名古屋と東京の間にある、黄泉の闇について

今年の12月で最初の日曜日は、相当暖かかったような気がするのだが、名古屋までドライブしていた。

土曜の夜に出て国道1号線を下り、朝方名古屋に入った。国道1号が特に使いたいと思う道だとは思わない。ただ金額を節約するために1号を使う。東京から西へ旅するために1号を、これまでも何度か使ってきたが走ってる間は気の遠くなるような過程であって、運転している立場からはある種持久力を試されているような空間である。

ラソンをしているとき、人は何を考えているのか。何か単純なフレーズを頭の中で口ずさんでいたり、その単純なフレーズとは祈りみたいなもので、念仏みたいなもの、意味のよく分からない言葉や音楽のフレーズだったりするのだろうが、マラソンほど身体は過激な試練の状態に晒されていないので、車を運連してる最中というのは、もうちょっと論理的な事柄について、言語的に、整理しながら脳の進行を進めることができる。

といっても、やはり国道1号的な道中にあたって禁物なのは睡魔であり、ひたすら単調な道で、しかも結構狭かったりして、対向車や曲がりくねった道に気をつけながら、かといって一般道なのでスピードを出すこともできずに、一定の中途半端な速度で、ただそれだけを持続する、反復しているというのは、身体にとっても脳にとっても奇妙な体験が訪れるものだ。そしてこれは決して健康にいいとは言えない代物でもある。

行きと帰りと長時間運転していたので、月曜の明け方に帰宅してから、死んだように寝たり起きたりを、今まで繰り返していたのだが、ようやく通常の活動モードに戻ってきた模様である。名古屋までの道中を行きも帰りも深夜に、黄泉の国を進んでいるような感じで走り回って帰ってきた。

出発したのは、まず千葉市だった。友人が一人千葉駅の近所に住んでいる。そこで彼を拾ってから、最初は高速道の入り口から入る。千葉県の高速道から首都高に入り東京を奇麗に横断し、渋谷の街を眺めながら首都高3号線で、そのまま東名高速に入る。行きについては、箱根の山越えだけを省くために沼津まで東名高速を使った。沼津で降りて、そこから一般国道として整備されている1号線のバイパス道路を進んだ。今までも何度かこの道を使っている。二十代の時にはバイクで横断したことある。

ただ昔と若干この道が違っているのは、以前は部分的に有料道路のバイパスに変わり、道の形態も断続的に続いていた静岡県内の長い道路だが、それが今では有料区間がなくなり、ずっとほぼ直線的なバイパス道路で無料通行ができるようになっており、途中で信号も多く街中を抜けるような部分も何度も出てくるが、それなりに昔と比べれば、合理的に貫通されて使いやすい1号線になっているというところである。

しかしいつもの事だが、ここを走っている間は何度もやめたくなる。こんな道を使っている自分を不甲斐なく思ったり、この道や旅を選択したことを後悔しはじめたりする。なんてかったるい作業なんだと。

あんまりにも単調な労働は、人の頭を馬鹿にする、麻痺させるものである。国道1号的道中というのも、それに似たものがあるのだ。非常に特殊な労働環境であり、単調な身体状態になるのだが、しかしこういった持久走的な状態に特有の特殊な思考がそこに訪れるということもある。

何か運転するという労働の最中では、単調な思考の整理が起こっていて、時間性を回顧的に掘り起こし、そこに単調な整理整頓を繰り返しているといった脳の状態になった。無意識と身体をフルに稼動させている空間性である。かといって注意力が逸れれば、一瞬にして大事故に巻き込まれてしまう。緊張と最低レベルに保たれた恒常性の維持機能と、静かに電流が通り続ける脳波の状態といったものだ。

単調で狭くひたすら長く続く道路が暗闇の中に続いている。まるで死後の世界の道中のようだ。横には暗く巨大な山陰が潜んでいる。富士山かもしれない。

その下に広がっているのは樹海かもしれない。逆の片側に時折現れうる、温度を極端に低下させる広大な闇の気配とは海である。単調で長時間な持久性の労働とは、決して脳にも思考にもよいものではない。それは決して健康によいものではありえないと思う。しかしたまにこれを経験してみることには、何か日常的生活リズムをここでずらしてみせる異化効果というのも、確実にあるものだ。

といっても、これはこれでスポーツとしても、瞑想としても思考の運動としてもある種効果があるとはいえ、出来れば一本道のよく整備された東名高速のような手段を使ってできるものではある。事故の可能性に晒されゲーム性も奪われたような国道1号的なる、引き伸ばされた時間道中の退屈な従属的な手段とは、単に金がないから選択されただけの旅、というか苦行と好奇心の入り混じった娯楽であった。

本音を言えば、なるべくなら最大限安全な環境にて、高速道を使ってダイナミックに、こういう運動は体験すべきものではある。長時間のドライブとは、それなりに身体的に重要な効果を与える貴重な運動の種類であるから。

東京と名古屋の間を通るとき、幾つも山を越え海を眺め、虚無のような地域を何度も通過する。日本という国土を統治的な空間として想像しうるとは、このような体験であると思うのだ。名古屋と江戸の間で、日本史における権力とは交換され、この区間において移動を繰り返して来た。正確には、これが京都と大阪まで拡がる範囲において、統治権力としての日本の歴史とは、その具体性がイメージされるもの。

山があり海があり村があり、集落があり田圃があり人々が住み、そこを繋ぐものとして、統治の権力が発生する。もちろん原初的には、それは武力をもった勢力として、西から東から、各々の権力が発生し統治権を巡って争うようになる。そして天下統一といった観念が生まれ、日本の全国という統治的な観念が出来上がったのだ。

江戸時代までのそういったプロセスを想像的に追体験するには、この東名区間の移動とは、格好の空間であり時間性である。車で走っている時は、新幹線で移動してる時よりも、特にその野蛮な歴史のプロセスを実感するものである。

回顧性のイメージが生きられる時間性であり、大きな時間=イメージが、そこでは濃厚に圧縮されながら体験される。名古屋と東京の間の膨大な時間性、膨大な暗闇とは、そのようなプロセスである。