21-7

イーストソーホーの涯に見出された姿とは、文化的な廃墟とでもいうべきストリートの姿だった。そんな一角に一軒のポエトリーカフェが開いていた。昔のキャバレーのようなドア、つまり重くて大きなしかし革かゴムの皮質のような触れると柔らかい厚みのある扉…

21-6

そしてまた歩いた。イーストソーホーの奥とは歩けば歩くほど意味不明の増殖を為しているようだった。街にとってはまとまりのなさというのか、意味の分からなさというのか、とりとめもなく、文化的なものとただ無機的な生活の痕跡と、そして店舗と廃墟と、石…

21-5

再びイーストソーホーの街並みを歩いていた。こんどは一人で歩いていたのだ。地下鉄を乗り継いだ先は再びアストロプレイスの駅で降りていた。そしてそこから歩き出す。といってもどう歩いて行ったらよいのかはまだ分からなかったので、ネットカフェを見つけ…

21-4

そういえば最初の日に僕らがマジソンスクエアガーデンからCBGBまで乗った時のタクシーの運転手。彼もプエルトリカンだったと究極さんは言っていたっけ。白人というのがもはや何ら特権的ではなくなっている石と鉄の建造物で固められた街、ニューヨークと…

21-3

ニューヨリカン、・・・なんかそんな奇妙な発音をする名前を思い出した。ニューヨリカン・ポエトリー・カフェだ。そういえば究極さんが話していたニューヨークで詩の朗読会をするカフェの名前だ。プエルトリカンという言い方がある。中南米のほうから来た人…

21-2

「ねぇ。。。爆弾作ってたって本当なの?」 それは二日目の日にブルックリンからマンハッタンに向かう地下鉄の車内で僕が聞いた話だった。「うん。・・・いやぁ・・・銀次が是非とも作ろうというもんだからさ」 究極さんは苦笑いで口を汚しながらもぐもぐと…

21-1

究極Q太郎と呼んできた人物だが、彼にはもちろんもっと普通の日本人の名前があった。彼の出身は埼玉県である。もともとペンネームが嵩じてそう云われ彼自身自称することが多くなった名前だが、自分の本名のほうに拘りを持っていないというのは、きっとそう…

20-5

僅か数日前訪れたばかりだがもう既に懐かしい気もするライブハウスCBGBの表看板を、大きな道路の反対側から見ていた。雪まじりの小雨が降る夜の大通りを、車の列が無数に絶え間なく通り過ぎていく。既に賑やかでうるさいほど人間が動くものの気配を感じさせ…

20-4

果たしてグラウンドゼロの亡霊というのはいるのだろうか?ここはたった三年ほど前に、三千人近い死者を一気に作り出した、それ自体はとても狭い区画なのである。もしそんな強い亡霊が土地に張り付いていようものなら僕は気でも狂ってしまうことだろう。しか…

20-3

とっても小便したいんだがと思いながら誰もいない通りを突き進んで歩いた。誰もいないし見ていないのだからそこで立小便したらどうかとも思われるが、しかし僕をこの時捉えていた想念とは、このひと気なさは本当はかなり怖いものだぞということだった。本当…

20-2

バスを降りたらそこはそのままゼロ地点だった。そして誰もいない。バス路線のポイントにそこの広場がなっているのでバスは他に三台は停まっていた。しかしそれだけだ。基本的にそのぼんやりと開けた場所は暗闇の静寂に包まれていた。ここで街の灯は、後ろの…

20-1

雨が降るマンハッタンのバス停に僕の他は傘をさした白人女性が一人だけだった。むこうからバスがやってきた。路線図には英語でいろいろ書いてあるが一々それを見て考えるのも面倒だった。もうそのぐらい疲れきっていた。だからとにかくこのマンハッタンとい…

19-8

軒を連ねているアウトレットショップ。そのうちの一軒に入ってみた。店の中に入るとき、やはり表を向けて嫌な顔をしながら見張っているガードの男達の群れ数人と必ずすれ違うことになる。ああいう顔をした男達が入口に立ってるなんて普通なら営業にとってマ…

19-7

ユニオンスクエアを上から望めるマックの二階席は、時刻とともに薄暗くなるばかりだった。何か貧乏臭さの拭えない白人ヤンキーたちのオールドボーイ左翼風情の楽観的な歓談も聞いているとイライラしてくるばかりだ。暮れゆくマンハッタン中心部の風景を眺め…

19-6

マンハッタンの空を立ち並ぶ高いビル越しに眺める。空の気配は午後から夕刻にかけて雲が多くなってきている。しかしそうかと思うとまた雲のフォーメーションが流れながらずれていって、合間からは太い光が差し込みマンハッタンの土地を部分的に明るく照らし…

19-5

ニューヨーク市立図書館のビルでエレベーターを使って上っていった。ここは幾分か古臭さの目立つビルだが普通の近代的なビルでありエレベーターも今まで見たような半端なものではなく普通だった。センスとしては70年代のセンスで作られているビルだろうか。7…

19-4

それでも30分から1時間くらいの時間は、ユニオンスクエアの傍らで古く厳しいデパートの壁を相手に、フットボールをキックしていたのだと思う。冬の日の下でもう十分に体をならし汗をかいたくらいだ。ブレヒトフォーラムのメンバーを軽く目撃はしたものの、再…

19-3

デモ隊の流れる列は、ここマンハッタンの地において恐ろしいほど長かった。それはとても日本ではお目に掛かったことのないほどの長い列であり、巨大な参加者の感触を与えた。僕はこの途方もないデモ隊列を前にして、中からたった一人の日本人を探しだそうと…

19-2

そうそう。ここでは確かに究極Q太郎と待ち合わせをしていたはずだったのである。アメリカがイラク戦争を開始した一周年を期に企てられた大規模な反戦デモとは、土曜のマンハッタンの土地の上を、大いに盛り上がり既に占領しているような状態になっていた。…

19-1

アメフト用の練習ボールを一つ買って店を出た。子供が遊ぶ用みたいなゴム製の小柄なボールだったので大した買い物ではないが、しかし予算は少ないなりにニューヨークに来ました記念として一ついい物を買えたという気分で満足があった。僕の性質の一つで、買…

18-6

42番街の一角に大きなスポーツ用品の店があったので入ってみたのだ。まずマンハッタンに着いてからここの寒さには最初随分苦労させられたので、ざっとトレーナーやブルゾン、ウィンドブレーカーなど寒さを遮れるようなウェアにはどんなものがあって幾らぐら…

18-5

「それで・・・今日は何曜日だっけ?」 「今日はもう土曜日だよ」 「帰りの飛行機は?僕らが日本に帰る予定の」 「それは日曜日。日曜日の朝10時にJFKから飛ぶ飛行機だ」 「ふむ。そういうことだよな。それじゃあいよいよラストじゃないか。最後に何見ときま…

18-4

「それで・・・なんで吉野家で食いたいんだっけ?」究極さんが疲れたような顔をして言った。「だから・・・狂牛病の問題で。今日本じゃ牛丼食えなくなったじゃないか。だからもう久しく食ってないよ。牛丼なんて。」「それで吉野家なの?日本で食うのは松屋…

18-3

特にどこかで立ち止まることもなく、午前中の光の中を、人混みを抜って歩き続けた。吉野家の看板を見つけたのはしばらくしてからだった。究極さんは余り乗り気でなかったが、僕がここで是非といって手を引っ張り、吉野家USAのドアを潜った。メニューのボ…

18-2

空は青い。午前中のマンハッタンである。そこに突然そこだけ高いビルがある。なんというか高層ビルを作るならまとめてそういう高層ビルを並べて作ったほうがたぶん安全性的にも好ましいような気がするのだが、とにかくそこだけ高いビルを作ってしまったよう…

18-1

ホテルの部屋で睡眠をとった後はそろそろ溜まってきた疲労を解消せんとする身体の力が勢いづいてか、この夜は特に余計な事柄を考えている暇もなく、ストレートな速球で朝の目覚めまで到達したのだ。午前中の光は明るかった。いかにも朝らしい感じでマンハッ…

17-4

チェルシーの通りまで戻ってくれば、さっきいたブレヒトフォーラムのブロックとは、もう世界が違うように賑わい続けていた。これが不夜城というに相応しいニューヨークの有様である。大気の温度はマイナスでありながら空気は切るように頬に迫っているという…

17-3

結局周りの見知らぬ人々へは特に声をかけることもなく僕らは交流スペースのブレヒトフォーラムを後にした。ビルを出て暗い夜道を僕らのホテルがある方へと向かっていた。四方八方をビルディングの高い建物で囲まれたコンクリートの街といっても、夜になると…

17-2

バンドの演奏が終わり客席はもやっとした解放された気配をもってざわめいていた。ライブコンサートもちょうど終了した模様である。僕は後ろの方から客席の椅子が並ぶほうへと近づいていった。ライブが終わっても究極さんの後ろから見える頭はびくとも動かな…

17-1

ブレヒトフォーラム。それはニューヨークで有数のマルキストスクール。70年代からその学校は存在している。場所も特に変わっていない。そんな記事を、僕はこの旅行から帰ってきて、ネットの中で調べてみて見つけたものである。だから僕らがこの交流スペース…