浦和の駅前

浦和レッズが快進撃を続けているようだ。クラブチームの世界杯を争う枠で、イランのチームに勝ったという。そういえば何週間か前に浦和の駅前まで出た時に、前日は地元のスタジアムでレッズが勝ったというので、駅前の商店街には、まだ前日の勝利の余韻が漲っていた。寒くなり始めの時期の11月だったが、余韻の中を歩いてるうちに昼間はとても暖かく感じた。そして昨日か、愛知のスタジアムでイランのチームを下し、クラブ杯で準決勝に進むという、相手は驚きのACミランである。サッカーに特に普段関心がある生活を送ってるわけではない。拘りはじめればハマルだろうが、そこまで余裕がない。ただうちの隣町には浦和レッズという割と目立つチームがあり、浦和という街は図書館の利用にしばしば行くのだが、街にサッカーというまだ最近になって急速に日本で勃興してきたプロスポーツが、街では何気ない所に影を落としているのを見つけることは、ままあったのだ。

昨日は、愛知でレッズが試合をやってる間に、夕刻暗くなってから、僕は浦和の駅前にいた。浦和を知るものは知るだろうが、浦和駅周辺というのは、ここ最近になって急速に開発が進んでいるのだ。埼玉県の地勢図とは昔から奇妙なものだった。県庁のあるのが浦和であり、JRの大きな乗り換えターミナルとなり商業施設の集中するのは大宮の方だった。浦和と大宮からその先の熊谷にかけては、高崎線、そして宇都宮線のラインだが、地形からいうと中心は、むしろ東上線の走っている川越を通過する地域であり、その西のラインは所沢から秩父へ繋ぐ西武線のラインであり、別個の経済商業圏が出来上がっており、西のライン、中央のライン、東のラインと路線を中心化して繋ぐものとは、埼玉県内にはなく東京の池袋であったりするわけだ。つまり実質的な埼玉県民にとっての身近な都会とは、ずっと東京の池袋であり続けた。これは埼玉県特有の奇妙な地勢的構造である。浦和という街は、特に長い間、発展から取り残されていた。逆に風情があって、良い街だとは思う。県庁があり県民ホールや県立図書館、東武ホテルがあり、駅から続く道には、歴史的な商店街があった。特に高層の建物もない。駅も小さい。通過する電車は乗り換えをするには、先の大宮になっている。ある意味長い時間、開発という点においては時間の止まっていたような街だったのだ。この浦和でさえも、ついに再開発の波が来たのだ。

浦和駅周辺を開発できなかった理由は幾つかあるのだ。鉄道の路線で人が乗り換えないために、乗降客が元から多くない、寂しい県庁所在地の街だったということもあるが、戦後の時期から、浦和駅の周辺を占拠していたのは在日朝鮮人の人達で、土地の権利上の問題が複雑になり、なかなか立ち退きに応じなかったということがあるようだ。特に雑多な状態にあったのは浦和駅東口だが、しばらく前からそこは更地化で放置されていたが、ここ数年の開発により、そこには遂に大きなパルコが、先月完成したのだ。浦和駅に隣接するこの大きなパルコは、新しい浦和の目玉となった。単に店舗が入ってるだけでなく、さいたま市文化施設も、店舗の上に入居している。中央図書館や公共の会議室が上階には入り、その下にはシネコンがあり、スポーツジムがあり、その下にはレストランの名店街と紀伊国屋書店があり、下には楽器屋もありレコードもあり、百貨店的に広がっている。地下はスーパーであり、その下は駐車場である。何でも一つに収めてしまった巨大施設である。コムナーレというイタリア語で命名されている施設だ。

浦和の歴史とは、つい最近になって変わった、切断が入ったのだ。浦和駅東口に、過去の更地やゴミゴミした町並みの記憶を打ち消すようにして、パルコのビルが聳え立った事と、サッカーチーム浦和レッズの快進撃が奇妙に重なっている。浦和は昔から、住人が多様であるが故に、かといって横浜の町のように雑多すぎて汚れるということもなく、小じんまりとした文化的な街として、気持ちのよい町ではあった。しかしその昔の浦和も、もう変わっているのだ。浦和市とはもう暫く前になくなり統合された、さいたま市である。大宮にも何かサッカーチームがあっと思うが、熱いのは浦和レッズである。一人友人でレッズのサポーターをやってる男もいた。なんで浦和が、サッカーにおいて奇妙な文化を形成できていたのか、謎のある部分もある。埼玉には隣の東京に比べて、余りにも文化的なシンボルに欠乏していたから、中途半端な集中としての浦和には、元から強烈に空虚な穴が開いていたのだろうか。この穴を埋めるものとは、サッカーの応援であった。浦和レッズとは、過激であるらしい。よく知らないが、世界的にもサポーターが特徴的に過激であることで知られているらしい。隣の大宮になると、昔から文化的な影とは、ヤンキー文化であり、休日の夜に車でずっとナンパしてるといった光景が、大宮の昔からのイメージだったが。浦和の町並みというのは、狭い所が多い。古い町なので大抵の場所で建築基準も道路の設計も古いのだ。この狭さと古さと集中してる感じが、浦和のイメージを形成していた。狭いところにゴミゴミと密度が集中してる感じ。ここに昔から溜まっていた奇妙なエネルギーが、きっと放出されるための大きなパイプを得たのだ。