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ユニオンスクエアを上から望めるマックの二階席は、時刻とともに薄暗くなるばかりだった。何か貧乏臭さの拭えない白人ヤンキーたちのオールドボーイ左翼風情の楽観的な歓談も聞いているとイライラしてくるばかりだ。暮れゆくマンハッタン中心部の風景を眺めながらホットコーヒーをすすった。室内でくよくよしていてもしょうがないので店を出て歩き出した。とにかく仲間たちとはぐれてしまった。この自分に全く根拠のない異国の大都会に放り出されて、あてどなく繁華街の喧騒を抜けて歩きはじめる。明日、それは日曜日の朝だ。無事にJFK空港まで辿り着いていれば、そこで再び究極さんには巡り合えるはずだ。それを信じているしかない。しかし、飯塚くんと村田さんの事は、この帝国の街で中途半端な再会を果たした挙句、中途半端な交流をしただけで、もう尻切れトンボに別れてしまったのか。その可能性も高かった。

とにかくしょうがないから僕はマンハッタンの中で、夕暮れ時の繁華街を歩いていたのだ。目的はない。空の雲行きはといえば、どうやら不安定な感じだ。晴れたり曇ったりを夕刻に繰り返していたが、夜になるとこれはまた降ってきそうな感じ、しかもまた雪でもドカンと降ってきそうな曇り空なのだ。何やら中途半端にぬるい大気の中を小雨が降ってきたような気配さえ感じる。しかし仕方ないからただ歩くしかない。明日の朝までこうして時間を潰しているしかないだろう。ならば最低限ここマンハッタンの地にせっかくいるのだから、何か面白い事でも見ておくべきだ。そのぐらいのことしか疲労の溜まっている僕の身体においては、考えられることもなかった。人の通りはとにかく多い。休日のマンハッタンなのだ。ごった返すような喧騒の中を、ショッピングモールを歩いている。そして何かにつけて目立つ店というのは、ある種の電気店なのだ。東京でも秋葉原や新宿によくあるような安売り系のアウトレットショップか。ショーウィンドウの波が続く。舗道を歩いている。人の群れはその舗道を溢れださんばかりに煮えくり返っているように動いている。落ち着きのない街並み。

特にそこで刺さるような鋭い人間の視線を発見したのだ。そのナイフのような視線は、舗道を歩いていると事あるごとに繰り返される。痛い視線のナイフが反復される。それはニューヨークの土産物屋やアウトレットショップの軒先、出入口のドアの所に現れては反復されている。それらの店では必ず泥棒よけのセキュリテイの男を雇っている。そして多くの店で何人も雇っている。店先でセキュリティ役に立っているのは、大体がアジア系、あるいはヒスパニック系の貧しそうな中年の男達だ。この帝国の街にはまだ辿り着いたばかりの移民風の貧しいなりだといってよい。ドアの内側から、通りを往く人々をずっと睨みつけている。その気持ち悪い視線が、ストリートの上で何度も反復される。要するに彼らは泥棒を見張っているのだ。絶え間なく見張っている。それが彼らに与えられた仕事だから。しかしその目付きが余りにも厳しい、余りにも嫌な視線なのだ。

このニューヨークにとって特徴的な視線を僕は思い出した。最初の夜にブルックリンの地下鉄を出てフライドチキンのチェーン店に入ったとき、店のレジでメニューを選ぶ僕を、ずっと怪訝そうな目付きで眺めていた、あの黒人少年の店員と同じ目つき、同じ視線である。相手を睨みつけるように値踏みしている嫌な目付き。人間にとって最も窮屈でうんざりさせるような特徴的な同じ目つきだったのだ。ニューヨークに安売りの店は並んでいる。秋葉原の街並みのようにずっとそういうアウトレットショップは並んでいる。店の前に凄んだ目付きでずっと立っているのは、同じセキュリティに雇われた人々であり、貧しそうな移民風の男達である。ニューヨークの街並みには、いつからこの厳しい目付きが一般化したのだろうか?もうかなり昔からなのだろうか。そうかもしれない。帝国の街の玄関先には、この挑むような厳しく絶望的な視線が、ずっとストリートの軒先には並んでいる。そう捉えるのが最もわかりやすい。