングの話である。現在の南ア社会で、ヨハネスブルクのような都会を舞台にし、現地人としての黒人の間でも貧富の差が露骨である場所で、一方には超高層ビルが建ち、商売に成功した黒人の住む邸宅があり、もう一方には、アパルトヘイトの時代から続くスラムはスラムとして残っている。街には、エイズに対する警告を呼びかける看板があちこちに立っている。ヨハネスブルグの地下鉄には乞食が階段の脇にいつも立っている。金の採掘の最中に足の自由を失ったという乞食が、車椅子を階段の上の脇につけて待っている。車椅子の乞食なので、悪戯をしてやればいつでも地下鉄の階段を転げ落ちていきそうなものだが、そういった危険な立ち位置に気付いているのか、注意が麻痺しているのか、何故だか平然としながら、車椅子でその男は待っているという光景が、なんともいえず、凄いと思う。安全な立ち位置にまつわる意識が麻痺するほど、記憶に損傷を受けている街の光景としては、象徴的なものである。

なぜこの映画を見ようかと思ったのかといえば、少し以前に久米宏さんがラジオで、ツォツィという映画がよかったと語っていたので、それで興味を持ったのだ。あの久米さんが思い入れを語っているような映画がどんなものなのかと思った。見てみて、その事情には腑に落ちるものがあった。なるほどと思った。ツォツィのような映画というのは、日本では以前にはよく作られていたが、今ではもう作られていない映画なのだろう。南アの「ツォツィ」や、それから韓国であればポン・ジュノ監督の「殺人の追憶」のような映画というのは、日本ではかつて多く生産されていたものの、もう作られなくなってしまった映画である。久米さんの場合は、彼の生きてきた時代的センスとして、「ツォツィ」のコードが、まさに波長があったのだろう。そしてそれは懐かしい感覚の再現であったに違いない。スラムのギャングとして仲間と、展望のない、強盗の生活を送っているツォツィは、ある雨の日に、丘の上の豪邸に住む婦人の車を襲った時、婦人には足に拳銃をうち、車を奪って逃げてきたものの、その車の中には彼女の赤ん坊がいた。ツォツィは赤ん坊を捨てることができずに、紙袋に入れて自分のスラムの部屋まで連れてきた。赤ん坊の世話をしているうちに、ツォツィの感覚には、微妙に狂いが生じてくるという話である。映画は、この赤ん坊を、豪邸の黒人住人に返しにいくまでのプロセスを追うものであるが、もっとも凡庸な語り口で、このドラマの構造を言えば、一個のギャングが偶然手に入れた赤ん坊の世話をしているうちに、人間的感覚に目覚め、それを記憶から呼び覚ますという話、凡庸な意味でも人間主義的な覚醒のドラマといって、合っているようなものだ。

このドラマの構造は、テレビドラマならば、今の日本でも作ることはあるかもしれないが、映画としては、もはやこれがないだろうというもの。しかし、文明的な遅れとして、ある種の発展段階的な啓蒙期に、南アをはじめとしたようやく近代化されつつあるアフリカの社会があるものであり、近代化とともに生み出される大量の近代的観衆、大衆というものが、今まさに生じていて勃興しつつあり、この単純な啓蒙ドラマの構造を欲望しているということにあたるのだろう。これは日本では、戦後期より50年代から60年代のドラマのコードであり(まさに久米さんのセンスである)、韓国ならば、つい最近までも、このコードによって、市民社会的に、共同的に、啓蒙される、覚醒されるという文学的=映画的な構造が生じていたということである。明らかに、近代的な社会の発展段階に応じた、文学的感性のコードである。大衆的で人間主義的な、主体の確認のコードといえるものである。イギリスの資本で作った映画とはいえ、対象とする市場としては、前近代と近代期の狭間にあるような地域の国、イランやイラクからインド、東南アジアと、この映画のコードが構造として要請される地域は、世界的に見ればまだ広大にあるわけであって、イギリス資本的な世界配給には、うってつけの映画であったといえる。しかし日本では、このコードは、もはや通用しない。これは確かな現実だと思う。だから日本のこれからの若い世代にとっては、こういったドラマのコード、人間的で啓蒙的な単純さの再認だが、もはや日本のものとしてではなく、海外の映画として、あるいは日本映画としては過去の作品として、改めて遭遇し、学びなおすことになるだろうものである。

何故、「ツォツィ」や「殺人の追憶」といった映画は、もう日本では撮られえないのか。それが人間という抽象体を道徳的な意味で再認させ強固に再現させるものだが、その抽象性と単一性故に、そこで再認を強制されている人間の姿というのが、もはや反動的な固い石の様な抽象物に過ぎないという仕組みが、透けて見えてしまうからだろうか。道徳という名目による反動が、その向こう側を知ろうとする、知の欲望を抑制する姿として倫理の力が振るえたというのは、あくまでも近代初期にのみ訪れうる、歴史的に特殊な段階の事情に過ぎないということだろうか。倫理性のコードとは、時代と認識力のレベルに応じて、常に変動することを捉えなければならないものだ。「ツォツィ」が日本でも受けたのは、そのノスタルジックなコードを呼び覚ましてのことだったのだろう。「ツォツィ」の次の段階には、ツォツィ的道徳コードの隠れた反動性を告発するものとして、最初に過剰に来た人間主義を裏返すものとしての、ポンジュノ的「殺人の追憶」のコードが必ず来る。これが近代文学的なプロセスである。そしてこの二つのコードとは、同じものの裏返しである。それらが表裏の同じものであることを、もう明らかに知らされているからこそ、日本ではこのタイプの映画は、もう作られないのだろう。

*1:要するに「ダーウィンの悪夢」という映画は、アフリカは、こうして搾取されている、という現実を示すものだが、搾取される姿としてのアフリカの有様とは、西洋的価値観と西洋的思考に基づいている事も明らかである。アフリカ人は何をどう思い考えるのかという以前に、人間的基準からの疎外を、アフリカ的開発の現実として照準を合わせている。それは別に悪いものではないし、西洋人の立場からも、そういう告発はどんどん介入的に行うべきだろうが、「ダーウィンの悪夢」自体は、ダーウィンという軸によって語り口を持つことからも明らかなように、それは必ずしもアフリカ人の口から語られる価値と物語の軸ではなく、西洋的な人間観による啓蒙か、あるいは啓蒙的光のイメージの裏返しを、軸にして組み立てられている映画である。それでは、アフリカ人の口とは、いつ開き、何をどう語り始めるのだろうか?それが特に、西洋によって与えられる価値観と遊離したものにはならないだろうというのも、事実である。植民地的な現在の事実とは、同時に、事実を記述し思考するための術を、アフリカ人に与えている段階でもある。この表現のシステムの同化過程を経て、次に西洋的にシステム化された=実質的に世界化されているが故に歴史的普遍化された構造の自我を覚えてから、アフリカ人の口とは、自らを同じ表現体系の上で、位置づけ、語り始めるのだろうが。だからこの西洋的介入過程−植民地化とその抵抗方法の学習過程とは、不可避の段階であるのだが。人間は自らの受苦について、苦痛を苦痛として表現するという形式も、言葉のシステムによって、その表現の口が、可能になっているということである。