All Apologies -2

カート・コバーンが書いていた詩だが、シンプルな言葉が並んでいる。若く死んだとはいえ最後に近い時期に、この歌は発表された。最後のアルバムで最後の曲の位置を占めた。これが出て二年後に自殺している。

読んでみても、幸せなのか悲しいのか分からないような歌である。両方の気分が分裂して共存している。それをそのまま表出している。しかし、分裂においてそれはよく抽象されて、分析的で、結晶化される過程を通っているのも分かる。澄み切ったような詩である。

透明で純粋な結晶化とは、それを生み出す過程で、同時に存在に対して、無理をかけた事による痛みも引き出す。傷跡とは、それが日焼けだったのか凍傷だったのか、意味の判別がしかねるような、黒い火傷の痕である。

意味不明の火傷と引き換えに、彼は、太陽の中で純粋さの強度を手に入れた。それは他者と−カートにとっては結婚した=埋葬された相手としての、コートニーとの、一体性としであったが、この一体化の結晶性こそが、まさに虚構の塊であり、虚構であるが故の美しさと、虚構であるが故の窒息性を伴っていることを、カートは、その内省の過程で正直に見抜いている。

愛の形の、余りにも直裁で正直な露出において、現れた氷の美しさと、窒息した存在の発した恐怖と痛みの叫びを、氷の塊の中に捉えこんだような形態にて、美的に、そしてアイロニカルに目の前に差し出している。

ロック・イン・リオのライブで、この曲を自分とパートナーにとっての、楽観的な賛歌のように、明るく歌い上げている。カートはまず自分の子供が生まれた事から話し始めている。

ヘヴィなディストーション音と抑えたリズムパートの交互する、スキゾフレニーであるが故の見事な全体性を醸し出している楽曲。気分における二律背反の構成とでもいうロックである。

僕は他にどうすればよいのだろうか?
すべての謝罪について
僕は他に何を言えばよいのだろうか?
すべての人がゲイだというのに
僕は他に何が書けるだろうか?
僕には資格がない
僕は他にどうすればよいのだろうか?
すべての謝罪について

太陽の中で。太陽の中で、僕は自分を一つに感じる。太陽の中で。太陽の中で。・・・Married(結婚した) Buried(埋葬された)

僕が君のようだったらよいのに
簡単に楽しめて
自分の為に、密かな塩辛い蓄えの巣を見つけた
すべては僕の落ち度さ
僕はすべての責めを取ろう
海の泡のような恥辱を
太陽の日焼けと氷つく凍傷を
彼女の敵の灰を巻き上げながら

太陽の中で。太陽の中で、僕は自分を一つに感じる。太陽の中で。太陽の中で。・・・Married(結婚した) Buried(埋葬された)

結局のところ、僕らは僕らなのさ
結局のところ、僕らは僕らなのさ

nirvana - All apologies - 08/30-92