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雨が降るマンハッタンのバス停に僕の他は傘をさした白人女性が一人だけだった。むこうからバスがやってきた。路線図には英語でいろいろ書いてあるが一々それを見て考えるのも面倒だった。もうそのぐらい疲れきっていた。だからとにかくこのマンハッタンという島の中を南に下るバスならなんでもよかった。この場所で特有の方向感覚でいうのならそれは下の方向だ。僕らはたしか最初にマンハッタンを訪れた時も、南の方から上ってきたはずだ。だから来た方向へ引き返すような気のする方角へと、場所の感覚がなんとなくつかめそうな方向へと、戻って行きたかった。それ以上は特に考える気力もない。雨降りの夜にバスは憂鬱さを引き摺って動き出した。バスの中の客も疎らだ。42丁目のバス停から南へとまっすぐ降りていくバスの路線だ。時々夜の風景の中で際立って光が煌めいているような建物の前を通りかかる。まずヴィレッジバンガードの入口を目撃した。夜で雨が降っているがその前では何か人々が熱気を発しているのが見えた。ヴィレッジバンガードといえばニューヨークの古い伝説のライブハウスであり、マイルスやコルトレーンのライブ盤でその名を知られる場所ではないか。更に夜の街を抜けてバスは下っていく。ビルの並びは続くが、それらビルは鉄というよりも石の感触の建物の群れが多くなるのがわかり、街に灯はあるものの灯りの数は薄くなっていくという感じだ。時折現れる巨大で個性的な形をしたビルも、土曜の夜とあっては灯りが消えていてむしろ大きくて静かな廃墟感のほうが不気味に忍び寄るぐらいだ。このバスはいったいどこが終点になるのだろう。それもよくわからなかった。このまま乗って行くととんでもなく意味不明な場所にまで、ニューヨーク市の中で連れて行かれてしまうのではないか。不安が生じてきた。まだ街並みに見覚えがあるうちに、このバスを降りよう。やっぱりニューヨークの移動は地下鉄のほうがまだわかりやすいと悟った。しかしどこまでいけば僕でもわかるような場所にこのバスは到達するのだろうか。そうこうするうちにバスからは人がひとりひとり降りていく。バスの乗客さえもどんどん少なくなっていく。やがて暗闇の中で、ここは見覚えがあるものの、しかし周囲はしんとして人の気配がしないような寂しい場所まで連れて行かれてしまった。しかもどうやらバスはここで折り返しをするようなのだ。どうしていいかわからないがここはもう降りるしかないだろう。僕は嫌々ながらこのバスをこの地点で降りることにした。そこは僕らがはじめのほうで訪れた場所。グラウンドゼロの地点だったのだ。