『殺人の追憶』

グエムル−漢江の怪物」を作ったポン・ジュノ監督の前作に当たる映画である。80年代の韓国の田舎における連続殺人事件を巡って、韓国社会の位置について浮かび上がらせている映画である。しかしこの映画『殺人の追憶』が人々に見られるとき、それはどのような見られ方をするのだろうか。まず謎解き、推理を過程として体験しうる刑事ドラマとしても見れるし、田舎の田園が一面に広がる寂しさと虚無を感じさせる風景の中の猟奇的な強姦事件なので、その度ごとに発見される女性の死体のグロテスクさから、何もない村の地域で女体の幻想と下着に対する悲しくなるまで倒錯したフェティシズムの崇拝に絶望的な光景を見たり、とぼけた刑事たちの漫才のような進行に笑いの社会的なリアリズムに裏打ちされた現実感を得るのか、相当色んな見方がされて、複数の要素からこの映画が求められうる、この映画に入っていく人々は、様々な角度からこれを体験しうるような映画である。だから色んな種類の人々が、韓国でこの映画を共有しうるのだろう。階層も飛び越えて共有される映画としての社会的記憶であるはずだ。笑いとしても見れるしシリアスとしても見れるしサスペンスとしても見れるし、社会的な問題意識としても奥行きを想像させる。

ポン・ジュノは1969年生まれの監督で、比較的若手に当たるのかもしれないが、何か韓国社会の中にあった、強烈に絶望的な光景に根差した叫びのようなものを、刑事ドラマの形式を使って拾い上げようとしているのだと思う。題材となっているのは、80年代に韓国の田舎であった事件である。日本の我々は、80年代の記憶と今の00年代の現状について、さしてそこに断絶があったり亀裂があったりは日本の現実として感じず、80年代から00年代までは殆ど見た目に関しては平坦な連続上に感じるが、韓国にあっては事情は相当違い、民主化運動も激化していた80年代と今の現状では、明らかに大きな段差があったのだろうということを窺わせる。この時代的段差を飛び越えて、ノスタルジックに回顧させるイメージとして、過去に置き去りにされた闇を振り返るように、殺人の追憶という映画は組み立てられている。

こういった時代的段差は、日本社会にも近代史的に体験されてきている過程であるはずで、同様の回顧性を巡るイメージの構築とは、やはり日本映画の記憶にも思い当たるものがある。しかしそれは日本では60年代や70年代的な映画に見られた時間的段差性に当たるのだろう。韓国で2003年作品として作られた「殺人の追憶」と同じ様なシチュエーションの設定とは、例えば黒澤明が戦後に作っていた映画の設定に近いのだし、「天国と地獄」における階級的な段差と犯罪の動機を巡る屈折した精神性とか、「どですかでん」のように終戦直後にあったスラム住人の光景を、喜劇仕立てで70年代にユートピア化した虚構によって示すことによって、時代的な段差の追憶に親近性を与えたとか、あるいは、70年代に「八つ墓村」とか「犬神家の一族」のような横溝正史的な世界像で、日本の田舎社会における戦前戦中の抑圧的な記憶と、戦後にその抑圧と悲惨の記憶を隠蔽した上に成立した豊かさの上から、過去の辛い外傷性の痕跡がヴェールを脱ぐことになるとか(犬神家の一族でスケキヨが顔のあの白い不気味なマスクを脱ぎ捨てるシーンとか)、日本においても、いずれにしろ、時代的段差を跨ぐ形で外傷性の社会的記憶を発掘するという形の映画的形式=時間的イメージの発見とは、あったものだ。韓国において、00年代の今テーマになっているのが、豊かさが一定国民的=平均的に実現した後での、時間の奥底に潜む外傷性の回顧であり、急激な時代変化に対する反省的過程が、映画やドラマ、そして文学的な形式として、出てきている現状なのだろう。これが韓国における00年代的なテーマになっている。「殺人の追憶」から次作の「グエムル」にかけて、この失われ隠蔽されていた時間性の発掘とは、より全体的な社会性を帯びることになるのだが、既に「殺人の追憶」の段階で、ポン・ジュノ監督にとって、田舎の殺人事件を辿っていきながら、背景でいつの間にか複雑に大きくなり全体化されうる、事件を巡る社会性の発見とは、技術的にも鋭く豊かな性質を帯びていたのだ。

ポン・ジュノ的な想像力にとって比較されうるのは、事件とその全体化、重層化によって社会的性質を顕わに表現しうる力としては、まさにドストエフスキー的な全体化能力であるのだし、日本の近代史においては黒澤明に体現されていたのだろうイメージの全体化的な展開能力とは、現時点での韓国社会ではポン・ジュノによって体現はじめていることが、明らかに了解しるということなのだ。「殺人の追憶」を日本人として見ていて、懐かしさを催すような劇中のフレージングとは、例えば、登場人物たち、刑事たちの振るう暴力性のコミカルな演出であるわけで、今の日本映画でこの味付けをやったら、確実にイジメと同類の種としてクレームが来る様な、残酷さ、野蛮な演出が、かつて70年代映画では日本でも馴染み深かったものが、韓国では現在進行形で生きているということである。映画を巡る、暴力性と喜劇性の絡み合う認識の度合いにおいて、社会の発展段階というのが、ある種測定できるのだろう。最初に、連続強姦の容疑者としてあげられるのが、頭の弱いような、ボケ役の人物で、露骨に刑事から頭をはたかれたりしながら、ボケとツッコミの漫才的要素を映画の進行上で担うのだが、今この演出を日本でやれば、イジメの野蛮として取り下げられるのは間違いないのだが、少し以前ではこういう演出進行は日本のドラマにもよくあったわけで、あの韓国の田舎のボケ役の人物というのは、例えば日本なら、たこ八郎のような役者が得意にしていたところであり、頭に簡単にハタキを入れたり、蹴りが無根拠に簡単に飛び交うような演出も、やはり80年代まで日本では、後からイジメ形式の元凶とも見なされて消えた、コントの演出であり、この劇をやってるのが、昔のビートたけしや、その他でも何ら見たところは変わらないわけであって、B52のヒロミぐらいまでは、この暴力芸風、サディズム的な開き直りのコント要素は、日本で普通に通っていたはずだ。

この芸風が別によいものだとは、全く思わないのだが、ポン・ジュノが演出を仕掛けるにあたって、普通にこの暴力芸風、つまりイジメ的な形式要素にコメディの要素を見出すタイプだが、抵抗なく取り入れてるところは、韓国社会の、ある種日本よりも遅れながらも、日本と同じシステムの残酷さを現実的な過程として通過している最中なのだろうとは考えさせるものである。ポン・ジュノは日本の北野武も見てはいるのだろうが、ある種映画制作と役者達−つまり芸能界のシステムと折り合いをつけるにあたって、容赦なき残酷さを、自己の文学として引き受けながら生きている人なのだというのも分かった。写真で見た感じ、ポン・ジュノとはナイーブな感じで真面目そうな顔をした人なのだが。しかし成長してきた過程で、たぶんこの人は相当残酷なものを見てきてるのだろうなという気もする。つまり、たけし軍団がかつてやっていた、「熱湯コマーシャル」的なセンスが、今はまさに社会の発展階梯として、韓国社会は文化的な意味合いでもいるものなのだということである。そして、それはやはり、どちらかといえば悪い物なんだろうということ。悪さが自己反省できるだけの豊かさを経たから、日本では消えていった。韓国などでは、後から、そのプロセスを、まさに文化的になぞっているのだ。受験戦争や学歴社会の激しい思い込みの攻防も含めて。そういった日本の、微妙な部分で外傷的な記憶を、横の進行としての韓国の文化的イメージの中に、どうしても発見してしまうことは多い。

韓国、田舎、退屈さ、アンニュイ、そして性幻想への過剰な崇拝、フェティシズム、貧しさ、田園に隣り合うコンクリート工場、そこでマスクをかけて働く労働者の群れ、そして事件として表出されてきた悲劇の起源を追っている、町の刑事、田舎町の警察、憂鬱な田園風景、出口ない虚無感の支配、降り注ぐ冷たい雨、そして縛られた女の残酷な死体、・・・・。こういった決定的に悲劇的な要素が、映画「殺人の追憶」の中には張り巡らされている。だから面白いといっちゃあ、面白い映画ではあるのだ。そこにはドストエフスキー的な主体性を再開させるためには、格好のシチュエーションが出来上がっている。悲劇的な犯罪の様相から社会の全体像を再帰的に暴き出すとは、日本では70年代的な映画の特徴であった。韓国の00年代で生きられた舞台とは、そのような状況であったのだ。韓国映画の行き先が、この先どのように決まってくるのかは、まだわからない。それは韓国社会における文化的な認識の水準である。いずれにしろ、ポン・ジュノ監督の動向からは目が離せないだろうということである。