廃棄物のリサイクル技術と横浜市的進化の先見性

夕方のニュースで見たのだが、巷では今、食料品における賞味期限とか、それのオーヴァーが何だとかいう話が、よく突っつかれているが、コンビニやスーパーの食材の場合、まず賞味期限というのがあるとして、それとは別に販売期限というのが、大手の販売店では自主的に設けられているのだという。賞味期限は要するに、それが食べても大丈夫だという期間を示すが、販売期限の場合は、それがおいしいまま食べれるという判断の条件になっているので、自主的な設定で、それは破られたりいい加減だったりしても、特に公的な機関から追及されることはないという。しかし大手では自分の店の信用をかけて、販売期限が過ぎた食材は一律廃棄される運命になっている。大方、もったいないといえばもったいない話なのだが、この期限切れになったが故に捨てられる食材について、横浜市では目をつけて有効活用しているという話であった。目下、この方面では横浜市の行政が、先進的な食材再利用の方法を採用しているという話だ。例えば、高島屋などから廃棄される、お惣菜や野菜などの食材、まだ本当は食えるものは多いのだが、デパートの威信から言えば、廃棄せざるえないんだけれど、それらを処理する機関として、家畜の食べる餌に、一律に混ぜ合わせて加工してしまう工場がある。そこの家畜用餌でもって、別に農場で豚を育てて、その豚肉をまたスーパーで売るというリサイクルが行われている。

一方では、コンビニから廃棄される弁当の再利用だが、横浜市では、知る人ぞ知るように、寿町という日雇い労働者の寄せ場、いわゆるドヤ街の多少大きな場所が存在してるが、寿町の食堂では、三百円で定食が食べられる食堂が運営されている。その食堂で何故三百円の値段でよいものが出せるかというと、コンビニと提携して廃棄食材を無料で譲り受けているからである。寿にあるこの食堂にテレビの取材が入っていたのだが、料理長をやってるのは若者で、その日に入った無料食材の具合を見て、そこからメニューを考案するという。寿町というドヤ街の宿命だが、僕はそのうちこういう街も消えてなくなるのではないかと思っていたのだが、実際にはテレビに出ていたような若者が、食堂の料理番などを努めながら、ボランティアなども街には今でも混じっているのだろうが、何らかの形態で、このドヤ街の形式が続いているのだな、そしてそこに入る人々は、支援の人も含めて、やはり若い人でも関わり続けているという現状はあるのだなと思った。ドヤ街が存在することは、同時に左翼が存在することの条件でもある。00年代に入った今でも、昔から多少見せ掛けの変更はあれ、やはりこういう街のスタイルとは、時代に応じて変わりながらも、続いているのだと考えた。

横浜市というのは、面積が広大だし、色んな要素を上から下まで抱え込んでいる場所で、大昔からそういう雑多性を持っていたが、最近では、街の行政や福祉も、以前とは増して、最先端に追及されるようになっているのだなと思ったのだ。僕も20年位前の横浜市に思い当たりがあるのだが、当時はやっぱり、ヨコハマというイメージとは名ばかりのもので、実際のあの街の汚さとか見るにつけ、絶望的な雑多性というのが、あの街には呪いの様に取り付いていたのである。あんまり好きになれない市であったが、吸収力が大きいだけに、不気味な懐の豊かさを見せていた街でもあった。80年代なら、同じ汚い街なら、池袋や中央線沿線の方が僕は好きだったのだが。しかし、今ではまたその横浜市も、随分違う可能性を見せているものではあるのだろう。情報網も昔より随分進化したのだし。