年末の夜と豹柄の女

そういえば先日、阿佐ヶ谷に出来たという新しいロフトをはじめて見に行った。年末。そして夕刻の時間。外はうるさい。憂鬱な時間帯かもしれない。深まる暗がり。冷え込みがきつくなる。寒さは急坂を降りていき冬らしさを初めに自覚させる時期かと思うが、町には人が出ている。年末だから、忘年会とか、大掃除とか、そんな季節だ。肌を切る夜の冷気に身体が慣れるのにはまだ少しかかる。この時期にこそ身体が強制的に冬モードに従わせられるのは、いつものこと。年末の町夕刻の暗さの中で、人は儀式的に動いている。何故この時期に儀式的な終了の物事が重なるのか。気温が急速に下るのに逆らうようにして、人は逆に忙しなく動きたがる。寒さに慣れる体制を作り出すためには、無理しても身体を動かすべきだということなのか。無意味な年末の忙しさの時間を通り過ぎれば静かな正月の空白が訪れて、その頃人々はもう冬の寒さに慣れ親しんだ耐性を持った状態で生活している。そうして冬と外気の冷たさを少しは楽しみながら世間は春まで長く待つのだろう。それは毎度の習しだ。最初に冬が到来して寒さを肌身に実感させる時期、世間は年末の為の祭りの季節でもある。

風の冷たく吹き付けるホームに立ち、人はホームに多く、賑やかな人々は楽観的に喋りながら、マフラーに顔を埋めたりする仕種で、遅い電車を待っている。ホームにはアナウンスが。風の為にビニールが高架に撒き付きました。それを撤去しています。電車が遅れています。・・・地下鉄のほうが早そうなので、そちらに飛び乗る。電車の中ではカフカの短編小説を読んでいた。冬で寒くって電車の中が混んでるなんて最悪だ。あんまり電車に乗らないので身体がこれも慣れない。だらだら地下鉄の各駅停車でいくのが楽だと思った。新宿でNと待ち合わせた。南口の改札の内側だが、今は中にドトールができている。ドトールも決してすいてはいなかったが、落ち着けないのも了解しつつ、そこでアイスコーヒーを。着込んできたコートが熱いので、アイスでよい。Nが遅れている。カフカを読み進める。断食芸人の話。流刑地の話。そして、掟の門前の話だ。なにかモジモジしたような感じの歩き方で、遅ればせながらNが来る。女性を連れていた。僕も知ってる女性だ。
「こんにちわああ」
「ごめんごめん」頭を軽く下げて歩き出す。
「あああー」
「今の時間中央線混んでるんだよなあ」
「だったらこっちよ」総武線に乗る。新宿駅の端のホームだ。こっちも決してすいてるとは言えない状況だった。世間は年末なのだ。忘年会とかいろいろある。人は意味も分からず急いでいる。そして混雑してる。

阿佐ヶ谷。あんまり降りることもない。隣は高円寺だが、そちらに比べると利用する頻度も少ない。何があるといえば住宅街に近いが昔高校の友人が地下鉄阿佐ヶ谷駅の真上に建つマンションに住んでいた。何度か遊びにいった。狭いマンションだったが二つか三つ部屋を家族で持っていた。親は小学校の教員で兄弟は多かった。マンションの一階には地下鉄出口の所に吉野家があって、そこで食べたのを覚えている。二十年前で当時から古いマンションだったがあれはどうしたのだろう。あの家族がまだ住んでるのかも知らない。古いマンションに目の前の大きな青梅街道の道路。そして夜明け方に食った吉野家のオレンジ色の光の中が印象にある。JRの阿佐ヶ谷の駅で降りた。階段を下りる。今はエスカレーターだ。最近中央線の駅は遅ればせながら奇麗に改造している。JRの方が私鉄よりも遅い。開発が遅い。少なくとも首都圏ではそうかもしれない。JRの駅と地下鉄の駅は離れている。青梅街道に向かう道に、横に商店街が開いている。アーケードの中を通る。賑わっているというよりも、やはり阿佐ヶ谷の町は夜は早目に店を閉めるという感じ。ロフトはどこか?たしかこの道の先でよいと思ったんだが・・・。地下に入る入り口にLOFTと書いてあった。でも「SOLDOUT」と出ている。

「あれっ」今夜の出し物。セルジュゲンズブールナイト。ゲスト、さえきけんぞう、緒川たまき、松陰なんとか。この松陰という人がNの友人だった。ゴージャラスというバンドをやっていたのを以前恵比寿MILKで見たことあるが、売れなかった。今はピンで芸人とかもやってる。普段はデザイナーやってるのかな?狭い階段を降りバーに入る。水色の暗い照明がいい感じだ。ロフトはスタッフで手作りで店を作ってたという話を、O女さんから聞いていた。これが手作りなら本当いい感じだ。横のテーブルに髪を金に染めた女が座っている。メイクが濃厚な顔だ。アイラインが大きすぎる。豹柄のシャツにミニスカートで足を組んでいた。Nの知り合いみたいだ。隣にイベントスペースがあるが満杯みたいだ。こういうのって人気あるのか。知らなかった。さて我々はどうしようか。もう入れないの?まって大丈夫か頼んでみる。豹柄の女がカウンターで慌てふためく。落ち着きなくスタッフに話しかけている。
「あの女の子」
「松陰の弟子なんだよ」
「弟子までいるのか」
「芸人は売れなくてもいろいろ世界が複雑に発達してるものなんだな」
「とりあえずライブ見れなくとも、メシだけ食っておこうか」小さなテーブルを囲んで我々は座る。ジントニックとチャンジャ飯を僕は頼んだ。赤いチャンジャが運ばれてきた。小銭のように大粒のぶち切られた贅沢なチャンジャが出てきたのが嬉しかった。本場っぽいもの。400円でこれにライスをつけるとプラス百円である。
「なんだよそれ」
「チャンジャ」
「知らないの?」
「鱈の塩辛だよ」
「ちょっと俺にも一口」Nの長い手が伸びる。
「うまいだろ」
「ここは、大久保でこういうの大量に買ってるんだろうな」ロフトは新宿と大久保がメインのライブハウスである。そして大久保は東京でも有数のコリアンタウンである。豊かに通りまで韓国食材が溢れる。
「大丈夫。入れるよ」
豹柄の女が忙しなく動き回る。「私がゲストの名前に書いてあげるから」
「ブリジットバルドーだから」女が自分を説明している。
「それでえ、歌をうたってえ、最後にフランスパンを齧るから」
「だからバケットバルドー」
「BBね。BB!」
うーむ。ちょっとつらいギャグかもしれない。隣の会場に移動した。本当に満杯状態。人の息まで臭いくらい。会場は空気も悪い。ガス室ってこんな感じか?こんなイベントでこんな人気あるのかとは知らなかった。緒川たまきの人気なのか。あるいはゲンズブールとはそんなに慕われてるのか。あんまり狭いから途中隣の兄ちゃんと喧嘩になるかと思ったが、面倒だから無視した。出し物はトークゲンズブールの偉大さについて。その後小ライブ。漫才ありと、芸人ぽい人達が何組か出てくる。バケットバルドーも出てきた。歌をうたう。音楽はテクノだ。からだをくねらせる。でも歌が長いよ。もうちょっとなんか芸を。笑いがほしいな。やっぱり芸人でも、売れる人との差はそういうところに出るのだ。「なんだ」
「黄金町のストリップの方がよかったな」
帰り際、出口のところで豹柄の女が、パンを両手に立っていた。パンを荒っぽく食いちぎっては踊っているような。Nがパンに噛み付いた。
「いいよ!」
「たべてたべて」
僕は片手で礼するようにサインをして通り過ぎる。僕と目があったとき、女と波長が外れたのがわかった。
「おれさあ。あの姉ちゃんの恋愛話の相談とか昔延々とされてさあ」Nが言った。
「ああいうのが松陰の弟子なのか」
「あいつ帰国子女なんだよ」
「なるほどね」
阿佐ヶ谷の駅にいきホームで中央線を待つ。人身事故で電車が遅れているアナウンスが流れる。どこまでもジレッタイ夜だった。こうして今年も暮れていく。ジレッタイ暮れ方か。なぜ僕は、あの女と波長が外れたのかしばらく考えていた。