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軒を連ねているアウトレットショップ。そのうちの一軒に入ってみた。店の中に入るとき、やはり表を向けて嫌な顔をしながら見張っているガードの男達の群れ数人と必ずすれ違うことになる。ああいう顔をした男達が入口に立ってるなんて普通なら営業にとってマイナスになろうと考えようだが、ニューヨークでは、あるいはもっと広くアメリカ的慣習では横並びの店でそれが普通なので、店を開くことが即ち入口にはガードマンを、特にアメリカにまだやってきたばかりの移民を雇うということと切り離せないセットになっている。そんな風に考えたらすべて説明がつくか。体格は小さかったり腹は露骨に出ていたりの、ちゃんと英語が話せるのかどうかもおぼつかない。いや間違いなく彼らは英語が喋れないのだ。だからあんな不機嫌な顔してる。それで制服なんてない。とても店からは与えられない。いかにも貧しいなりで不器用で無愛想な顔をした男達で、アジア系かヒスパニア系だ。きっと恐ろしいほど安いギャラであそこに立つのだろう。しかしそれでも全く仕事にありつけないよりはマシなのだ。英語もまだ話せない移民達にとっては。でも僕だっていざとなればあそこに立つことだってありうるのでは。本当はそんなことだって有り得る。そこまで考えると思考が全体を一巡したような気がした。

パソコンの値段がアメリカでは日本より安いのではないか。そういう疑問がずっとあった。パソコンの流通が本来持ちうる自由な安さの実態というのが、日本のように流通が複雑に閉じている世界に比べてアメリカにはあるのだろうという問題をずっと確かめたかった。特にノートパソコンとはどこまで安く出来るのか気になった。それで店の少し奥に積んである箱の列を見てみたが、日本よりはやはり若干は安いみたいだ。一回りぐらい値段は先行的に安いだろうか。しかしそんな決定的に値の開きがあるというわけでもないのを確認した。日本でも商売はやはりそれなりに頑張っているという結論か。そこでは特にショップの制服があるというわけでもなく、ラフな服装でジーンズにセーターというなりで、頭の半分禿げた背の高い年配の男が、箱の並ぶ横に腰掛けていた。ヨーロピアンな顔立ちの男だが僕に話しかけてきた。彼がここの店員のようだ。

「やー。あなたはどこから来たんだい?」
「東京ですよ」
「東京?それは素晴らしい」
そこにいる背の高い店員はラフでフレンドリーだった。でも決して悪い気のする店員ではなかった。

「あんたはナガシマを知っているか?」
「ナガシマ?野球の長島かい?当然じゃないか。知ってるよ」

ここでニューヨークのアウトレットショップの店員とは、日本人というとナガシマのイメージが最も分かりやすいみたいだ。

「長島は素晴らしい。長島は世界一のプレイヤーだよ」
「あなたは野球が好きなのかい?」
「イエス。王も素晴らしい。長島と並んで王もすごいプレイヤーだ。彼らはスーパースターだ。世界のトップだ。」
「野茂はどうだい?」
「もちろん野茂もグレートだ」

店員の男はとても嬉しそうに語った。

「長島は今、脳のダメージで倒れたんだよ。長島は病気で入院したんだ。」
「オー。リアリー?」
「そうだ。長島はもう死ぬかもしれないよ。」

僕らがニューヨークを訪ねたのは2004年の春先だった。長嶋茂雄脳卒中で倒れたというニュースはちょうどその頃の事件だった。脳卒中を英語で何というのか僕はよくわからなかった。だから咄嗟に、brain damagedというフレーズが出てきた。背の高い男は、素直に顔をしかめ、素直に悲しそうな顔をした。野球好きのニューヨーカーのアウトレットショップの店員は、素直でストレートな性質の心情をもつわかりやすい男だったみたいで、長島の病気に驚くその表情を見ると、何か店の入口の重い気配に比べて安心できる心持ちになれた。人間の人間的感情に表情が、店の内部ではこのように保証されていたというわけだ。アウトレットショップの内容は、パソコンといった電化製品に、ティーシャツやキャップやバッグといったニューヨーク用のお土産物が並んでいた。店の中で高い場所にはニューヨークのイメージを彩ったティーシャツが並んで飾ってある。その中でも奇妙さで目立っているのはやっぱりチェ・ゲバラのティーシャツが、何故だかニューヨークアイテムとして並んでいることだろうか。アウトレットショップを出るともう街は暗く、空からは雨が降ってきた。冷たい雨だ。しかも大粒になっている。この繁華街を抜けだしていくべきだろうか。特に行く場所の見当もつかないのだが。しかし究極Q太郎の出没しそうな場所を幾つか想定してみた。とにかくもうネオンに埋まった繁華街には飽きてしまった。どこか別の場所へ移動しよう。

雨が当たる暗がりの中を近くのバス停に移動した。このバスが自分をどこに連れ去ってくれるのかも特に見当はつかない。大きなストリートに面した場所に、バス停があり、待合用の屋根がついており、その下には時刻表の掲示が読めるようになっていて、小さな電灯によって少し明るいスペースが開けている。特に行き先や時刻表の掲示を見ることには興味がなく、方角が南の方に下るのならバスの路線はどれでもよかったのだが、バス停のところに張ってあるポスターのほうにむしろ目が止まった。FALLEN STAR。ポスターにはそう書いてあった。見るとディープパープルがライブハウスに出演するという情報が書いてあった。ディープパープルがここでは過去の栄光者扱いなのかと考えると可笑しな気持ちになった。ディープパープルか。日本に来れば今でも中野サンプラザ並の会場は埋めることはできるのだろうに。日本でこの待遇はありえない。しかしニューヨークでは既にパープルが落ちた天使の扱いなのだ。そういえばディープパープルとは決してアメリカ産のバンドではない。生粋のブリティッシュメンバーだ。彼らがアメリカ由来ではないという理由でアメリカの地だと弱冠差別されているのではないか。そんな考えさえもが過ぎった。夕闇に雨が降ってきた寒いバス停だった。