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マンハッタンの空を立ち並ぶ高いビル越しに眺める。空の気配は午後から夕刻にかけて雲が多くなってきている。しかしそうかと思うとまた雲のフォーメーションが流れながらずれていって、合間からは太い光が差し込みマンハッタンの土地を部分的に明るく照らしている。これから夕方にかけて天候は不安定になるのかもしれない。そんな予感も僕に過ぎった。かれこれ一時間以上はニューヨーク市立図書館にいたと思うが、デモがもう終焉になるだろう時間を見計らって図書館を出た。大きな坂道を再び底の盆地に突き当たるまで降りていくとそこがユニオンスクエアであった。


一日の終りにこの公園に差し込む光は強くて眩しすぎるくらいだった。マンハッタンの午後を彩った巨大なデモは確かにそこで終焉の状態を迎えていた。ある種のお祭り騒ぎで賑わっていた。ぐるっとマンハッタンの中を一周してきて終点がユニオンスクエアにあたる。デモはその終了の地で、人々はドラムやらラッパやらありとあらゆる楽器から楽器に似たものを持ち寄り、鳴らしていた。フォークギターで輪の中にいる人もいれば、エレキをアンプに繋いで音を出してる人もいる。自由気ままなダンスの輪がそこに出来上がっていた。そこでは何でも楽器にできるようだ。といっても一番多いのはやっぱり最も原始的に音が出せるドラムを持った人々だろうか。とにかく手当たり次第に音を鳴らせるものなら何でも鳴らす。デモを締めくくるのはこのようなアナーキーな音の合唱する祭りであり、東京でも最近はこういう楽観的でラテン系とも呼べるような幸せを噛み締めるような余韻をいつまでも響かせるデモの終り方は、何度か見たことはあるものだった。デモの形が市民にとって楽天的なものに変わりつつあるというのは、20世紀が終り新しい世紀に入ってからは、横に世界のどこの国でも共通の前提になりつつあるのかもしれなかった。これもデモや市民運動から余計なイデオロギーが剥げ落ちてきたことの結果であるのか。

一方で賑やかに、ドラムを中心に楽器をかき鳴らし踊っている人々がいるものの、そこで僕は究極Q太郎の姿を探していた。究極さんでなくても、村田さんでも飯塚くんでもよかった。とにかく僕が会えなかった時間に、彼らが何を体験してきたのかを知りたかった。またこの見知らぬ大都会の中で、最低限の頼りになる友人とはぐれてしまうような事態の、究極の不安感は避けたいと思っていた。

しかし、会えない。彼らはいない。見つからない。僕の計画の立て方が甘かったのかもしれないが、このまま会えなくなったら最悪だという気分が心の中で頭をもたげていた。何周か夕暮れの低い光が横からまだ差し込んでいるユニオンスクエアの回りを歩きまわって、もう僕は疲れてしまった。

どこか座って公園を観察できる場所はないかと考えたが、いかにもニューヨークのど真ん中にある今時の公園らしく、ベンチの類は殆どそこに置かれていない。そういう人が寛げるような施設は尽く撤去してしまうのが最近のニューヨークのやり方だとは、最初の日に気づいた通りだった。振り返るとユニオンスクエアの後方には、公園を見渡せるようなマクドナルドの店があった。マックの店の二階からしばらくこの公園を見張っていようと考えた。

店に入り、一番安そうなハンバーガーとポテトとコーヒーを頼んだ。それぞれ1ドルきっかりの値段だった。トレイに受け取り二階の席に階段を上がった。もう夕刻のマクドナルドの中は、特に人も混んでいなかった。窓際の席をうまく確保して、そこでポテトを口に入れながら公園を見ている。後ろの方には、やはりデモを引けた参加者の人々が、上がってくる気配があっった。結構な年配の男達、白髪の感じなどを見るとベテランの域にあるアメリカ人で白人たちだが、僕と同じように二階席の窓から公園を見下ろしながなら、興奮して喋っている。

今日のデモはすごいデモだったぜ!こんなデモはベトナム以来だ。そんなふうに英語で語り合っている。ベテランで白髪の白人男たちだった。野球のキャップを被ってスタジャンを着込んでいるような、元気のいい白人たち。彼らは嬉しそうにデモの興奮を、僕の背後で語り合っていた。しかし僕のほうは、一人、コーヒーなどを啜りながら、公園を見下ろす気分は最低なほうに傾いていて、相変わらず、究極さんたちの姿をそこで確認することには、絶望的な状態だった。